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July 09, 2009

セロ弾きの合祀

軍楽隊じゃない人は合祀できません。

ある本を読んでいて、その記述に、なるほどと思った。

それは、戦場で死んだ軍用馬=戦没軍馬を、日本人がどのように祀ったか、について紹介した文章。

当初は仏式で供養が行われていたものが、やがて人間同様に神式で合祀されるようになるということを紹介しながら、こう書いていた。

また合祀という形式をもって祀るということは、建立以前の戦病没馬のみならず、建立以後に消耗される軍馬の霊魂もその対象としている。

ちなみに、「建立」というのは、軍馬を対象とした忠魂碑を、ということ。

あまりそういうふうに考えたことがなかったので、合祀についてのこの考え方には、蒙を啓かれた。
確かに、そうだ。

≪慰霊≫ということであれば、その慰霊を行う時点までに既に霊魂になってしまったもの=没したものを対象にしていることになる。
しかし、≪合祀≫なら、そこへはいくらでも追加が可能ということになる。

つまり、≪慰霊≫ならば、現実の死者を悼み、そこで過去を断ち切って、同じ悲劇を繰り返さない決意を表明する行為になりうるが、≪合祀≫では、未来永劫、悲劇的な死は繰り返されることを前提としている、とも言える。

それはある意味で現実的だが、現実的過ぎるとも言える。
平和は続くかもしれないし、続かないかもしれない、もし平和が続かず戦死した時は、いつでもお迎えしますよ、ということであって、平和を存続させるのだ、という意志は存在していない。
なるようにしかならぬ、という現実追認の意識しかない。

いや、もっと言うならば、合祀とは戦時の思想なのである。

明治維新以来、昭和20年の敗戦まで、断続的に戦争をし続けた時代の思想だ。

逆立ちしたって平和を祈念する思想にはならない。

神道には、御霊信仰と言うものがあるが、無念の死を昇華し、それを現世の人間の願望に転化していく、そのシステムとも、全く別の思想だ。
その意味で、あまり神道的とも思えない。

誰が合祀されているかという以前に、合祀というシステム自体を見直し、慰霊は慰霊で独立させるべきなんではないかと、思ったことであった。

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