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January 30, 2009

捕れ捕れピチピチカニ漁船

命に別状がないからこその冗談です。怒らないでね。

DVDをもう一枚。

「月世界征服」

1950年のアメリカ映画。日本では翌年公開されたそうだ。

アメリカ陸軍主導によるロケット計画は、打ち上げ実験の失敗によって暗礁に乗り上げる。
もはや政府はこの計画に予算をつけてはくれないだろうと判断した推進者のセイヤー将軍は、自動車および航空機の分野で成功を収めている実業家のジムに話を持ちかけ、民間企業の共同開発による月ロケット計画を進めることにする。
やがて原子力ロケットを搭載した月ロケット“ルナ”が完成。
しかし、原子力ロケットを不安視する政府当局は、打ち上げ実験を認可しない。
業を煮やしたジムは、実験抜きで、本番の打ち上げを実施することに決め、セイヤー将軍、ロケット設計者のカーグレイブス博士らとともに、月を目指して飛び出す。
打ち上げに成功し、ロケットは月に到達するが、月着陸時の逆噴射に燃料を使い過ぎて、月の引力圏離脱が難しくなってしまう。
やむなくカメラなどの実験機器や、通信機、宇宙服まで、何もかも月に捨ててロケットの重量を軽くし、辛くも月からの脱出に成功するのであった。

人類初の月旅行をテーマにしている点で、以前DVDで観た、「宇宙旅行」というソ連映画と同工異曲である。

月に行って帰ってくるだけのシンプルな映画だから、どちらがより現実的かを、比べてみたくなる。

現実の月ロケットをイメージすると、15年前の「宇宙旅行」の方が多段式ロケットである点で現実に近いが、ロケットが直立した状態から発射される点や、ベッド状になった座席でそのまま加速の際の重力に耐えるというスタイルでは「月世界征服」の方が実際に近い。
「月世界征服」では無線通信もあるしね。
一長一短というところではあるが、15年後の映画がそれではいかんだろう(苦笑)

とは言え、この後作られる日本のSF映画でも、宇宙ロケットは多段式を採用せず、ロケットがそのまま真直ぐ直立して月に着陸するパターンは踏襲されており、映画内の描写としてはノスタルジックなレトロフーチャーを感じさせて、好きだ。
まあ、ロケットのデザイン自体もこの映画のものとそっくりなのはご愛嬌だが。

途中で、船外活動中に博士がうっかり命綱から手を離し、宇宙空間に漂い出てしまい、それをジムが酸素ボンベの噴射を利用して救助に行くところは、なかなか良い。
もっとも、そもそも命綱と自分の身体を繋げるようにしていないという点が減点だが。

それにしても、システムは不明ながら、原子力ロケットの≪燃料が足りない≫という状態が、うまく理解できない。
放射性物質を噴射して飛んでいるのか?
それじゃ政府当局が発射実験を禁止するわけだ。

なかなか愉快なのは、ジムが企業家仲間に計画への出資を求めるプレゼンテーション用に製作し、劇中で上映される映画。
これがアニメで、あのウッドペッカーが登場して、宇宙旅行の原理について質問し、陰の声がそれに答えるという趣向。

実はこの部分が一番の見所かも(笑)

ちなみに、最終的に企業家仲間が出資に同意するのは、この映画のおかげではなく、セイヤー将軍の「誰かに先を越されて月にミサイル基地を造られたら我々はお終いだ」という発言を受けてのことである。

その点、1935年の「宇宙旅行」と1950年の「月世界征服」の間の世界情勢の変化が垣間見えて、ちょっとヤな感じがしてしまうのは否めない。

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January 27, 2009

警視高峰

あなたには捜査して欲しくないなぁ。

買っておいたDVDを観た。

「ロボット大襲来」

1954年製作のアメリカ映画。日本未公開のSF作品。

ある日、ノラが昼過ぎに目覚めると、電気もガスも止まり、ロサンゼルスの街からは人がまったくいなくなっていた。
無人の街をさまようノラは、やがて数人の男女に出会い、行動をともにするようになる。
その頃、アメリカ軍は、前夜遅くに突如襲来した謎の軍団と戦っていた。
それは、銃弾を寄せつけず、怪光線を放つ、遠隔操作ロボット兵だった。

という話。

出だしの感じは良い。
ノラが、少し謎めいた感じで目覚め、やがて自分以外の人間を求めて、無人の街を駆け回るところは、魅力的に思える。

果たして、何が起こったのか。
なぜ、街に誰もいないのか。
なぜ、クルマのバッテリーからラジオの電池まで、電源となるものが片っ端から無くなっているのか。

さあ、どういう理由をつけてくれるのだ。

期待していると肩透かしにあう。

敵が攻めてきたので市民はみんな避難しましたって、そんなんありか!
電気やガスが止まっているのは、敵にそれを利用させないために供給を止めただけだなんて。

現実的って言えば現実的だが、それは現実的過ぎてワンダーが無いぞ。

だいたい、避難するんなら、ノラたちもちゃんと連れて行ってやれよ。

まあ、ノラについて言えば、前夜、ロボットの襲来前に睡眠薬自殺を図ったが死にきれずに目が覚めた、という事情があるが、あとの連中の理由はいい加減だ。
飲み屋でケンカになって、殴られた拍子に気絶して、そのまま昼過ぎまで目覚めなかったって、なんだそれ。

街に取り残された主人公たちが事態を知るのは、偶然逃げ込んだホテルのロビーに配達されていた新聞を通してだ。
しかし、それって変じゃないか。

ロボット兵の襲来は前夜の午後11時だとセリフでは説明している。
そしてすぐに避難命令が出たことも新聞の記事に出ている。

じゃあ、その新聞は誰がどこで印刷して、誰がいつ配達したんだよ(苦笑)

まあ、しかし、そんなのはご愛嬌だ。

一番ズッこけるのは、ロボットが結局1体しか出てこないことだ。

セリフでは、ロボット軍団の総数は300と言っているが、集団で画面に登場することはない。
画面にいるのは、いつも1体だけ。
どこが「大襲来」だ。
まあ、原題は「TARGET EARTH」だから、「大襲来」なんてつけたのは日本の販売会社だろうが。

このDVDはアマゾン利用者ならご存知、「おすすめ」メールによって購入したものだが、そこで表示されるパッケージには巨大ロボットが描かれている。
巨大ロボットが1体だけなら許せるが、実際に登場するのは等身大ロボットだ。

そいつはあんまりだよ。

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January 26, 2009

仁義なき芳一

あっしは耳を無くした時から、仁義なんてものは赤間ヶ関に捨てたんでやんすよ。

下関紀行(そんな立派なもんか?)の最後に、本編サイトでは紹介しなかった狛犬の写真をいくつか。

Sumiyosi
今回一番ブサイクだったのがこれ。
長門国一宮・住吉神社の狛犬。
台座によれば、元々は昭和12年設置の金属製の狛犬があったが、戦時供出したので昭和19年に≪人造石≫で新しく据え直したもの。
セメントのことだろうが、外来語が使えないので≪人造石≫と記述したのだろう。
時代だなぁ。


Tomitou
これもブサイク。

富任八幡宮の弘化二年(1845)もの。
結構な先輩にブサイク呼ばわりは申し訳ないですが。


Yokono_2
前のめりな狛犬。
横野八幡宮。
足台から全体がはみ出すように前のめりになっている。
これでは随分石が無駄になったんじゃないか。






Momiji
これが今回見つけた中では一番古いもの。
紅葉稲荷神社のもので寛政三年(1791)。




Momiji_fox
同じ紅葉稲荷神社の狐はなかなか。
わかりにくいけれど、尻尾の先端に小さな玉が載っている。




Arimitsu
「有光」姓の石工の作品を5対見つけた。
「幾左エ門」「十兵衛」「重兵衛」の3人。
「十兵衛」が3対で、あとは1対ずつ。
年代的に見て3代か。
これは一番古い「幾左エ門」の作。
大歳神社。
寛政五年(1793)。

出雲系がいくつかあったが状態はどれも良くない。

Konpira_1
金毘羅宮には出雲系の丹後狛犬が2対あったようだが、こちらは原形を留めていない。






Konpira_2
もうひとつは“グリーンモンスター”ってところ。






Iminomiya
これは忌宮神社の末社・八坂神社のもの。
尻を上げた出雲狛犬。
もう崩壊寸前。


Suzugamori
鈴ヶ森神社の狛犬は、丹後狛犬のような姿でありながら、前足を大玉に乗せているという、とても珍しいもの。

これを写真に撮っていたら、ご神職になんかすごい顔で睨まれちまった。
けど、あなた、これが珍しいものだって気付いてます?


Ootsubo
私がニヤニヤしながら写真を撮っていて、気持ち悪がられたのがこれ。
大坪八幡宮の昭和十六年(1941)のもの。

本編サイトで触れた台南神社のものと同系列なのは間違いないでしょう。
ちょっと崩れてはいるけどね。


Nogi_1
そう言えば、乃木神社のものも台南神社に似てる。
大正九年(1920)のもの。

このアングルだとそうでもないけど。


Nogi_2
こっちから見るとそっくり。








ああ、楽しかった(笑)

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January 25, 2009

お医者様でも腐った湯でも

子供を病にするのは簡単なこと。

さて、1月5日は、この日中に帰宅しなければいけないので、下関市内の神社を廻るのは昼過ぎまでとする。

この日廻ったのは、前日廻れなかった下関駅西および北側の神社と、市の北側の横野から綾羅木のあたりであった。

さて、横野から綾羅木のあたりは、持参したロードマップでは、拡大図の範囲からはずれた郊外になるので、縮尺の関係上、細かい道が大雑把な地図しかない。
そのため、途中で道に迷いそうになったのだが、そこで役に立ったのが先日購入したばかりの新ケータイであった。
ケータイにGPS機能を利用したナビがアプリケーションとして備わっていて(というか、ある料金プランの契約条件として複数のアプリケーションの中からどれかを選んで契約せよ、というのでこれを選んだ)、それのおかげですんでのところで彷徨わずに済んだ。

初めてケータイが役に立った気分。

ちなみに、下関ではワンセグ放送も受信できた。
もっとも、ホテルの室内ではテレビがあるし、屋外ではバッテリーの心配があるし、全く用無しだったが。

さて、短時間だったが、十分成果もあったので、満足して帰路につく。

が、これが一仕事だった。

下関への旅を決断するのが遅かったため、飛行機のチケットが取れなかったのだ。
山口宇部空港発も、北九州空港発も、空席があるのは早朝の便くらいで、あとはすべて満席だったのだ。

この正月は1月4日が日曜日で、一般的な仕事始めは1月5日の月曜日。
だから、東京へのUターンは4日がピークで、5日の便なら空きがあるだろうという読みは完全にハズレだった。

ということで、陸路での帰京となったのであった。

で、飛行機のチケットが取れなかった時点で、小倉経由でのぞみに乗るという選択をすればよかったのだが、間抜けにも、新下関からひかりに乗るという選択をしてしまったのだった。

15:31 新下関発 ひかり470号
17:44 新大阪着
18:07 新大阪発 のぞみ146号
20:43 東京着
21:30 東京発 ホームライナー青梅3号
22:43 青梅着

下関駅から鉄道に乗ったので、その分も含めればおよそ7時間半の行程だ。

まかり間違って新下関から東京まで立ちっぱなしになったらかなわんと思い、自由席マニアの宗旨を捨て、下関に来る前にあらかじめ、のぞみ146号の指定席は取ったが、ひかり470号の方は指定席に空席がないと言われた。

その時点で、嫌な予感はしたのだ。

新下関駅に着き、新大阪方面行の新幹線ホームに出る。
プラットホームの端に、16両編成の末尾はこの位置だ、という意味の案内板が出ている。
わざわざ書いてあるからには、16両編成の列車もこの駅に停まるのかと思うだろ、普通は。
そして、それはこだまではなくてひかりだと思うのが、人情ってもんだ。

ひかりは8両編成じゃないか!

いま“えきから時刻表”で調べてみたら、新下関駅21:15発のこだま680号だけじゃないか、16両編成は。

そんなのありかよ(苦笑)

まあ、それは利用客が少ないのでは致し方のないことではあろう。

だが、私は言いたい。

混雑する時期なのに8両編成はないだろう。
なぜUターンラッシュが見込まれるのに、車両を増結しないんだ。

私の乗車したひかり470号の自由席は、満席で、通路一杯に人が立っている状態だった。
指定席も満席で、自由席から指定席への振替えも出来ないというアナウンスまであった。

東海道新幹線なら、初めから16両編成で増結の余地がないし、列車の増発も難しいから、同じ状況になったら素直にあきらめる。

しかし、コイツは8両編成だ。
どの駅も16両編成に対応しているはずだから、増結しても設備上の支障はきたさない。

10両編成だったら、立っている客もほぼ確実に座れたはずだ。
保有する車両数の関係はあるだろうが、新大阪行きのような距離の長いものだけに限定すれば、2両ぐらい増やせるだろう。

その程度のことも出来ない状態なのか、JR西日本は。

幸い、私はそばの席の客が広島で降りたので、以降は座れたが、結局新神戸まで立ち乗り客はいなくならなかった。

すごく不愉快な気分であった。

そう言えば、この列車で人生初の経験をした。

「ただいま、車内に気分の悪くなった方がいらっしゃいます。お客様の中にお医者様か医療関係者の方がいらっしゃいましたら、○号車までお越し下さい。」

おー、そんなこと本当に言うんだなぁ。

と思ったが、しかし。

“医者”はともかく、“医療関係者”レベルでも良いのなら、乗務員を少し訓練してはどうか?
あるいは救急救命士か看護師の有資格者を採用するとかさ。

ま、車内で急死者が出た時に、乗務員として医療に関われる人間がそもそも乗車していないのと、乗車しているのとでは、後者の方がより大きな責任を問われそうな気はするけど。

それにしても、これは山陽でも東海道でもそうだが、新幹線の客室乗務員は、どうして混雑して立ち乗り客がいる車内でも、巡回するのかね?
巡回して、迷惑な客を注意してくれるのならまだいいが、よほど度が過ぎない限り、見て見ぬふりするだけじゃんか。
それだったら、混雑してる時にはおとなしく乗務員室にいろよ。

新幹線の客室はもともと立ち乗りには向かない構造になっている。
そこへ、年末年始休暇の大きな荷物の合間を縫って、どうにか足場を作って立ってるのに、わざわざそんなところを通っていくなよ。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、イラつきながら、新幹線内での長い時間を過ごしたのだった。

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January 23, 2009

ブータンに真珠

採れないよ。

本日は写真特集。

Man
下関のマンホールはフグ。
いや「フク」かな?




Man2
こっちはミニサイズ。




Post
下関南部町郵便局前。

ちなみに、側にある説明板によると、丸ポストの発明者は下関在住の発明家・俵谷高七なんだそうだ。
でも、出身は島根だそうだが。




Post2
そんなわけで、忌宮神社にも。




Retro
対岸の門司港だけでなく、下関もレトロな建築物がいくつかある。






Ushi

旧山口銀行本店の牛(?)




Tori

関門海峡のカモメ(?)






Ishi

関門海峡の石。

何のために注連縄?






Ido

海辺に鳥居があると叫びたくなる。

「あんとく様、お許しを!」(by諸星大二郎)






Shiro

住宅の石垣にしては立派過ぎると思って近付いてみたら、櫛崎城跡の石垣なんだそうだ。
でも、上にあるのは一般の住宅だよなぁ?




Hinomi

火の見櫓発見。
電柱型だ。
半鐘がないのが残念。

でも、隣の電柱より低いのは、もっと残念(苦笑)

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January 22, 2009

なんてったってバイドク

いや、テレビをつけたら小泉今日子が出てたもんで。

明けて1月4日、さっそく狛犬を探しに出かける。

長崎や尾道は、「坂の町」と言われるが、下関も関門海峡に近い地域は、丘陵地が海岸に迫った坂の町である。

こういうところは何がツライと言って、たいてい神社が高い丘の上にあるのである。
石段登って狛犬の有無を確かめて、降りたらまた次の神社の石段を登って、また降りて・・・・の繰り返し。

消耗すること甚だしい。

ただ、これで狛犬が見つからないと泣きたくなるが、下関はなかなかの狛犬天国で、翌5日および、前回の出張のどさくさで廻った分も含めて、24社に足を運んで、19社で48対の狛犬(残骸も含めてだが)に出会えた。
まったく事前の情報なしで、しらみつぶしに神社を廻って、廻った神社の数よりも狛犬の方が数が多いなんていうのは、そうしょっちゅう味わえることではない。
しかも、その半数以上の28対が江戸時代のもの。
おおむね幕末だが、18世紀末のものもあった。

また、主目的の狙いに適う狛犬も多くあって、これぐらい成果があれば、疲れも吹き飛ぶというもの。

嘘です。
年齢も年齢なんで、疲れました。

でも、楽しかったのは確かだ。
ある神社で、嬉しさのあまり、笑いながら写真を撮っていたら、初詣客に気持ち悪いものを見るような目をされてしまったよ(苦笑)

まあ、「すごいわ、来た甲斐があったで」とか、ひとり言も言ってたしな。
気持ち悪いわな。

さて、1月4日に廻ろうと考えた場所は、下関駅周辺地域、乃木神社のある長府地域、長門国一宮である住吉神社のある新下関駅周辺地域の3地点。
それぞれの間は多少離れていて、徒歩だと廻りきれそうにない。

鉄道の駅は少なく、こちらの想定している調査ルートとかみ合わない。
そこで、地図を見てみると、路線バスがかなり縦横に走っているようなので、それを利用することにする。

それはいいのだが、この路線バスが余所者には非常にわかりにくい。

地図を見ると、路線が相当に錯綜している。
にもかかわらず、停留所に路線図が掲示されていないのだ。
そのため、バスがどこ行きなのかはわかっても、どこを経由していくのかが、さっぱり見当がつかない。
バスに乗車してみても、車内にもやはり路線図はない。
不親切この上ない。

一応、バス会社(サンデン)のwebサイトで、A地点からB地点まで行くのには、どのバスに乗ればいいのか検索できるようになっているものの、これも使いやすいとは言い難い。
パソコンから見る分にはまだいいが、こちらは停留所にいるのだ。
ケータイで見るでしょうよ、そういう時は。
もっとケータイで利用しやすい作りにして欲しいものだ。

ところで、この日利用した停留所のひとつに≪東駅≫というのがあった。

見たところ鉄道の駅もないし、律令制時代の駅逓の跡か何かなのかなどとつい深読みしてしまったが、そうではなかった。
帰宅してから調べてみたら、かつては駅があったんですね。

かつて小串駅―東下関駅間を走っていた長州鉄道というのがあって、その東下関駅があった辺りのことを土地の通称として≪東駅≫と呼んでいるらしい。
長州鉄道は山陰本線建設にあたって、小串駅―幡生駅間がその一部として国有化され、残った幡生駅―東下関駅間は、後に路面電車である山陽電気軌道に譲渡され、その一部となったのだそうだ。
路面電車が廃止となる1971年まで東下関駅は存在したということのようだ。

その場でピンとこないとは、やはり鉄分が薄いな、私は。
「地図で歩く路面電車の街」(今尾恵介)なんて本も持っているのに、全然気がつかなかった。

ちなみに、山陽電気軌道が、要するにバス会社としてのサンデン交通になるわけだが、観光客目当てに二階建てロンドンバスを走らせるくらいなら、私としては下関駅―長府駅間の路線だけでも残しておいて欲しかったと思うのだが、まあ、そうもいくまいなぁ。

でも、下関にはロンドンバスよりも路面電車の方が似合うと思うのだけれど。
Bus

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January 21, 2009

初脂

字面だけで特に意味はない。

いまさらだが、この正月休み、昨年11月に出かけた小倉・門司の対岸、下関に足を運んだ。
もちろん、狛犬を求めて。

その意図するところはこういうことなのだが、例によって、ダラダラと印象記を。

1月3日の昼過ぎに京都の実家を出て、新幹線を利用して下関まで行く。

学生時代から東京都内在住なので、東海道新幹線なら実家との行き帰りを中心に何度となく利用しているが、山陽新幹線となると、ほとんど馴染みがない。
そのため、当初は、新下関駅で降りて、そこから下関に向かえばいいと思っていたのだが。

新下関って、≪こだま≫以外は滅多にとまらないんですね。
もちろん≪のぞみ≫はとまらない。

というわけで、新下関駅は通り過ぎて、小倉駅まで行き、下関まで引き返す方が楽で早いと判明。

じゃあ、新下関駅なんか必要なのか?
新下関駅を出たらすぐにトンネルで、トンネルを出たらすぐに小倉駅なんだけど?

まあ、川島令三的に言えば、山陰新幹線との分岐駅になるのだろうけれど。

昼過ぎに出発したので、小倉に着いた頃には日は暮れている。

先日は、門司港から渡船で唐戸港に渡ったが、今回は在来線で、関門鉄道トンネルを通過していくことになる。
しかし、既に外が暗いので、トンネルに入る実感がさっぱりわかない。

下関に到着。

それにしても、小倉駅の在来線ホームといい、下関駅のホームといい、どことなく昭和の匂いに満ちている。
それも昭和40年代以前の。
何がとは指摘し難いが。

現状において走っている列車、4両編成とか、そういう寂しい列車に対して、むやみにプラットホームが大きいことが、往時の繁栄を感じさせ、それが郷愁となっているのかもしれない。

宿泊予定のホテルは下関駅東口からすぐのはずだが、東口から見渡しても見当たらない。
と言うか、東口を出るとすぐ目の前に歩行者用の高架デッキがあって、視界が遮られてしまう。

この高架デッキがよくわからない。

都市近郊の中都市の駅には、現在こういったデッキがよく見られる。

そういうのは、改札がプラットホームの上を跨ぐ高架上にあるような駅に造られるものだ。
改札を出ると駅の高架がそのままデッキにつながり、それによって駅周囲の商業ビルに直接入れるようにする。
一方、高架下はバスターミナルやタクシー乗り場にする。

最近はどこもかしこもそんな駅になってしまって味気ないが、そうやって人車分離することで、駅周辺の交通を円滑にしているわけで、それはそれで都市計画上は納得のいく話ではある。

ところが、この下関の場合、プラットホーム自体が高架になっていて、改札口は階段を降りた地上にある。
デッキの高さはプラットホームと同じ位で、当然ながら、階段かエスカレーターで登らないといけない。

しかも、デッキが周囲のビルに直結していない。
駅のすぐ側に大丸とダイエーの入ったシーモールという商業ビルがあるのだが、そこに入るためにはデッキから地上に降りないといけない。

目と鼻の先にあるシーモールへ、わざわざデッキへ登って降りて行くバカはいない。
皆、地上を歩いていく。

そして、デッキの下は、他所と同様、バスターミナルになっているが、そこも地上からアクセスできるので、わざわざデッキを経由する人もいない。

そうなると、結局のところ、駅前の道路の向うへ渡るための、ただデカいばかりの歩道橋でしかないのである。

初めからこういう風に造るつもりだったのか。
もっと大きな計画の、これは一部なのか。
それとも、挫折した計画の残滓なのか。

いずれにせよ、中途半端な感じは否めない。

そんなことを思いながら、泊まる予定のホテルにも直結していないので、地上をテクテク歩いて行ったのであった。

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