東北濁点ゴールデンイーグルス
汚点にならないようにね。
最近ちょっとひっかかっているのが、≪綾鷹≫というお茶のCM。
このお茶は、濁りこそがお茶の旨みであるというコンセプトのようで、CMもそこを強調するつくりになっている。
CMは、金髪の白人女性が「にこり」「あし」と言うのを、日本人の真田広之が「にごり」「あじ」と訂正するというもので、濁点=言葉の濁りとお茶の濁りを重ねたものになっている。
しかし、これって「チョーセンチン、チョーセンチンとパカにするな、おなち米くて、おなちクソする、ニッポンチンととこかちかう」と、どこが違うのだろうか?
このあたり、ちょっと微妙なところだが、私は人種・民族の差異を笑いにすることには反対ではない。
変だと思えば笑えばいいし、同時にまた、自分が笑いにされることを鷹揚に認め、そのことを逆に笑いとばせる者こそが、人として望ましい、平等性を具えた人物だと、私は思っている。
差異があるのはお互い様だし、立場が変われば、変に感じるのは仕方がないことなのだから。
逆に、それを認めないのは、一つの価値観しか認めない狂信者でしかないと思うのだ。
その意味で、朝鮮人・韓国人が濁音をうまく発音出来ないことを笑いにすること自体は悪くないと思っているのだが、ただ、歴史的経緯からすると、まだお互いにそれほど成熟していないので、時期尚早かな、と思っている。
ということを断った上で、ひっかかってしまうのは、こういうことだ。
同じCMを東洋人同士でやったら、私が思い浮かべたようなかつての差別をストレートに感じさせるものになってしまったはずだが、そこを白人女性にすることでごまかせると思っているんじゃないか、と感じること。
同時に、白人女性が最後まで濁音をちゃんと発音しないところに、しょせん毛唐に日本文化は理解できない、という驕りが見え隠れしているように感じること。
特に、真田広之の苦笑、というよりは失笑と見える笑いに、それを感じてしまう。
まあ、ただの考え過ぎでしょうが。
でも、お茶の濁りを言葉の濁りに変換して、商品の特性を伝える、というアイデアが俎上に上った時に、誰一人として私が思い浮かべたようなことを思いつかなかったとは思えないのだが。


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