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February 29, 2012

土佐まわり

だから、他意はないってば。

さて、あとは愚痴だ。

最終日、ホテルのつまらん朝食を今日も食べて、チェックアウト。
高知駅前から高知龍馬空港までバスで移動。
早めに空港でチェックインを済ませて、キャリーバッグを預け、空港内の売店でダメ押しの土産を買って、カメラなどの入ったバッグのみを持って手荷物検査所に向かう。
身体検査にもひっからないよう、あらかじめベルトもはずして(バックルがひっからないように)、すんなりと通り抜けられるかと思いきや。

若い女性の係員が聞いて来た。

「ナイフなどをお持ちですか?」
「いや、ないはずだけど?」
「バッグをチェックしてもよろしいですか?」
「どうぞ」

出てきましたよ、十徳ナイフが。
自宅に置いて来たはずの物がなぜここに(嘆)

「担当の警察官がきますので、しばらくお待ちください」

見回すと、すぐ目の前に警察官の詰め所があるのだが、肝心の警察官がいない。
待たされること5分ほど。
こちらのツラを見て、開口一番、こう言いましたな。

「なんでこんなもん持ってんの!」

いきなり切り口上で来られてイラッとする。
ナイフを持っていたこちらが悪いとは言え、「お待たせしました」ぐらい言えんのか。

「いや、預ける荷物の方に移し忘れまして」
「じゃあ、ここに名前と住所と生年月日を書いて」

出してきたのが使い古した市販のメモ帳だ。
おまけに、別の人間の名前がそこには書かれている。

警察ってのは、職務質問の手順として、こんなことを教えてるのかね。
イラッとしてるからそんな名前を覚える心の余裕はないけど、プライバシーだだ漏れですぜ、これじゃ。

「で、どうするの、これ」
「以前同じことをやった時は、客室乗務員が預かって、到着先で返してくれましたけど」
「そんなことはやってない」
「前はやってくれたんですよ」
「そんなことは知らん」

で、ちょっとキレて、思わず口にしてしまった。

「そんな事も知らんような奴がこんなとこにいるなよ」

見かねたのか、先程の女性係員が声をかけてきた。

「お預けの荷物があるということですね?」
「ええ」
「では下のチェックインカウンターに行って、お預けの荷物にこれを入れてから、またこちらに戻ってきてください」
「わかりました」

そのやり取りの間に、警察官は詰所に入ってしまっていた。
職場放棄かよ。

自分のミスとは言え、ちょいとイライラしながら、再度チェックインカウンターに行き、事情を話す。
まだ荷物は積みこまれておらず、2~3分で預けたキャリーバッグが出てくる。
大事にならなくて良かったよ。
それはいいのだが、バッグを持ってきた地上職員が、こう聞いて来た。

「このバッグは検査機を通されましたか?」

もちろん検査機を通した上で預けているし、預けた際に封印のシールも貼られている。
イラついていたので、ついこう返してしまった。

「ここの空港は検査機に通さなくても封印のシールを貼ってくれんのか?」
「・・・・・・」

イヤーな顔をして黙りやがった。

悪いのはこっちなのに、すまなかった。
でも、どう考えたって、バカな質問だろ?

事を済ませて、もう一度手荷物検査所に行く。入口は2ヶ所あるが、もちろん先程と同じ方に進む。
また先程同様にベルトをはずして機械を通り、今度は無事に通過する。
そして、警察官の詰所の前まで行ってゆっくりとベルトを締め直し、中を覗き込んで見た。
例の警察官はいたが、無視された。

高知ってのは、南国らしくおおらかな人ばかりの土地かと思ったのだが、案外そうでもないなというのが、実は今回の旅の印象だった。
いや、そんなに人と触れ合ってはいないんだけどね。
そこへ持ってきてのこの一連のやり取りで、その印象が強くなってしまった。

まあ、この話を海外在住の弟にしたら、「海外の空港だったら、確実に別室に連れて行かれてるな、その程度ならマシな方だ」と言われはしたが。

さて、今回は珍しく昼間の飛行機に乗った。
いつもは明るいうちは出来るだけ神社をまわって、夜の飛行機で帰るのだが、翌日から仕事なので、正月休み疲れを少しでも解消するため、夕方には自宅に帰り着くように予定を立てたのだ。

明るい時間帯の飛行機は景色が見えて良い。

大部分雲がかかっていたが富士山も見えたし、眼下に見る伊豆大島・三原山の姿も、印象的だった。
少し気分が晴れる。

あとはいつも通り、立川駅北口までバスに乗り、JR青梅線で帰路につく。

かくして、高知の旅は終了するのであった。

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February 28, 2012

前菜は忘れた頃にやってくる

注文してから何十分経ったと思ってるんだ!

ここで方向を南に転じ、久万川を渡って、市街中心部に戻る。

入明駅の近くの小津神社に到着する。
ここには狛犬が2対ある。

まずは鳥居の脇に1対。

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阿像が尻上げで、吽像は蹲踞になっている。しかし、この阿像、前足はどこにあるんだ(苦笑)

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台座には「明治丗五年」「十一月吉日」(1882)とある。

もう1対は、その背後にある。
阿像は一見すると口玉に見えるが、巻き舌のようだ。

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台座には「昭和十四年四月吉日」(1939)とある。
製作は「□町 井上石材店刻」となっている。

この小津神社の境内には、寺田寅彦が青年時代に肺病を患った際に平癒祈願し、その祈願が成就した礼に寄進した燈籠と石橋が残っている。
燈籠には確かにその名がある。

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ちなみに、燈籠の製作者は「吾川郡秋山村 石工弘井□□」とある。

ここから程近く、土讃線のガードをくぐった先に、薫的神社がある。

この神社の狛犬はすごいことになっている。
というのも、正面の参道にきちんと対になって置かれている狛犬が2対ある他に、現状では対になって置かれていない狛犬が10体もあるのである。

まず、参道入り口の鳥居脇に1対。

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阿像が蹲踞で右前足を岩山の載せる形で、吽像が尻上げ型。

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寄進年は不明。

そのすぐ後ろにもう1対がある。
阿像が蹲踞で、吽像が尻上げ型。

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足台はきちんと整形されていない、岩山風のもので、側面には蔓草状のものが彫られている。手が込んでいる。

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台座には「明治三十六年十月吉良日」(1883)とある。

さて、この2対を通り過ぎると、相方のいない狛犬が2体ある。

手前側のものは阿像のみ。風化して表面が溶ろけたような印象を受ける。
台座は燈籠の転用と思われ、文字はあるがあてにはならない。

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社殿側のものは吽像のみ。置き方は明らかに逆だ。左前足を岩に乗せている。これも表面は風化が激しく、頭部なんか苦しんでいる時のザビタン(アクマイザー3)の頭のようだ。

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さらに、社殿左手前にある末社の前に3体いる。

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置き方はこんなだが、このうち2体は対ではないかと思う。
これとこれですね。

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吽像の方の台座に「大正五年五月」(1916)とある。

もう1体は吽像で、先程のザビタンじゃない方のものと対ではないかという気がするが、確証はない。尻尾は似ているのだが。

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社殿左奥側に参道が続いている。その先に行くと、この神社の神殿が境内の小高くなった小山の上にあるのがわかるが、そちらの方向に石段がある。
その下にも2体いる。

1体は非常に小型のもので、阿像。

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もう1体は吽像。
台座があって、そこには「明治三十五年八月吉日」(1882)とある。

P1041550

その脇に、「千日詣解願」と記された碑があり、その前に3体いる。

2体は対の様に置かれているが、これらは元々は対ではないのではなかろうか。
顔が崩れて阿吽の別も定かではない。

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もう1体は口の開きが小さく阿吽どちらとも言い難い。相方がいれば、それとの比較で決められるのだが。

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この状況というのは、おそらくは空襲の結果なのだろう。
狛犬の状態がボロボロであるのも、焼夷弾の火か爆弾の爆発が原因なのだと思う。

もし、そういったことがなければ、この神社には10対前後の狛犬があったことになる。
実に残念だ。

気を取り直して、ここから南下し、高知城の東にある高知大神宮に行く。

高知大神宮には狛犬はなかったが、境内に入ると、まずはこいつが迎えてくれる。

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鶏だ。
そう言えば、高知は尾長鶏で有名だったな、と思ったのだが、この鶏の尾は、そこまで長いようには見えない。
これは尾長なのかな?

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それよりも、せっかく台座がデカいんだから、もう少し大きな鶏にすれば良かったのに。
台座には「平成十七年 酉年正月元旦」(2005)「石工三代目竹内石材」とある。

ちなみに、境内には鶏が放し飼いにされている。
よく逃げて行かないものだ。

繰り返すが、狛犬はないが、境内の末社として稲荷があり、そこに狐が複数ある。
そのうち、目につくのは、やはりこいつだ。

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それとこれ。

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斜尾は関東以外では極めて珍しい。

さて、時間は15時30分。そして、市街中心部は前日に既に廻っている。
ただ、持参した地図の中の「高知中心図」のエリアの中で、ここに立ち寄ると遠回りになるからと、飛ばした神社が3社ある。そのうちの2社は路面電車で近くまで行ける。

ということで、大橋通の電停から宝永町の電停まで路面電車に乗る。

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電停から北上して畝立樹下神社に行く。
夕陽が物悲しさを醸し出す境内の鳥居脇に狛犬が1対いる。

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尻尾が丹後狛犬を思わせる。

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台座に「昭和二年十一月吉日」(1927)とある。
また、「□□町 長崎陸雄作」と書かれているようだが、平面じゃないところに細く浅く文字が刻んであるので、読みにくい。

ここからさらに北上、同じ宝永町にある多賀神社に向かう。

狛犬は1対あるが、コマヤンである。
台座には「大正四年」「十二月吉日」(1915)とあるが、真新しいコマヤンなので、明らかに再建である。

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ここで16時。もう足腰もヘロヘロなので、狛犬巡りは以上で終了として、ホテルに戻ることにする。

ただ、明日午前中の飛行機で東京に戻るので、今のうちに職場への土産などを買っておこうと思い、ヘロヘロの足を引きずってはりまや橋の辺りまで歩いて行く。
昨日行った時、その周辺にいくつか土産物屋があったからだ。

土産物屋で職場への土産を買い、商店街の中にある大丸で若干の食料品を買って、ホテルに戻る。
もう歩く気になれないので、路面電車を利用。昨日同様、はりまや橋電停から高知駅前まで乗車。
駅の土産物屋で酒とつまみを買ってホテルに戻る。

結局、2日間で、地図になかった神社も含めて48社を廻り、そのうち23社に狛犬があった。
設置率では5割に届かない。
しかし、参道狛犬47対、神殿狛犬が1対、相方不明の御隠居が10体と、廻った神社の数より多い狛犬に出会った。
年代的にも、江戸時代から平成まで、まんべんなく存在する。
予想外にも、高知は狛犬天国だったのであった。

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February 27, 2012

「あ!」「うーん」の初球

絶好球だったのに見逃しちゃったよ。

次に、東谷川という小川を少しさかのぼった所にある鉾神社に向かう。
地図上とは異なり、細かい道が錯綜していて、さんざん探し回った挙句に見つけたのは「大国主大神」と掲げられた鳥居。

Dscn3323

たぶんここでいいのだろう。
こういう雰囲気は嫌いじゃないが、狛犬はいないので、単なる徒労となった。

さらに西へ移動して岡三所神社へ。
私が神社にたどり着くと同時に、おっさんが一人参道から降りてきた。
その参道の入り口に狛犬が1対あったので、撮影を始めると、そのおっさんが話しかけてくる。

「その狛犬の右と左でちょっと違ってるのがわかる?」
「阿吽のことですか?」
「そう!よく知ってるねぇ、俺は最近知ったんだよ。それで教えてやろうと思って。」
「ああ、そうですかぁ。」

おざなりに答えながら狛犬の台座を見ると、「萬延元申年九月吉日」(1860)とある。

P1041395

どちらも片方の前足を岩に乗せるスタイルになっていて、面白い。

「この狛犬は古いのかい?」
「そうですね、萬延元年ってありますから。」
「それって、いつ頃?」
「江戸時代の終わり頃のものですね。」
「ふーん。いつもお参りに来るけど、全然知らなかったよ。」

やばい、長引きそうだ、と思ったので、

「じゃあ、僕もお参りしてきます。」

と言って、参道を登り始めた。
途中で振り返ると、自転車に乗ってどこかに走って行ったので、ホッとする。
だってねぇ、地元の歴史に詳しい人ならともかく、いまさら「阿吽」について説明されても、受け答えのしようがないからねぇ。

それはいいが、狛犬は参道を登った先にはなかった。

境内を見ると、ブランコがあったので、そこに座って、途中のコンビニで買ってきたパンを食う。昼食だ。
昨日の吹きっさらしの河川敷のベンチよりはましだが、もし人に見られたら、変な人にしか見えないだろうなぁ。

地図では隣接して田所神社と言うのがある。
パンを食いながら岡三所神社の社殿背後の山を見上げると、そこに建物がある。
なるほどあれかと、食後にもう一登りしてみると確かに田所神社であった。
狛犬はなく、消耗しただけであった。

さらに西へ進んで、小山神社に行くが、狛犬はない。

ここでちょっと南下して愛宕神社へ。
いままでたどって来た市街地北側の山裾から少し離れているが、ちょっとした小山になっていて、その山上に愛宕神社がある。
その入口の石段下に、狛犬が1対ある。

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「大正七年」「八月吉日」(1918)とある。
また「為田内鎌次郎還暦紀念獻之」と寄進理由が記されている。
阿吽ともに平面的な子供がへばりついている。

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さて、ここまでの流れでは、狛犬は石段下にはあっても、石段上にはいない。
イヤな予感に襲われつつ、急な石段を登って行くと……
やはり、狛犬はない。

うーん、昨日の疲れまで蘇ってくるようだ(苦笑)

石段を降りると、すぐ近くの成田不動尊にも立ち寄ってみる。
不動尊は、寺院の中では狛犬率が高いからだ。
ここも、愛宕神社と同じ小山の上にある。
急な坂道を登ってたどり着いてみたら、これまた狛犬がない。

落胆しつつ、再び西に向かい、三園町の轟神社へ。
ごくごく小さな神社だが、とてもおめでたい雰囲気だ(笑)

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狛犬は1対。基本的には、ここまでにたびたび見かけている狛犬と共通するスタイルだが、石材が異なるせいか、作りが雑に見える。

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台座裏の文字は「昭和十五年旧十二月吉日」(1940)と読めるのだが、「旧」の意味が分からない。
おまけに、台座の表には「巳歳七」という文字が見える。しかし、昭和15年なら辰年だ。
台座は転用なのか?
よく分からない。

さらに西に進み、中久万の天満宮に行く。
住宅地の中の路地を入って行くと、どう見ても交通の邪魔な所に社号標が立っており、そこの角を曲がると神社があった。この場合は、社号標が邪魔な場所にあると見るのではなく、戦後のどさくさで社地が浸食されてしまったと見るのが、たぶん正しいのだろう。
鳥居の脇に狛犬が1対ある。
阿像が口玉になっている。

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台座には「昭和五年十二年吉日」(1930)「市内大川筋 石工宮本忠夫」とある。この石工の名の他には誰の名も刻まれていないが、製作者と寄進者が同じということだろうか。

次は、ここからほど近くの松熊神社に行く。
狛犬は1対。阿吽ともに尻上げになっているが、尻上げの元祖である出雲型と比べると尻尾が小さい。

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台座には「昭和六年十二月吉日」(1931)とある。
寄進者の他に「井上□□」の文字が見える。彫りが浅くて前後の文字が判読できないが、ここまでに井上姓の石工が複数存在したので、これもそうなのだろう。

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February 26, 2012

弥縫建築

沢田マンションは違法建築というよりは。

次に、土佐神社の裏手に抜けて東天神社に向かう。
裏手の坂を登るとすぐに東天神社がある。
地図上の位置よりもずいぶん土佐神社に近いなと思って案内板を見ると、元はここより東100メートルほどの山腹にあったが、平成10年の大雨で境内地が緩んで崩壊の危険が生じたので移転したとの説明があった。

待て、地図には「この地図に掲載の内容は2011年3月までに収集した情報に基づいて編集しました」と書いてあるぞ。
神社の情報もちゃんと更新してくれよ。

それはともかくとして、東天神社には狛犬が1対ある。
台座には「昭和十一年一月吉日」(1936)とある。
石立八幡宮などで見たタイプをずんぐりさせたような感じの狛犬だ。

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再び土佐神社の境内まで戻り、そこを横切って一宮西町の白山神社に向かう。

山腹の道の上にある小さな神社が白山神社で、その前に「平成二年十月吉日建之」(1990)と刻まれたコマヤンが1対ある。

こんなもんかと思いながら下を眺めると、参道の石段にはまだずっと下まで続きがあり、その先に狛犬が見えるではないか。
どうやら地図を見ながら歩いてきた道は、参道を避けて直接社殿のところに達していたようだ。

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石段の下にあったのは台座に「大正十三年」「六月吉日」(1924)とある狛犬。
ほとんど浮彫状のためわかりにくいが、阿吽両方に子供がいる。

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さらに下を見ると、もう1対、狛犬というか、中国獅子がいる。
ちょっと意表を突かれた。
右は子持ち、左は玉取りになっている。
寄進者はわかるが、寄進年は記載されていない。

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山腹を下って路線バスが通っている道まで出てくる。
この道を通る路線バスが土佐神社のすぐそばまで行っているバスだ。
次に神社のある場所まで少々距離があるので、タイミングが合うようならこのバスを使おうと考え、現在地から一番近い太古橋のバス停に行ってみる。
すると、5分ほどでバスが来るようなので、バスに乗ることにする。

やって来たバスの行き先は≪はりまや橋≫になっていた。
そうか、あの辺が市街の中心地だから、バスもそちらに向かうのか。
というような情報を聞きたかったんだよ、フロントの兄ちゃん。

薊野のバス停で下車。
掛川神社に向かう。

石段の下に狛犬が1対ある。
台座には「昭和三年三月吉日」(1928)と刻まれ、製作者は「比島 竹内茂喜彫刻」とある。

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この狛犬があったのは石段下だが、当然ながら石段の上の社殿周囲に狛犬がないか確かめるために石段を登る。
昨日は市街地の神社をまわったので、石段の上り下りはなかったのだが、今日まわっているのは市街北方の山裾なので、石段のある神社が多い。

昨日の疲労が残る足で石段を登り切ると、そこには狛犬はなかった。

次に薊野北町の山本神社に向かう。
小さな祠で、狛犬はない。

そのすぐ近所に地図にない祠を見つける。椿神社と言うらしい。
残念ながら、ここにも狛犬はない。

北上して和霊神社へ。
ここも狛犬はない。

さて、このあたり、道幅の広い道路が整備され、スーパーや家電量販店が軒を連ねている。
そんな道を歩いても面白くないので、その一本裏手の細い道を通って次の神社に向かうことにする。

そうやって歩いていると、どこか少し既視感を覚える建物にぶつかった。
屋上にクレーンのあるこの姿は、もしかして。

沢田マンションじゃないか。

そうだよ、あれって高知じゃん。

沢田マンションが高知にあることは知識として頭にあったが、探すつもりは毛頭なかった。
それなのに、偶然出くわしてしまうとは。

入口に張り出されている紙を見ると、「沢マンツアー」という見学ツアーもあるようで、今でも人気があるようだ。

沢田マンションはいくつかの媒体で紹介されているのを見たが、手元にある「探偵ナイトスクープ」のDVDの第8巻にも『高知の軍艦島マンション』というタイトルで紹介されている。
放送されたのは1994年で、それを見ると、マンションの周りは田圃が広がっていて、少し遠くからマンション全体が一望できたのだが、現在はその田圃が開発され、幹線道路と家電量販店などの大型店舗が立ち並んでいて、すっかり埋もれて影が薄くなっている。
なんだか少し残念というか、勿体ないような気がする。
これは日本が誇る貴重な文化遺産だと思うのだが。

ちなみに、近い距離からパノラマ撮影してどうにか全体を捉えたのがこの写真だ。

Sawaman_2

沢田マンションの少し西に、「幕末の剣士以蔵の墓へ180m」という案内表示があったので、ちょっとそちらに進んでみるが、前日の筆山同様、墓所は山の中のようなので、立ち寄るのはやめる。

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February 25, 2012

土佐の高知のはりぼて橋で

他意はないよ。

さて、朝倉神社を最終目的地にしたのは、すぐそばまで路面電車の土佐電鉄伊野線が来ているから。
路面電車で高知駅前まで戻ろうというわけだ。

伊野線の線路は、土讃線の南に存在する。
朝倉神社の前あたりでは道路の北側に専用軌道がある。
それが土讃線の朝倉駅前の交差点のところで路面に出てくる。
地図を見ると、路面に出てきた少し先に朝倉駅前の電停があることになっている。
しかし、そのあたりに行ってみても、電停らしいものがない。
細い道なので、プラットホームなどの構築物は造れないのだろうが、それにしたって、バス停のような時刻表とかそういうものがあっても良さそうなものだ。
ただ、道路になんとなく白線が少し多く引かれているところがある。
ここか?
悩んでいるうちに電車がやって来るのが見えた。
ままよ、ここで待っていて通り過ぎてしまったら、その時だ。
そう思っていたら、そこに電車が停車してくれた。
助かった。

行き先も確認せずに乗り込んだその電車は領石通行きとなっていた。
直接高知駅前に行く電車もあるようだが、常時あるわけではなく、少なくともこの電車でははりまや橋電停で乗換える必要があるようだ。

車内に「私の履歴書」という説明書きがあり、東京都電で昭和22年から53年まで走っていた6000型をモデルに昭和25年に大阪の帝国車両で生産された、ということが書かれている。
ということは都電の廃止によって不要になった車両を引き取ったわけではないということか。

やがて電車ははりまや橋電停に到着する。
ここで一旦下車したついでに、日本三大がっかり名所の一つであるはりまや橋を見に行ってみる。
なるほど、がっかりだ。
なにがって、橋がこぢんまりしていることよりも、このハートがだ。

Dscn3304

そのまま少し周辺を歩く。
高知駅前には何もなかったが、このあたりにはアーケードのある商店街もあり、ここらが市内の中心的な繁華街のようだ。
本屋を見つけて地元の出版物を数冊購入。
ついでに何か食いものを、とも思ったが、ここで食いものを買ってホテルに戻るには、少し距離があり過ぎる。
まして、ここで店に入って酒でも飲んだ日には、疲労で酒がまわって無事にホテルに帰れる自信がない。
あらためて路面電車に乗って、高知駅前まで戻り、昨日と同じ駅の売店で酒と食いものを購入して、ホテルに帰ったのであった。

Dscn3306

1月4日。
この日は、まず土佐神社に行くことにする。
土佐神社は市街地からは少し離れているが、地図で見るとすぐそばまで路線バスが走っているようなので、バスで一気にそこまで行き、そこから市街地に向けて歩いて戻って来る、というルートを想定したわけだ。

ルートは1月2日の夜に考えたので、3日の夕方に高知駅前まで戻って来た時、あらかじめそちら方面に行くバスの時間を確認しようと思い、駅前のバスターミナルに行ってみた。
バスターミナルはバスの向かう方面ごとに乗り場が分かれていて、それぞれに時刻表があるのだが、そこには各バスの終点のバス停名は記載されているものの、路線図が掲示されておらず、どこを経由していくのかがさっぱりわからない。

山口県の下関市や周南市でもそうだったが、この不親切さは何なのだろう。
利用者が少ないため、すぐに路線の廃止や変更が起こるので、いちいち路線図なんか作って各バス停に掲示するのは、経費もかかるし面倒だ、ということなのか。
それにしたって、外部からの観光客も利用する高知駅の駅前のターミナルにすら路線図を設けないのは、怠慢だし、商売として姿勢がなってないと思うのだが。

ターミナルには職員のいるブースもあるのだが、ここは案内所というよりは同じターミナルから発車する空港バスと県外への高速バスのチケット売り場になっていて、ひっきりなしにチケットを求める客がやって来るので、ちょっとものは尋ね難い。

そんなわけで、朝ホテルを出る時に、フロントにキーを預けるついでに、土佐神社への行き方を尋ねてみた。
ホテルのフロントの若い男は、「土佐神社近くまで路線バスが行っているようだが、どこ行きのバスに乗ればいいのか」という私の問いかけに対して、おもむろにパソコンで検索を始めた。
ちょっと待て、お前。今時、検索くらいケータイでもできるよ。検索してもわからないから、地元高知の人間であろう君に尋ねているんじゃないか。
挙句の果てに、「ちょっとわかりません」ってなんだよ。
5000円のホテルはやはり5000円のホテルでしかないのだなぁ(嘆息)

時間は前日同様7:40頃。
あらためて高知駅前のバスターミナルに行き、地図と見比べながら時刻表を見るが、やはりよく分からない。
駅前にはとさてらすという観光案内所があるのだが、まだこの時間には開いておらず、役に立たない。
ホテルをあてにして昨日行かなかったのはミスだった。

仕方がないので、土讃線で土佐一宮駅まで行き、そこから歩くことにする。

Dscn3307

ちなみに土佐神社は土佐国一ノ宮ではあるのだが、地名も駅名も「一宮」と書いて「いっく」と読む。
なぜだろう。

駅から神社の神門までは1km少々。
途中の道路で、生垣が張り出していて道幅がそこだけ狭くなっているところがあった。
地主がごねて土地を売らんのでしょうな。
そして、そこが思いの外、交通量が多い。
向こうへ行く車とこちらに来る車が、すれ違いが出来ないので、交互に何台かずつ順番に通って行く。
両方向の車が完全に途切れるまで待っていたら、私はいつまでたっても向こうに行けないし、車同士はすれ違えない道幅だが、人と車がすれ違えないほど狭いわけではない。
そんなわけで、タイミングを見てそこを通過したのだが、すれ違った車の運転手が完全にこちらを邪魔者扱いで、睨みつけて行きやがった。

まったく、高知には職業意識が希薄な人間と人情が希薄な人間しかいないのか?

朝っぱらから、気分が悪くなることばかりだ。

不快な思いをしながらやって来た土佐神社だが、参道狛犬が1対もなく、さらに落ち込む。

しかし、せっかくだからと拝殿まで行って参拝し、ふと顔を上げると、拝殿内に備前焼の狛犬が鎮座していた。
土佐にも備前が来ていたか、とちょっと感動する。

P1041307

さらに、感動することがあった。

神社ではよく、拝殿前などに「ご自由にお持ち下さい」と書いて、パンフレットや冊子が置かれていることがある。
私は、神社の由緒について書かれたものがあればできるだけもらっていくようにしているのだが、土佐神社では『志那祢』という社報が置かれていた。
それは平成23年11月発行の第6号だったのだが、表紙に備前焼の狛犬が写っている。
手に取ってみると、興味深いことが書かれていた。

それによると、この備前焼の狛犬は慶応二年(1866)奉納で、作者は木村新七良貞清なのだが、60年以上前から吽像が行方不明になっていたのだそうだ。
時期的に言って、その理由は戦災か、戦後のどさくさか、というところだろう。
その吽像が崇敬団体の芳志によって復元されることになった。
その復元を依頼された安川清泉氏は、木村新七良の狛犬が現存する神社を訪ねて、その作風を研究したうえで吽像を製作したのだと言う。

P1041308

これだよ。これですよ。
これが“復元する”と言うことでしょう。
ここで私が難癖をつけた狛犬の改悪を行った方々には、爪の垢でも煎じて飲んでおけと言いたくなりますな。

で、この復元された狛犬が土佐神社にやって来たのが、平成23年1月15日。
もし1年前にここに来ていたら、これを目にすることはなかったわけで、そう考えると縁を感じる。

すっかり不快感が消えて、すがすがしい気分になった。

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February 24, 2012

足がローラ・ボーになる

ボークレアになるよりはまし。

ここで、方向を西に転じる。

鴨部の松本神社に到着すると狛犬が1対あった。
共に尻上げで、阿像は顔が破損している。
台座には「昭和六年八月」(1931)とあるが、その台座がなんだか変だ。

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狛犬は一見足台が無いように見えるが、実は台座に埋まっており、その台座の中から針金が狛犬の足台をつなぎとめるように出て来ているのだ。
どうやら、一度台座が破損するなどして狛犬転落したのだろう。それを修復する際に、台座と狛犬の足台を針金でつなぎ、まとめてコンクリートで固めものらしい。
となると昭和6年とは、補修した年か、狛犬の奉納された年か、判断しかねるということになる。
どっちだ?

そこからほど近くの石南神社に向かう。
道端に急に現れた小さな岩山がそれであった。
「平成元年二月」(1989)と刻まれたコマヤンがある。

次に朝倉横町の伊野部神社に向かう。
少々道に迷いつつたどり着いたところには、大きめの祠があるだけで狛犬はない。
また、すぐそばに地図にない祠があったが、そちらにも狛犬はない。

さて、この伊野部神社に曲がって行く角に、全体を青い網で囲った畑がある。
冬で葉を落としているその木が何の実をつけるのかはわからないが、何かの果樹園だ。
角を曲がる時にふと目をやると、果樹園の中に小屋があり、そこで数人が何かしている。
三が日から仕事とは農家は大変だなと思いながら通り過ぎ、神社に狛犬が無いのを見届けて振り返ると、意外な文字が目に飛び込んできた。

Dscn3293

居酒屋って(呆然)

じゃあ、さっき集まっていたのは店のオヤジと客かよ。
三が日から、こんな吹きっさらしの屋台で酒飲んでるのか!
すげえ(笑)

土佐の風土に感嘆しながら、さらに西へ。

鵜来巣の大山住神社へ。
ちなみに地名は「うぐるす」と読む。
街中の住所表示に平仮名でこう書いてあるのを見て一瞬「うるぐす」と思ってしまった。

さて、地図で表示された場所に行くと、小高い丘があり、その上に神社があるらしい。
既に15時をまわっていて、足がかなり疲れて来ている。
そんな時にこれかよと愚痴りながら階段を上って行くと、そこは公園になっていて、その一画に祠がある。
そして、狛犬はない。
疲れただけだった。

さて、本日の最終目的地に設定した朝倉神社まではあと少しだが、地図で見るとここから朝倉神社までにもう1社、宗忠神社というのがある。
これは地図の段階で、明らかに小山の中にある。
足腰は限界近いので、山登りは避けたいところだが、名前が由緒ありげなので、期待を込めて、よたつく足でこの神社を探す。
しかし、散々道に迷った挙句、たどり着いたのは、祠程度のもので、狛犬もなかった。
時間と体力の無駄に終わった。
くそー、これで社名が八坂神社とかだったらスルーしてたのに。

かくして、本日の最終目的地、朝倉神社に到着したのは15時40分頃。
JR土讃線の踏切の向こうから参道が始まっているが、そこに既に狛犬が見えている。
それだけで体力が戻って来る気がするよ。

P1031177

ちょっとシャッターを切るタイミングが早すぎた。もう少し狛犬と列車の面を近づけたかったのに。下手くそだな、おれ(苦笑)

踏切の向こうに見えた狛犬は、台座に「昭和九年」「四月吉日」(1934)と刻まれている。
双方とも尻上げ。台座は高く、浮き彫りもあり、足台も足付きになっていて、なかなか立派な狛犬だ。

P1031180

阿像の口の中は、口玉ではなく、巻き舌のようだ。
製作者は「石工 井上茂樹 黒岩馬吉 刻」となっている。既に出ているし、今後も登場するが、塚地村の石工に井上姓の石工が多いので、これもその流れか。

参道をさらに進むと、また1対。
これも双方とも尻上げだ。ちょっと太くてずんぐりしているところが愛らしい。

P1031209

台座には「大正十五年十月吉祥日」(1926)とある。
製作者は「石工 前田嘉□」とあり、一文字苔のせいで読めない。

さらに進むと拝殿の手前の石段のところにまた1対。
足台が岩山状になっていて、共に子持ちだ。

P1031221

子供が親の背中に乗ってしまうパターンは、関東の唐獅子型の狛犬で明治の頃のものにはよく見られるが、他の地方では珍しい。

P1031236

おまけに、これは尻尾を立てていない。
江戸にあってもおかしくない狛犬だ。
台座には「弘化四丁未年」「八月吉日」(1847)とある。
顔が可愛いので、もっと新しいかと思ったが、江戸時代のものだったとは。
石工名が知りたいところだが、その記載はなかった。

考えてみると、潮江天満宮の文化10年の狛犬が破損していなければこれと同じ姿をしていたと思われる。

これの写真を撮っていたら、三が日なので境内に詰めている氏子のおじさんの一人から声をかけられる。

「狛犬を見てるんですか?」
「ええ」
「狛犬は場所によって違いますか?」
「そうですね」

返事はしつつも撮影を続けていたら、そのままスッといなくなってしまった。
「お前、向こうに行け」オーラを出していたつもりはないのだが。
どちらかと言えば、こちらから2,3質問したかったぐらいなのに。

まあいい、境内の探査を続けよう。

まずは、拝殿左手に末社が2社あり、そのそれぞれに狛犬が1対ある。

2社のうち右側の荒倉神社のものは台座に「嘉永元年歳次戊申五月令辰」(1848)とある。
阿像の足台が台座からはみ出しているのが気になるが、台座の尻側が欠けているからなのだろう。

P1031246

一方、尻尾の形状はやや異なるが、ポーズや子供の配置の仕方が、先程のものと共通してもいるし、設置年が1年違いでもおかしくはない気もする。

P1031251

吽像の本体に「石工塚地村 井上五兵衛」の文字が見える。
この位置に文字を刻むのは潮江天満宮の文化10年のものと共通している。
ただ、他の江戸時代の狛犬で石工名があるものは姓がないか屋号になっている。
井上姓を名乗っているのが、ちょっと気になる。
それとも、江戸時代から名字を許されていた家なのか。

ちょっと疑問点の多い狛犬だ。

その左の末社の方には、台座に「大正八年」「三月吉日」(1919)と刻まれた狛犬がある。

P1031261

足台が岩状で、突起した部分に前足の片方をかけている。反対の足は後ろ足側に寄せていて、阿像など前足が片方欠けているかのように見える。
尻尾は立てている。

今度は拝殿右手側に向かうと、そこに1社、末社がある。
そこに向かう参道にまず1対、その末社の前にもう1対、狛犬がある。

参道の方のものは台座に「嘉永元申九月日」(1848)とある。
阿像の方は大きく欠損しており、詳細はわからないが、基本ポースは直前に見た末社の大正8年のものと同じだ。

P1031286

ただ、尻尾は拝殿前のもののように立てずに流している。
面白い。

末社前のものは「平成九年五月吉日」(1997)と刻まれたコマヤンである。

以上、合計7対。
潮江天満宮と同数で、今回の高知ではちゃんと対になったものの数では一番多かった。

ということで、予定していた最終目的地を制覇したので、というより、足が限界なので、まだ16時20分だが、狛犬巡りは終了して、ホテルに戻ることにする。

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February 23, 2012

洗いざらしのしゃれこうべ

一応「野ざらし」のつもり。

そのまま境内を出て、天神大橋を渡り、対岸の山内神社に向かう。

狛犬は「昭和五十四年十一月」(1979)の1対のみ。
これまたはりまや町神明宮と同型だ。

境内に土佐山内家宝物資料館というのがあって、開館していたので立ち寄ってみる。
残念ながら、狛犬関係の収穫はない。

次に升形の出雲大社に向かう。
小さい神社の割に参拝者が多く活気があるが、狛犬はない。

高知城の西側を北上して山ノ端町の千代丸大神に行く。
稲荷とはどこにも記されていないが、石段下にいたのは狐であった。
P1031040

双方が片方の前足を招き猫風に上げていて、しかも、その下に何もないところが興味深い。
現状では台座には乗っていないが、すぐ前には逆に何も乗せていない台座が存在しており、元々はこの上に乗っていたのではないかと思わせる。

P1031041

そこには「大正十一年三月建之」(1922)とあり、また、石工と明記はないが、寄進者とは別に「追手筋 島健吉」という名が刻まれている。
石段を登った先には石碑が3基あり、そのうちの千代丸大神と刻まれた石碑の前にちょっとかわいい系の小ぶりな狐が1対置かれている。これのうちの1体も前足を上げている。相方の方は太鼓らしいものを抱えており、それもまた珍しい。

P1031052

さて、ここは小高い丘になっているのだが、その文字通り山の端を廻って若宮八幡宮へ。
ここには狛犬はない。

この丘の周囲には、地図では神社があと3社あるのだが、それはスルーして次に石立八幡宮に向かう。

その途中、ちょっと裏道を通ろうと思ったら、地図にない神社が目に入ったので覗いてみるが、狛犬はない。

その後、思い直して路面電車も通っている大通りに出てみたら、こんな商店があった。

Dscn3283

「台糖」って「台湾製糖」のことだと思うのだが、してみると、この看板は戦前からあるということか。それとも、戦後にも台湾製糖という会社そのものは存続したのだろうか?

新月橋を渡った所に、小さな丘があって、そこが石立八幡宮であった。
神社は今いる大きな通りには背を向けていて、参道がグルリを丘を半周した先に社殿に向かう石段がある。
その丘の麓を巡る参道を眺めると、そこに3対の狛犬があるのが見える。

P1031055

まず最初のものは、「明治三十五年六月吉日」(1902)とある。
置き方が吽阿になっていて、右の吽像は尻上げ、左の阿像は岩山状になった足台に前足をかけている。
このパターンは金沢など北陸でよく見かけたパターンだ。
よく見ると阿像には、子供がいる。ただし、ほとんど浮き彫りに近い平面ぶりだ。

P1031065

それにしても、この吽像の体のバランスは普通の狛犬の尻に顔があるような感覚で、一瞬頭部が欠落している狛犬かと思ったくらいだ。

P1031057

この狛犬を撮影していたら、初詣に来た子供たちが、不思議なものを見るような顔つきで通り過ぎていく。
君たちも大人になれば、少しは私のやっていることがわかるようになるさ。
などと思っていたら、後から来たその子らの親たちにも、不審人物を見るような顔をされてしまった。
ふっ(苦笑)

次の狛犬は「昭和二年」「七月吉日」(1927)とあるが、阿像の方はあきらかに新しい。
再建なのだろう。

P1031075

尻尾の作りなどを見ると、吽像と似た感じなので、オリジナルを模しているのだろうと思う。
たぶん口玉も、オリジナルにあるので、そうしているのではないかな。
それはいいことだと思うのだが、吽像と比べると少々ぽっちゃりし過ぎている。
ちょっと惜しい。

P1031086

なお、古い台座には「石工旭町二 川崎梅治」とあるが、再建した石工の名は見つからなかった。
ちなみに、地図を見ると旭町はこの神社のすぐ対岸にある。ということは、これは地元の狛犬ということか。

次の狛犬は「昭和十年十一月吉日」(1935)とある。
いまの阿像が再建された狛犬と同タイプの狛犬だが、阿像に口玉はない。

P1031104

参道をさらに進んで石段の下に来ると、もう1対狛犬がある。
「昭和二年」「一月吉祥日」(1927)とある。
これもさっきのものと同タイプで、今度は阿像に口玉がある。

P1031113

石段を登った先にはきちんと設置された狛犬はいなかったが、末社の祠の前にこんな感じで小型の狛犬があった。

P1031129

明らかにタイプが違うので、本来は2対あったということか。

さて、実はさっきから昼食をとる場所を探しているのだが、思うような場所が見つからないうちに13時を過ぎてしまった。
朝、ホテルを出てすぐにコンビニでパンと飲み物を買っておいたので、それを神社の境内で食べようと思っていたのだが、小さすぎてそんな場所がない神社か、初詣客が途切れなくて食事などしていては恥ずかしい感じの神社しかないのである。

この石立八幡宮は、後者で、場所はなくはないが、人が途切れないので、ちと恥ずかしい。
ふと見ると、神社のすぐそばの河川敷に、ベンチがある。
幸いほとんど人もいないので、そこで食べることにする。
風に吹きっさらされて、寒いことこの上ない。
市街地の川なので、別に景色も良くないしね。

ちょっとテンションが下がったところで、今度は石立八幡宮の横を通る高知春野線の道路に沿って南下しながら神社を辿って行くが、八坂神社・松尾神社・廣田神社・厳島神社と立て続けに狛犬がない。
午前中の大当たりが嘘のようだ。

途中で、真ん中に小さな祠を据えている畑(田?)に出くわす。
畦道に祠があるのは、たまに見かけるが、あんな農作業に邪魔そうな場所に祠を置く意味は何だろう。

Dscn3285

ようやく、次の狛犬に出会えたのは三所神社で、ここにたどり着くのに50分ほどかかった。
台座は、上部は新しく下部は古い。
上部の新しい方に、「昭和五十六年正月吉日再建」(1981)とある。
足台が岩状で、どちらも尻上げになっているのは、元のものを模したのだろうか。
コマヤンで再建しないのは、有難いことだ。

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February 22, 2012

ヨッパの質流れ

アル中で家財全部質入。

次に、すぐそばの轟神社に向かう。
こんな神社で、狛犬はない。

Dscn3251

ここから南下、路面電車の走っている通りにぶつかる所に、地図にはない祠がある。
秋葉神社で、狛犬はない。

Dscn3253

電車通りを越えて南下し、南はりまや町の八坂神社へ。
小さく、かつ殺風景な神社だが、狛犬が1対ある。
破損がひどい。

P1030853

阿像は前足から下半身がコンクリートで補修されており、吽像は割れた顔を接着してある。
台座もおそらくはオリジナルではないのだろう。
文字も何も刻まれておらず、設置年など不明だ。

次に、同じ南はりまや町の恵美須神社に向かうが、その途中の公園でトイレに行く。
用を足して落ち着いた後、公園を眺め直してみると、おかしなものが。

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なぜそこに時計が。

ということで恵美須神社に着く。
ここも小さい神社だが、狛犬が1対ある。
「大正十二年一月吉日」(1923)奉納で、「石工 弘竹工場」とある(「工場」は、あるいは「土揚」かもしれない)。
さっきの八坂神社のものと造りに似た感じがあるが、その一方で、阿像に口玉があり、なんとも興味深い。

P1030860

さらに、同じ南はりまや町の稲荷神社に行く。
小さな祠だが、面白い狐がいる。

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左右共に足元に火焔宝珠がある。
見たことのないタイプだ。
残念ながら、設置年は台座の破損のため不明だ。

ここから南下して路面電車も通っている潮江橋で鏡川を渡り、塩屋崎町の稲荷神社に向かう。

Dscn3262

電車通りからそれたところにこんなスナックが。

Dscn3264

援交?
もちろん、絵が描かれているように、河童の別名の方なのだろうが。

塩屋崎町の稲荷神社には狐が1対ある。
狐の足台に「平成14年秋吉日」(2002)とあるが、明らかにその下の台座は古い。この狐は再建なのだろう。
顔付きはいかにも最近の狐で、口玉と口巻物の組合せもよくあるものだが、足元に複数の宝珠(火焔宝珠か?)がある点にオリジナリティがある。
再建前のものを模したのだろうか。

P1030885

ここから筆山の麓を巡って潮江天満宮に向かう。
筆山には土佐藩主山内家の墓所があるようだが、それ以外の墓地もあるようで、坂本竜馬の父や永野修身の墓所の所在を示す碑が建っている。

Dscn3265

天満宮に近付くと、まだ3日なので、初詣客が多く見られる。
その流れに乗って歩いて行くと、参道の途中に出た。

そして、そこになかなか姿の良い狛犬がある。
「文久三癸亥歳九月吉辰」(1863)とある。
製作者については、「塚地村 石工頭取 彌蔵 同村石工 長次 同 儀之助 同 駒之助」となっている。

P1030896

ちなみに、この塚地村というのが、この後たびたび登場する。
現在は土佐市塚地になっているそうだが、ここに石工が多く住んでいたようだ。
当然、地元の石工の作ということになろう。

参道は途中で大きく曲がるが、曲った先に随身門がある。
その手前に4対もの狛犬がある。

手前から順に見ていくと、まず「大正十四年五月吉日」(1925)の大ぶりな狛犬がある。
阿吽共に子持ちになっている。
「弘竹事 井上九兵衛」の文字が確認できる。つまり、井上九兵衛の号が「弘竹」ということだろう。
特に石工とは書かれていないが、先程の南はりまや町の恵美須神社の狛犬にあった「石工 弘竹工場」のことだろうか?

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次のものは「明治十二年」「夘九月吉日」(1879)とある。
製作者は「塚地村 工 沢村□八 同 □□宅治」と読める。
足台が岩状で、尻尾を立てているだけではなく、体側にも大きく流しているところが特徴と言えるだろうか。

P1030933

その次は「昭和五十四年九月建之」(1979)となっている。
狛犬はさっきのはりまや町神明宮のものと同型だ。
台座は一番上だけ少し新しいように見える。また、下から二段目に「白川藤三郎 コヒナ 庄八 建之」とある一方で、最上段に「昭和五十四年九月建之 白川庄八」とあるのも不自然だ。
白川藤三郎主体で奉納されたものが破損したので、今度は庄八が再建した、というところではなかろうか。

一番門寄りの狛犬は、台座には「昭和二十四年九月建之」(1949)とあるが、本体に「文化十年酉三月御供」(1813)とある。台座のみの再建のようだ。
製作者は「石工 上〔総〕屋 治助 細工人 弟子 〔継〕〔八〕郎 □□ □〔材〕木町八丁目」と読める。
足台は州浜のような形状になっている。

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右の方は顔が破損していて阿吽の別はわからない。子持ちになっている。
左の吽像は、足台ごと左前足が欠けているようだ。また、わかりにくいが、尻尾に乗るようにして子供がいると思われる。あいにく子供は頭部が欠けているようだ。

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ちなみに、これが今回の高知旅行で出会った一番古い狛犬になる。

門を通り抜けると、再び参道が大きく曲がる。
その曲った先に、1対狛犬がある。

P1030976

「明治八年亥□月吉日」(1875)のもので、「石工 塚地村 井上平次」とある。
阿像は、このアングルから見ると、一瞬頭が無いように見えてしまうが、実は尻を上げている上に顔を後ろに向けているのである。変なポーズだ。

P1030974

一方の吽像は、上半身を起こし、前足を何かの上に乗せている。これもあまり見かけない姿だ。
台座にも大きく張り出した浮き彫りが施されており、全体に非常に凝った作りになっている。
苔むして細部がわからないのが残念だ。

P1031002

この後、社殿までの間には狛犬はなかった。ただ、さっき参道の途中から入ったので、参道を引き返してみると、参道の入り口からすぐのところにもう1対狛犬があった。
これでここだけで7対だ。

P1031007

これは左右共に尻上げ型。阿像は口に玉をくわえている。
なんだか出雲と徳島の合体という感じ。
「明治十九年□九月吉日」(1886)とある。

P1031020

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February 21, 2012

おみくじむすび隊

意味は無い。たぶん。

さて、1月3日。
ホテルが朝食付なので、7時過ぎにホテルで朝食。
5000円のホテルはやはり5000円のホテルで、バイキング式と言えば聞こえはいいが、主食はパンかコンビニ式の手巻きおにぎり。
調理された料理は、ソーセージ(茹でただけ)、スクランブルエッグ、ポテトサラダ、みそ汁、雑煮。
あとはカットされた果物がある程度である。

正月の帰省のためと思われる家族連れが何組かいたが、私が親なら子供にこんな朝食は食べさせたくはない。

それでも、あの萩のホテルよりはましだが(苦笑)

ということで、7時半過ぎにはホテルを出て、神社を巡り始める。
本日は、ホテルから南下して鏡川に沿うような形で西に向かい、朝倉まで行くことを目標とする。

まず最初は高知八幡宮を目指す。江ノ口川にかかる山田橋を渡ると、細い路地に高知八幡宮参道という案内があったので、そこを入って行く。
東京に戻ってから書店で「高知八幡宮史」(2007年 高知八幡宮社務所)という本を見つけたので購入したのだが、それによると、戦災からの復興にあたり、境内地を売って社殿再建の費用にあてたそうで、この路地が元は参道だったということのようだ。

高知八幡宮に至る前に、そのすぐそばにあるはりまや町の神明宮の狛犬が目に入ったので、そちらに先に立ち寄る。

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高知で最初に目に入った狛犬は「昭和七年」「一月吉日」(1932)のもの。
阿像の足台は岩状になっており、吽像の方は子持ちになっている。

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表面が妙に風化した感じで、色も黒っぽくなっているのは、空襲の影響なのだろう。
この後、目にする狛犬の多くが、そんな状態を呈していた。

見ると、この狛犬があるのは神社の裏側だったので、正面に回ってみる。
そこにも狛犬が1対ある。

P1030753

こちらは「昭和六年」「九月吉日」(1931)となっていて、1年違いだ。
これがなんと尻上げスタイルである。造りからして、出雲から運ばれてきたわけではなさそうだ。

P1030764

吽像が子持ちなのだが、こんなふうにお尻が二つ並んでいるなんてのは、初めて見たような気がする。ちょっと可愛い。

P1030765

境内にもう1対狛犬がある。
昭和54年に社殿が改修、もしくは再建されたようで、その記念碑を挟んで設置されている。
記念碑の奉納者であり、おそらくは製作者でもあるのが「瀬尾石材」とあり、狛犬の方にも「瀬尾石材」とあるので、こちらも昭和54年(1979)のものなのだろう。
形の崩れたコマヤンのようだが、よく見ると、尻尾は通常のコマヤンとは違っている。

P1030773

あらためて高知八幡宮に向かう。

大鳥居の前に大型の狛犬が1対ある。

P1030797

どこかで見たようなスタイルだなと思ったら、石工が「徳島市佐古町 彫刻師 土井小八郎」とある(ちなみに現状では剥離のため「土井小」までしか判読できないが、「高知八幡宮史」に「土井小八郎」とある)。
確かに、徳島天神社で見た狛犬と同じく、阿像が口先に小さな玉をくわえている。
毛並みのつくりもよく似ている。
奉納は「明治丗四年丑五月穀旦」(1901)となっている。
「高知八幡宮史」によると、元は山田橋近くの参道入り口にあったそうだ。

P1030785

しかし、正月に神社に来ると、こうやって狛犬が看板の支えにされていることが多いので、いつも閉口する。

地図上では別に地図記号が付されている釣船神社だが、高知八幡宮の境内社である。
その前にも狛犬が1対。
「平成七年三月吉日」(1995)奉納のコマヤンである。
狛犬そのものには製作者の名はないが、「高知八幡宮史」には「西久万 近藤石材 据付」とある。

その隣にある境内社の恵美須社前にも1対狛犬がある。
「昭和三十一年一月吉日」(1956)の奉納で、「比島竹内石材店刻」とある。
比島は高知市内の地名にあるので、地元の石工の作だ。
しかし、そのスタイルは、先程の徳島の狛犬と同じで、口玉もある。
大鳥居のところの狛犬を模したのか、それとも徳島で修業をしたのか、どちらかであろう。

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ちなみに、奉納者は「百足屋足袋株式会社」となっているが、同じはりまや町内に百足屋産業という会社があった。

この境内社群の前に、今年の干支の龍の張りぼてが飾られている。

Dscn3250

それはいいが、龍がくわえた矢の向こうにまだ兎がいますけど?

本社殿前にまわると、そこにもう1対狛犬がある。
「平成二年六月吉日」(1990)の大型コマヤン。阿像が玉取り、吽像が子持ちになっている。

P1030837

さて、「高知八幡宮史」を見ると、これらの参道狛犬とは別に、松伯という人物の作による尾土焼の陶製狛犬というものがあったそうだ。
昭和20年まで本殿内陣に置かれていたそうだが、現存しないらしい。
戦災によって紛失したのだろう。
尾土焼というものがどういう焼物か知らないが、狛犬としてはあまり聞いたことがないものなので、非常に惜しまれる。

出だしの2社で既に7対の狛犬に出会った。
幸先がいい。
気分が良いので、賽銭代りにおみくじを買うことにする。

おみくじ販売機に100円玉を投入する……が、何も出てこない。
機械には、古いものなのでおみくじが詰まることがある、その場合は宮司か巫女に声をかけてくれ、という旨の張り紙があったが、本当に詰まるとは(苦笑)
こんなことでがたがた言うのも恥ずかしいので、そのままにして立ち去ることにする。

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February 20, 2012

家政婦のび太

実際に旅行に行ってから1ヶ月以上経ってしまった。
当時思いついたダジャレも、もはや時期はずれになってしまった(苦笑)

というわけで、正月休みに高知に行った。一昨年の富山以来の庁所在地の狛犬巡りである。

1月2日、京都の実家を出発し、高知を目指す。
いつもは早朝に出かけて、現地に昼頃到着して、午後には狛犬を探して歩けるようにスケジュールを組むのだが、今年は実家を昼前に出ればいいようにした。
というのも、1月4日の飛行機が取れず、1月5日に高知を離れることになったので、3・4日のまる2日を調査に使えることになったからだ。

新幹線で岡山まで行き、そこから特急南風13号に乗車する。
在来線の特急に乗るのは富山行き以来だが、電車ではない機動車の特急に乗るのはいつ以来だろう。

14:04に岡山駅を出発。
しばらくすると瀬戸大橋だ。
真昼間のこんな天気のいい時に瀬戸大橋を渡るのは初めてじゃなかったかな。
実に絶景だ。

絶景はいいが、後ろの席の一家がどうにもうるさい。
子供が携帯ゲーム機でゲームをしているのは、今の世の中ではよく見かける光景だが、このガキはゲームの音声はイヤホンで聴いているものの、自分がゲームに反応して大声を出しているのである。
で、それを叱るべき親はというと、対戦モードで一緒にゲームをやっていて、こちらも声を出しまくりなのである。
その母親の父親、つまりガキからして祖父に当る人物が、母親をたしなめるのだが、一切聞く耳持たない。
もちろん、私が睨みつけても、夫婦そろって無視だ。
それどころか、ガキが祖父に何かちょっかいをかけて、怒った祖父がこのガキを叩くと、母親が金切り声で、「叩かないで!なんで叩くの!」と逆ギレしやがった。
こういうのがモンペになるのだなぁ。
こんなのとこの先2時間も一緒かよとうんざりしていると、幸いなことに途中の琴平で下車してくれた。

おかげでイライラしなくなったが、そうしたら眠くなって、大歩危あたりまで眠りこけてしまった。
情けない。

話を少し戻す。
出発の時から、この列車の車内販売は宇多津から琴平までとアナウンスしていたが、乗車して改めて考えてみると、停車駅3駅分(宇多津―丸亀―善通寺―琴平)である。
車内アナウンスで、全車両回れない場合もあると断っていたが、宇多津を14:41に出て琴平着が14:57では、さもありなん。
実際に、私の席には1度しか回って来なかった。
昨今は駅構内の売店で弁当や飲み物を買ってから乗り込むのが主流になっているからだろうが、だったらやめちまえばいいのに。
もしくは、完全にアトラクション化して、観光シーズンとか帰省シーズンに限定の弁当とかグッズに絞って売り歩くとか。

弁当の立売りなんかは、希少になったが故に、ある種売り物になっているような側面もあるのだし、車内販売も、割り切っちゃえば?

閑話休題。

大歩危の辺りと言えば、吉野川の渓谷美、ということになるのだろうが、下り線で進行方向左側の席にいると、あまり景色を堪能できない。
目を覚ました頃には、進行方向左側に川があったのだが、間もなく鉄橋を渡ってしまい、川が右側になってしまったのだ。
残念だ。

全長4kmを越える長い長い長い大歩危トンネルを抜けると、高知県に出る。
眺望が開けて、やがて後免駅に到着する。

むかし耳にした小話に、土讃線に乗った客が「大ボケ」と言われて憤慨していると、今度は「ごめん」と謝られる、というのがあった。
そのイメージがあるので、大歩危から後免まではすぐなのだと思い込んでいたが、結構時間がかかった。
大歩危15:42発で、後免着が16:30だから48分もかかっている。
というか、その間に土佐山田駅も挟まるし。
当たり前だが、しょせんネタはネタに過ぎないのだなぁ。

やがて高知駅に到着。
南風13号の終点は宿毛で、高知は終点ではないので急いで降りないと、と思っていると、発車まで13分ほど停車するとのアナウンスがあり、拍子抜けする。

到着は16:38。
宿泊するホテルは駅から徒歩数分のところにある。
駅周辺に何か百貨店とかスーパーがあるだろうから、そこで晩飯を買ってホテルに向かおうと考えていたのだが、駅前に立って周囲を見回すと、そういう手の店は皆無だった。
ホテルとオフィスとDIYショップと家電量販店。
なんだ、この駅前は(唖然)

仕方がないので、駅構内にある土産物店とコンビニで酒とつまみと弁当を購入して、ホテルに向かうことにする。
駅周囲がこういう状態のせいか、駅の大きさの割には土産物屋が大きいし、コンビニにも特産品が置かれている。
まあ、よしとしよう。

庁所在地の狛犬調査の場合、私にとっての標準は2泊3日だが、今回は飛行機の都合もあって3泊する。
それでも今回のホテルは1泊5000円なので、大した金額にはならない。

しかし、5000円のホテルはやはり5000円のホテルで、ユニットバスが狭くて閉口する。
まあ、湯船が狭くても、シャワーしか使わないので別に構わないが、便器が小さいのは勘弁してほしいな。

地図を見て、翌日どのようなコースで廻るかを決めながら、酒を飲んで、早めに寝ることにする。

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February 03, 2012

赤ひげ新庄タン

新庄がひげを生やしても、風格は出ないだろうな。

えー、あけましておめでとうございます。

「山本周五郎戦中日記」(2011年12月18日 角川春樹事務所)という本を読んだ。

山本周五郎と言えば、私のイメージでは直木賞受賞を拒絶したり、吉川英治の作品をきっかけに神格化された宮本武蔵を「よじょう」という作品でコケにしたりという、反権威的な硬骨漢というものだったのだが、これを読んで、いささかイメージが変わった。

あらかじめ断っておくが、日記の内容は戦時下の生活をつづったもので、いたって真面目で真剣なものなのだ。
連日発令される空襲警報に対し、地域の防空班長として、地域住民の避難などに尽力しつつ、そんな中でも小説を書き続けようともがく姿や、空襲の恐怖がもたらす切迫した死への想いに揺れる姿は、真摯で、深刻なものだ。

にもかかわらず、その読後感は、≪自意識過剰な派遣OLの痛いブログ≫を読んだみたい、というのが、偽らざるところなのだ。

その原因は、一にかかって、「がんばれ」という言葉の多用による。

食事后、机に向う、がんばれ。(P125)
河原から薯を呉れたので、食べて仕事にかかる、今宵はクリスマス・イーブである、がんばれ。(P139)
煮直したスキ焼で夜食、続稿だ、さあ幾らでも来い、がんばるぞ。(P150)
夜食してこれから仕事、朝までにあと十枚なり、がんばれ。(P170)

などなど、これは一部に過ぎない。

さしも文豪山本周五郎も、21世紀の今日、「がんばれ」という言葉が空疎で上滑りしている言葉の代表格になっているとは、想像だに出来なかっただろう。
「がんばれ」という言葉に失笑してしまうのは、現代人の悪い癖だ。

とは言え、

ゼヒとも続稿し終ろう。その後で年越の麦酒をやるとして、――しっかり周五郎。(P149)
次ぎは「婦道記」をやる、また当分のあいだみっちり仕事だ、それが己の全部である。「しっかり周五郎」。(P187)

という表現を見ると、その日一日のイヤな事や派遣の身分の不安定さを散々愚痴った挙句に、「ワタシ、ガンバ!」とか書いてるのと、どう違うのか、事態の深刻さは雲泥の差かもしれないが、メンタリティは変わらないんじゃないか、と思ってしまうのだ。

もうひとつ、申し訳ないが、この人物は無類の女好きなんじゃないか、との思いが浮かんできて、消すことが出来ない。
いや、山本周五郎に女性スキャンダルがあったとは聞かないので、むっつりスケベと言い換えた方がいいかもしれない。

例えば昭和18年10月23日、丹野という女性(所属不明)が原稿を取りに来るのだが、

二十三四であろうか、成熟した非知的な女で、盛を過ぎた沈丁花のような体臭を放つ、眼尻が下って唇許に緊りがない、五反田あたりの女給という感じである。

などと描写している。
あるいは、昭和19年3月16日には

女記者山口慶子、二十一、二のいいからだつき、おとなしくしとやかで、むすめの初心な匂とかすむような温かい雰囲気をもっている

と書く。
ついでに言うと、そうした良い面が男と伍して働いているうちに消えてしまうことを嘆き、年を取ってもこういう雰囲気を失わなければ「男性に対する魅力は消える時がないであろうに」などと書いている。

当時、新聞社や出版社の記者・編集者は、比較的女性に門戸の広い職場であったらしいが、それでも現在と比較すれば働く女性は珍しかっただろう。
稀少なものに対して好奇の眼を向け、事細かに書き留めるのは、やむをえない事かもしれない。

しかしそれにしたって、「盛を過ぎた沈丁花のような体臭を放つ」とか「いいからだつき」「むすめの初心な匂」というのは≪エロ目線≫以外の何ものでも無いだろう。

そんなわけで、山本周五郎のイメージは私の中で大きく変わってしまったのだが、同時に、その≪凡下≫な感じに親しみも感じたのであった。

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