大岡越前守ただスケベ
奉行のくせに色好みとは。
一方、これとは逆に、タイトルが異なっているので買ってみたら、実は同じものだったというものもある。
これがまた、事情が垣間見えて面白い。
先に買ったのは、「満洲国風物写真帖」だった。
小型の写真帖で、満洲国各地の風物の写真が掲載されている。
ただ、奥付がなく、発行年も発行者もわからない。
とはいえ、古書には少なからずあることなので、この時は気にもかけなかったのだった。
数年経って、今度は「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」というのを購入した。
品物が古書店から送られてきて、手に取った時に、どうもこの装丁には見覚えがあると思い、本棚を探って見つけ出したのが、先の「満洲国風物写真帖」だった。
案の定、装丁は同じ。
しかし、「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」はタイトルが表紙に直に印刷されているのに対して、「満洲国風物写真帖」の方はタイトルを印刷した題箋が貼り付けてある。
構成も、掲載されている写真も、途中までは全く同じなのだが、「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」の方は、タイトルの通り、『大連市催 満洲大博覧会 記念写真』という第二部が存在している。
逆に言うと、「満洲国風物写真帖」は、この第二部がゴソッと削除されているのである。
これで、奥付がない理由も判明する。
「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」は第二部の最終ページに写真と共に奥付が印刷されているのだが、これを削除したために奥付もなくなってしまったのである。
ちなみに、奥付はこうなっている。
昭和八年八月五日印刷
昭和八年八月十五日発行
編輯兼発行人 大連市役所 品田直知
印刷人 大阪市西区土佐堀通一丁目 永井太三郎
印刷所 大阪市西区土佐堀通一丁目 永井日英堂印刷所
発行所 大連市催 満洲大博覧会

ついでに言うと、裏表紙にも≪大連市催 満洲大博覧会発行≫とあるのだが、「満洲国風物写真帖」では、そこに≪特価二十銭≫と印刷した紙が貼ってある。
もうひとつついでに言うと、第一部の構成にも、1か所だけ違いがある。
「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」では、冒頭が
1)熱河離宮の口絵
2)武藤信義・鄭孝胥・荒木貞夫・永井柳太郎による題字
3)蒙古女性の口絵
4)蒙古女性の口絵の説明(口絵の裏面)
5)序文
6)大連埠頭の写真(序文の裏面)
となっているのだが、「満洲国風物写真帖」では、(3)の裏面にいきなり(6)が来ていて、(4)(5)がない。
不審に思って触ってみると、このページだけ紙が厚い。
光に透かして見て、(4)の面と(5)の面を接着してあることがわかった。
もう充分であろう。
つまり、「満洲国風物写真帖」は、「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」から満洲大博覧会に関する部分を削除したり、隠したりした上で再発売したものなのだ。
おそらくこういうことだ。
大連市が主催して満洲国大博覧会というイベントを開催した。
会期は昭和8年7月23日~8月31日。
そのパンフレットとして「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」が製作されたが、会期中に売り切ることが出来ず、在庫が残ってしまった。
そこで、この在庫品を一旦バラして、上記のような処理をした上で、製本し直し、再度商品として売り出した。
バラして製本し直したというのは、半分化粧を兼ねて用いられている綴じ紐のための穴が、開け直されていることからわかる。
表紙の縁が裁断されているのも、あやしい。
「満洲風物写真帖 附満洲大博覧会写真」は本体より表紙の方が少し大きい作りになっているのだが、これは、写真の通り、痛みが出やすい。
一度店頭に出して、それを回収したりしているうちに、この部分が汚くなった可能性は高い。
それを裁断して見た目を良くしたのだろう。
これらがなければ、逆に、すごく良く売れたので、永井日英堂が版下を流用して新たに商品化したという考え方も可能だが、この状況ではそうではないだろう。
それにしても、わざわざこんなことをしたところを見ると、よっぽど売れ残ったんだろうな。
大連市の担当者の焦った顔が目に浮かぶ。
こんな小細工をしてまで売りさばこうと考えたのが大連市の担当者なのか、永井日英堂の人間なのかは、私には確かめようもないが、涙ぐましい話である。
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