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December 28, 2008

訃報就労

過労死?

思えば年末は訃報のシーズンでもある。
歳も40を過ぎると、喪中欠礼のハガキが毎年数枚は届く。
人付き合いを極力少なくしている私でこれなら、世間の40過ぎの皆さんには、さぞやたくさんの嬉しくはないハガキが届いていることだろう。

随分久しぶりに覗いてみた『医学都市伝説』では、私の高校の先輩(面識はないですが)でもあるwebmaster氏が3ヶ月ほど前にご夫人を亡くしておられた。
その文章を読んでいたら、母親を亡くした時のことを思い出して、ちょっと泣きそうになった。

訃報ではないが、これまた久しぶりに西村郁代のブログを覗いてみたら、arcorhymeの相方であり、夫でもある高浪敬太郎氏が入院加療中とのこと。
退院しても音楽活動が続けられるかどうかなどと書かれているので、相当の状況のようだ。
またそろそろライブに行ってみようかと思って見てみたら、こんな状況で、ちょっとショックを受けた。

私自身はと言えば、実は父親に肺ガンが見つかり、右往左往した年であった。
幸い発見が早く、転移もなかったため、切除手術をすることが出来た。
5年生存率は80%だと医者には言われた。
術後の経過も順調で、いまでは酒も飲んでいる。
さすがにタバコはやめたが(笑)

思えば、8年前、父親が長年奉職した大学を定年になった時、その記念にと贈ったのが腕時計とライターだった。
腕時計は、昔、父親が結婚祝いに人からもらった腕時計を壊したことがあって、その罪滅ぼしを兼ねていた(ただし本人にはそんなことは言ってない)。
ライターの方は、酒を飲みながらタバコを吸うのは長年の父親の楽しみなので、健康でいる限りはその楽しみを続けてくれ、という意味だったのだが、よもや10年経たずに不要になるとはね。

あの時、酒がらみのものを贈るか、それともライターかと迷ったのだが、いつも持ち歩けるものをと思ってライターにしたのだった。

もし、酒がらみのものを選んでいたら、今頃は肝臓ガンになってたりして。

いや、冗談ではない。

ライターなんか贈ってないで、私は禁煙を勧めるべきだったのかも知れない。
そして、今後は禁酒を勧めるべきなのかも知れない。

しかし、当面はそうはしないつもりだ。

いきなりタバコも酒も取り上げるのは、人生の楽しみを奪うことにもなるから。

本人が酒より長生きを望むか、残された時間を楽しみ尽くそうと思うか、それ次第だ。

父親が、私が若い頃によく言っていたのは、

俺がお前の人生を代わりに生きられるわけじゃないんだから、自分の人生は自分で考えて決めろ

という言葉だった。

本人に対しては口には出さないが、この言葉をいまは父親に返すつもりでいる。

決めるのは父親だ。
私はそれにお付き合いするだけ。

それ以外に出来ることもないしな。

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December 27, 2008

機種流離譚

知り合いが、自分の理想の家を建てるには、3回ぐらい家を建ててみないとうまくいかないと豪語していたが、ケータイは何回ぐらいやってみないといけませんかね?

携帯電話を機種変更した。

直接の動機は、前のケータイのバッテリーがダメになって、フルに充電しても、インターネットに接続したりしていると10分ほどで切れてしまうようになってしまったからだ。
そして、もう一点、バッテリー交換ではなく機種変更にしたのは、前のケータイの機能が物足りなくなっていたから。

もともと私はケータイなど持つ気はなかったのだが、2年半前、仕事のことで強要されて持つはめになった。
その時、ささやかな抵抗として、ショップで「通話だけ出来ればよい」と言ったら、「それならこれになります」と言って見せられたのが、当時、CMも流されていた老人向けの数字キーだけがある機種だった。
それはあんまりだと思って、「もう少しマシなのはない?」と聞いて購入したのが≪A1405PT≫という機種だった。

通話だけ出来ればよいとか言いながら、メールもインターネット接続も出来る機種であった。

ただ、そこは出来るだけ機能の低いケータイを選んだので、インターネットに接続は出来るものの、この機種には対応していないサイトも多く、当初は希望通り通話以外には利用していなかった。

それが、利用しているプロバイダーがモバイルサイトを立ち上げ、そこからパソコン宛のメールも閲覧できるようになったことから、インターネットに頻繁に接続するようになった。
自宅も仕事も同じプロバイダーなので、便利だったのだ。

また、ブログは大半のところが閲覧できたので、最近では邪魔くさくなるとパソコンには触れずに、ベッドに転がって、インターネットを巡るようになってしまっていた。

となると、少し物足りないのである。

そんな訳で機種変更した。

その際も、前回のように、「ワンセグ放送なんか見れなくていい」「お財布ケータイなんか使わない」「海外に対応していなくても一向に構わない」と言って、変更する機種を探し始めたのだが、結局その全ての機能を持った≪W63H≫という機種に変更したのであった。

言行不一致も甚だしい(苦笑)

まあ、結果から言えば、私の住んでいる場所では、何度試しても『放送電波が受信できません』という表示が出るだけで、ワンセグ放送は視聴できず。
機種変更してから青梅市の外に出ていないので、まだ見られないままだ。
お財布ケータイはauとは別の会社との契約になるのだが、その契約していないので使えない。
海外にはいまのところ行く予定がない。

金をドブに捨てたようなもんだな。

なのに衝動的にこの機種にしてしまったのは、カメラが500万画素と聞いたから。

私が普段使っているデジカメは、最初に買ったPowerShotG1が330万画素、もう少し小型のものをと買ったIXYが400万画素なので、画素数はそのいずれをも上回る。
もちろん、写真の画質は画素数だけではなく、レンズのサイズなども考慮しなければならないが、とにかく、これだけの画素数があれば、デジカメのバッテリーがあがってしまった時の予備に使えるなと考えたもんで、ついこれにしてしまったのだった。

ちなみに、その隣に910万画素という、ほとんどデジカメに電話が付いたとしか言い様のない機種があったのだが、そこまではいらんと思って止めた。
迷ったけど(苦笑)

しかし、実際に使い始めて、大きな問題が。

バッテリーが持たない(泣)

買ったその晩に、フルに充電した上でインターネットに接続して、前のケータイでは表示できなかったサイトを見られるかどうかチェックしたり、新たにお気に入り登録などしていたら、3時間でバッテリーがあがってしまった。

すわ不良か、ショップに文句言いに行ってやろうか、と思いつつマニュアルをよく見ると、連続待受時間=約270時間、連続通話時間=約230分と記載されていた。
通話中は何もしなけばディスプレイは消えるから、つまり、ディスプレイを表示させ続けて(と言っても連続ではなく断続的にではあったのだけれど)3時間=180分なら、正常の範囲内としなければなるまい。

うーん、バッテリーの残量を気にしながら使わないといけないというのは、前のケータイの末期と変わらんじゃないか(嘆)

液晶ディスプレイが前のものより倍以上になっているので、その分電気を食うのはわかるけど。
でも充電時間が約140分で、連続使用だとその倍の時間まで持たないんじゃなぁ。

充電が出来ない外出時には、極力ディスプレイを使用しないようにって、それじゃ携帯じゃないよ。
まあ、外出中ずっとディスプレイを表示させ続けるってことは、ありえないけどさ。

まいったね。

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December 26, 2008

Jew は来ませり

先日の「周は来ませり」よりは、こちらの方が出来が良いな。

狛犬趣味の先輩である、たくきよしみつさんには一度お目にかかったことがあるだけで、あとは何度かメールでやりとりしたり、年賀状のやりとりがあったりという関係だが、そのたくきさんは、ご自分が『森トンカツ』の替え歌の作者であると主張なさっている方でもある。

詳しいことはここに詳しく書かれているが、なかなか信じてもらえないそうだ。

まあ、申し訳ないが、仕方がないことだろう。

確かに誰かが最初に言い出したものではあろうが、ああいうシンプルな替え歌は、もともと日本にある言葉遊びの系譜から逸脱したものではなく、ちょっと機転の利く人間なら、誰でも思いつくことができるような代物だ。

たくきさんが『森トンカツ』を思いついたという言葉に嘘はないだろうが、同時多発的に複数の人間が同じことを思いついている可能性も否定はできない。

私のこのブログの駄洒落タイトルも、「これはイケル」と思っても検索したら既に多くの人が思いついていた、なんてことはしばしばだ。

たくきさんは私より10歳年長なので『森トンカツ』だが、私たちの世代にも『瀬戸ワンタン』があるし、きっと下の世代にも、似たようなものはあるはずだ。

とここまで書いて、今度は私がひとつ宣言したい。

昨日、標語の事を書いていて思い出したが、私が考え出して、いまも流布している標語(?)がある。

それは火の用心の夜回りの際の掛け声。

『ボール蹴ってもストーブ蹴るな』

である。

あれは私が小学校5年生の時のことだから、昭和50年(1975)の冬のこと。
京都府長岡京市の実家のある地区の子供会で、火の用心の夜回りをすることになった。

火の用心の掛け声といえば、『マッチ一本火事の元』という有名なフレーズがあるが、それだけではつまらないので、何かオリジナルの掛け声を自分たちで作ろうではないか、という話になった。
言い出したのは、子供会担当の大人だったと思うが、何しろ、そういう話になったのだった。

その時に考え出したのが『魚焼いても家焼くな』と『ボール蹴ってもストーブ蹴るな』であった。
もうひとつあった気がするが、思い出せない。

『魚焼いても家焼くな』は、別の子供が考えたものだが、『ボール蹴ってもストーブ蹴るな』は、私が発案したものだ。

そう記憶している。

このフレーズは実家の地元の子供会にずっと受け継がれている。
何年か前に帰省した時も、このフレーズを用いて夜回りする子供たちの声が聞こえてきて、心の中で「それはおっちゃんが考えたんやで」とつぶやいたりした。

ところが、これが実家の地元の地区を越えて流布しているようで、いつだったか、実家とはまったく別の地区でもこのフレーズを耳にして、「へぇ―」と思ったものだ。

検索してみると、近畿地方を中心にこのふたつの言い回しは広く流布しているようだ。
『魚焼いても・・・』は『サンマ焼いても・・・』に変形しているようだが、『ボール蹴ってもストーブ蹴るな』は原形を留めている。

ちなみに、ご理解いただけると思うが、サンマは秋の魚で夜回りをするような冬の時期のものではない。
したがって、『魚焼いても・・・』の方がより古い形態なのは明らかである。

ということで、自称発案者からお願いです。

昭和50年以前に既にこのフレーズを使っていたという方、いらしたらご指摘ください。
私の記憶違いの可能性もあるので。

それと、どのぐらいの範囲まで広がっているのか知りたいので、自分の所でもこのフレーズを使うという方、その場所を教えて下さい。
孫子の代まで語り伝えたいので。

って、独身じゃねぇか、おまえ(苦笑)

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December 25, 2008

パックマンが来たりて笛を吹く

意味なし。

都バスに乗っていたら、「高齢者交通安全川柳」というのが掲示されていた。

大体において、こういうものはつまらないものと相場が決まっている。
川柳としての作品性よりも、標語性の方が重視されがちだから、そのあたりは仕方がないことではある。

しかし、この「高齢者交通安全川柳」は、標語性という点から見ても、実につまらない。

最優秀作品が

事故はだめ!長生きしてね おじいちゃん

だめでしょう、これは。

例えば、優秀作品の中の

出来たはず 脳と身体に 時差がある

とか

もみじ貼り 初心に返る 馴れし道

などというのは、川柳としてはいまひとつだが、標語として言わんとするところはよくわかる。

「年寄りの自信過剰ははた迷惑」

ということだ。
一応、5・7・5にまとめてみましたが(字余りだけど)、いかがでしょう。

それはともかく、年老いると、身体能力はイヤでも落ちるんだから、そこんところを自覚して、より慎重に注意して運転しなさいよ、と言っているわけだ。

しかし、最優秀作品は、意味が不明である。

「事故はだめ!」って、そんなことは言われんでもわかってる。

標語ならそのためにどうすべきかを述べていないと価値がなかろう。

大体、「事故はだめ!」って、どういう状況設定なんだ?

「おじいちゃん」は人を轢く側なのか?
それとも轢かれる側なのか?

それによって注意すべきことが違うだろう。

ちなみに、リンク先にある6作品を見ると、轢く側に対する注意を述べているのがはっきりしているのが上に引用した「もみじ…」の1句。
轢かれる側に対する注意を述べているのが「反射材…」の1句。
どちらともとれるのが上に引用した「出来たはず…」の1句。
轢く側だけど、モノが自転車なのが「自転車も…」の1句。
最優秀と「モデル地区…」の2句は、意味不明である。

それにしても、轢く側の立場のものも選んでおいて「高齢者を交通事故から守りましょう」と呼びかける警視庁も、根性が悪い。
本当は、「年寄りは運転すんな」と言いたいだろうに。

そのあたりの曖昧さが、最優秀作品にも出ているということだろうか。

いや、応募者には何の罪もないのだけれどね。

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玉砕ニュータウン

そして誰もいなくなった。

それにしても洛西ニュータウンである。

私が小学生の時に盛んに造成していて、中学生になる頃には入居も始まっていた。
同級生の中にも、洛西ニュータウンに転居するため転校して行った者もいた。

洛西ニュータウンは、小学生の脚でも自転車で30~40分もあればたどり着けるような場所ではあったのだが、心理的な距離が遠かった。
アクセス出来る道路も限られていたし。

だからこそ鉄道が必要だったのに、30年経っても実現しないとは。

そんな洛西ニュータウンだが、心理的距離があると言いつつ、造成中だった小学生の頃に何度か足を運んだ。

きっかけは地区の行事か何かで『化石拾い』に行ったこと。
いま考えると、それは厳密には『化石』ではなかった。
洛西ニュータウンのそのあたりは、元は湿地帯で、池か沼の底に堆積した泥が、時を経て青っぽい粘土層を成していた。
その粘土層の中に、往時の動植物が含まれていて、粘土の塊を割ると中からそれが出てくるのだ。

出てきたもので記憶にあるのは、ヒシの実や貝殻といったもの。
まあさして珍しいわけでもない代物だが、しかし、そんなふうに何かが出てくるのが面白くて、その行事以後、度々その場所に行ったのだった。

もっとも、造成が進めば、次第にそんな場所もなくなる。
そのうちにマイブームも去り、段々足も遠のいていった。

最後に見た洛西ニュータウンは、まだ完成には程遠い段階のものだった。

いまはどんな姿なのか、地下鉄が延伸されたら、ぜひ見に行きたい。

……って、いつだよ(怒)

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December 21, 2008

パリサイのキムチ

イエスはパリサイ人に言いました。
「なんじゃワレ、ゴチャゴチャぬかしとったら、キムチにして食うてまうど。」

鉄道(軌道)路線の延伸計画で、噂に聞いたのに実現していないものと言えば、京都市営地下鉄がある。

私の実家は、京都府長岡京市だが、京都市営地下鉄が計画された時から、ゆくゆくは長岡京市まで地下鉄が来るのだと聞かされてきた。
そんな話を耳にしてからかれこれ四半世紀。
いまだ実現の目途は立っていない。

京都市営地下鉄は、まず烏丸線の京都―北大路間で昭和56年に開通。
ちょうど私が高校に入学した年だ。
学校帰りに、河原町周辺にある映画館に行くのに頻繁に利用したものだ。
いまは北は国際会館まで延伸し、南は竹田で近鉄京都線と接続している。

そして、平成9年に東西線が開通。
と言っても、その時には京都生活者ではなくなっていたので、いつの間に?というのが実感だったが。
現在は東(南?)は六地蔵、西は太秦天神川という路線になっている。

この東西線が太秦天神川から先、洛西ニュータウンを経由して長岡京市まで来るはずだったのだが、洛西ニュータウンまでの延伸すら覚束ないという現状らしい。

wikipediaではその原因を

1.地下鉄の建設費が高額。
2.京都市の財政事情が芳しくない。
3.洛西ニュータウンに至るまでの梅津・上桂地域などの沿線人口がそれほど多くない上に、阪急京都線と競合する。
4.洛西ニュータウン自体の人口が横ばいあるいは減少傾向。
5.阪急桂駅以外に、阪急洛西口駅やJR桂川駅が設置されたため、交通の不便さがある程度解消されてきた。

としている。

しかし、1・2はともかくとして、4はむしろ、いつまで経っても鉄道が敷設されず交通が不便であることが、その原因なのではないだろうか。
原因と結果が顛倒していないか。

3では阪急京都線との競合というが、洛西ニュータウンから阪急長岡天神駅まで地下鉄を通して、阪急と乗り入れ出来るようにしたら、利便性が高まって洛西ニュータウンの価値も上がると思うのだが。

まあ、阪急京都線は、線路周辺に土地の余裕がないので、長岡天神駅を拡大したり、路線を複々線化したりすることは難しいだろうから、JRの長岡京駅まで引っ張る方がいいかもしれないが。

その意味では、太秦天神川から洛西ニュータウン方向へ延伸するより、いっそ洛西ニュータウンから長岡京市方向への工事を先行させた方が、効果が大きいような気もする。
住民が、京都へ行く人が多いのか、大阪・梅田方面へ向かう人が多いのかにもよるけれど。
いかがでしょうか、住民の皆さん?

そう言えば、つい先日帰省した際、JR京都線の西大路と向日町の間に新駅が開業していたのだが、それが5の項目に出ている桂川駅である。
その前の帰省の際に工事をしていたので駅が出来ることは気付いていたが、聞けば、この10月に開業したらしい。

しかし、この桂川駅って、洛西ニュータウンを想定したものなの?
ニュータウンからはかなり距離がある気がするが。

とは言え、こうして駅が出来たとなると、wikipediaでも指摘されているように、長岡京市へと延伸するより、阪急洛西口―JR桂川と繋いでいく方がいいのかもしれないな。
さらにその先を伸ばして、烏丸線+近鉄京都線のどこかに接続すれば、より利便性は増すんじゃなかろうか。

となると、長岡京市への延伸は幻になってしまうなぁ。

もはや住民ではない私にとっては、どうでもいいと言えばどうでもいいことだが、子供の頃に聞いて心に描いた未来予想図が実現されないのは、すごく残念なのである。

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ベッキーは幾万ありとても

世界中の女がすべてベッキーだったらと想像すると、死にたくなるよ。

知り合いがどこからか、≪立川まで地下鉄が出来る≫という話を仕入れてきた。
「へぇ、ホンマかいな」と思っていたが、直後に読んだ本にその話が登場していた。

川島令三著「図解 【新説】全国未完成鉄道路線 謎の施設から読み解く鉄道計画の真実」(講談社 2007年10月)がそれ。
私が買ったのはつい最近だが、2008年3月発行の5刷だから、よく売れた本のようだ。

この本によると、地下路線になることは確かだが、≪地下鉄≫というと語弊がある。
JRの計画だから。

話の流れとしては、こういうことらしい。

JR東京駅の有楽町寄りに京葉線の地下ホームがある。
この京葉線の地下トンネルを延伸する。
新宿を経由してたどり着く先は三鷹。
ここで中央線と合流する。

一方、中央線は、現在、東京から三鷹までは複々線になっているが、そこから先は複線なので、三鷹から立川までを複々線化する。
こうすると、特急列車の追い越し待ちをしなくてよくなるので、ラッシュ時の列車運行が楽になるし、三鷹から東京までは2路線になるので、混雑も緩和される。

三鷹―立川間の複々線化は国鉄時代から計画されていて、そのために用地が確保されていたが、問題が生じた。

例の開かずの踏み切り問題などもあって、同じ区間の高架化工事が行われている。
ところが、高架線の両側にはそれに沿って側道を設けることが求められている。
側道の分、用地が削られるため高架部分は複々線化できない。
そこで、その部分は地下に路線を造ることで、実質的に複々線化しよう、ということのようだ。

地下区間になるのは三鷹~国分寺と国立~立川になるそうだ。

厳密に言うと、三鷹を出て地下に潜り、国分寺の手前で地上に出る。
国分寺から西国分寺にかけては高架ではなく掘割になっているので、地上で複々線化する。
西国分寺を出ると国立の手前で地下に潜り、立川の手前で地上に出てくる。
という形になるらしい。

これを≪地下鉄≫と思い込んだ人がいて、それが伝わってきたわけだ。
と言うか、この本がネタ元じゃないのかな。

通勤客にはありがたい計画だが、京葉線トンネルの三鷹延伸が先になるということなので、当分実現しないのだろう。
また、経費がかかるのでJR東日本は消極的らしいが、国土交通省と東京都は強く推進しているということのようだ。

しかし、それよりもショックな記述がこの本にはあった。

多摩都市モノレールの延伸計画についての記述だ。

私は、多摩都市モノレールは青梅まで延伸されるという話を耳にしたことがあったのだが、この本によると、八高線の箱根ヶ崎に達したら、南下して、青梅線の羽村を経由して、中央線の八王子に向かうのだそうだ。

えー、そうなの?

青梅市西部に居住していてツライのは、鉄道が青梅線しかないことだ。
そして、その青梅線は他の路線に接続している駅が、上り側終点の立川以外には拝島しかない。
だから青梅線にアクシデントがあった場合、他の路線に乗換えることが容易ではない。

拝島までたどり着ければ、八高線で八王子に出ることも出来るし、西武線に乗換えることも出来る。
また、青梅市東部に居住していれば、八高線の箱根ヶ崎や金子がそれほど遠くはない。

しかし、青梅市西部からではどうしようもない。

まさかバスを乗り継いで西武線の入間市や飯能まで出るわけにもいかない。
時間もかかるし、それなら復旧を待った方がいい。

せめて河辺までモノレールが来てくれたら、多少は何とかできるのだが。

もっとも、この本によると、モノレールは片側2車線+歩道を持つ幅員26メートル以上の道路上に設置することに決められているそうだ。
最近、河辺駅北口の再開発がひとつの形をなしたが、あの駅前の通りは条件を満たしているのだろうか。
微妙な気がする。

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December 09, 2008

周は来ませり

かくして全能なる神は殷を滅ぼされた。

気を持たせるような文章で前回を締めくくったが、別にたいした話ではない。

この後、仕事に関係あったりなかったりではあったが、何ヶ所かの神社に足を運んでみたところ、面白い狛犬がいくつかあったのだが、1カット撮影→バッテリーがあがる→もうひとつのバッテリーに交換→1カット撮影→バッテリーがあがる→もうひとつのバッテリーに交換→1カット撮影→バッテリーがあがる→もうひとつのバッテリーに交換→・・・・・・・・・・という無限連鎖に突入したというだけの話である。
おかげで1体の狛犬を撮るだけで何分もかかってしまうし、目的以外の気になるものの撮影は控えざるを得なかったのが、残念であった。

Mekari_1
ちなみに、そんな狛犬のひとつがこれ。
和布刈神社の狛犬。

なぜこれが面白いのかは、まだヒミツ。
正月休みに今度は下関に行って、狛犬を探し歩いたら、なにか謎が解けないかと思っている。
そういうきっかけを与えてくれた狛犬である。

さて、写真を撮れなかったもののひとつが門司港駅。
関門鉄道トンネルが出来るまでは、こちらが門司駅だったらしい。
現在の門司駅は、トンネル開通以前は大里駅と言ったそうだ。
古い駅舎が残っており、また周囲にも古い建築物が現存しているということで、≪門司港レトロ≫と称して町おこししているようだ。
土曜日ということで観光客が多い。
カメラ女子が建物を撮影している姿もチラホラ。

私はと言うと、せっかくここまで来たついでにと、渡船で下関側に渡ってみることにする。

門司港からの渡船は下関唐戸港に着く。

港のそばに観光客向けの水産物市場のようなものがあって、これまた観光客でごった返している。

Dairen
そんな人波をすり抜けて、赤間神宮に向かう。
「平家物語」に関連する場所という意味もあるが、それより、ここに移設されている大連神社に興味があった。
あの、中国は、かつての関東州の大連にあった大連神社である。

意外に立派な社殿が与えられていて、驚く。

Dai_1
狛犬はこれ。
中国式の獅子だ。

資料室もあったが、社務所に言ってわざわざ開けてもらわないといけないので、面倒くさくなって引き返す。


Kame_2
港に引き返す途中にある亀山八幡宮も、狛犬が面白い。

この子供の姿はなかなかのものだ。


Kame_1
ただ、これはないよな。
移設の途中だと思いたいが。


唐戸からは巌流島へ行く定期便もあるのだが、今回は時間がないので断念。
門司港まで戻り、電車で小倉まで引き返す。

小倉駅バスターミナルで北九州空港行きのバスに乗ろうと待っている時に、奇妙なものに気がつく。

縦にまっすぐに立った虹である。
写真に撮ったが、写っていなかった。
だが確かに見た。

しかし、この日の天気は晴で、虹が見えること自体が不思議だ。

Niji
写真の≪平塚明太子≫の看板の左に、黒っぽい建物がある。朝日新聞西部本社の建物だ。
その左側の空中に縦の虹が見えたのだが、もしかすると、この黒っぽい外壁に反射した光が、外壁の構造か何かの関係でスペクトル分解されて、虹状に見えたのではないだろうか。

だとすると、これは日常的に起こっている現象のはず。
いかがですかね、小倉の皆さん。

って、こんなブログ読んでる小倉の人はいないでしょうな。

と言うようなことで、北九州をあとにしたのであった。

なんとなく、虹に始まり虹に終わった旅であった。

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December 05, 2008

おなかに赤ずきんちゃんがいます

ついでにバアさんもな、けっけっけ。

仕事の会合の翌日、同業者の一行とは別れて、仕事は仕事でも、個人的な仕事の方に時間を費やす。

で、ホテルを一人チェックアウトすると、その個人的な仕事のために、門司方向へと歩く。

前日、会合の途中にホスト側の地元の人間に「小倉から門司まで歩くとどのくらいかかるか」と聞いてみたら、「クルマでも25分はかかるので、歩けないですよ」と言われた。

デブと思って見くびってはいかん。
これでも、狛犬探しで歩くのには慣れている(最近はサボってるけどね)。
クルマで25分なら、要所要所で写真を撮ったりしながらでも、歩きで2時間半から3時間というところだろう。
その程度なら軽いものだ。

「門司まで一気に行きたいわけじゃなくて、何ヶ所か立ち寄るところがあるので、歩いてみますよ」
「いやぁー、だったらバスで行った方がいいですよ」

そう勧めてくれたが、土地勘がないところでの路線バスはかえって怖い。
と言うことで、とりあえず途中までは歩いた。

途中までというのは、ちょっと時間を食いすぎたから。

歩いたのは手向山公園というところまで。
そこまでは1時間ちょっとでたどり着いて、実に順調だったのだ。

なのに、時間を食いすぎたとはどういうことか。

理由のひとつは、この手向山が、標高は高くはないが、斜面が結構な急坂で、体力を消耗してしまい、少し休んだため。

Tansyo
それともうひとつは、ここが戦争遺跡だったこと。
この手向山は、明治20年の着工から昭和20年まで関門海峡防衛のための砲台があった場所で、その遺構が今も残っているのだ。
手向山に来た理由は他にあったのだが、戦跡探訪の方に気持ちを持って行かれてしまったんですな。

Hatuden
砲台の他に、観測所や探照灯台、発電所跡なんかが残っていて、その方面がお好きな方には飽きがこない場所だろう。
私も駆け足で見たつもりだったのに、結局1時間半近く、ここにとどまってしまった。

ちなみに、後で立ち寄った和布刈公園にある門司城跡の山にも、戦争遺跡らしいものがあった。
ただ、戦跡探訪は専門ではないので、それが砲台なのか、観測所なのか、よくはわからなかったが。

Musashi
さて、路線バスを利用して門司駅前までたどり着いたところで、今度はタクシーを利用してある場所に行ったのだが、そのタクシーのドライバーがなかなか愉快なおじいちゃんだった。

東京から出張で小倉まで来て、そのついでに仕事に関係のある場所を巡っているのだ、ということを告げたところ、こう言われた。

「私、東京には行ったことがないんですが、新幹線だとどのくらいかかりますか?1時間くらい?」

ああ、この人の頭の中に日本地図を見てみたい(微笑)

と言っても、別にバカにしたいわけじゃない。

その土地で生まれて、ほとんどその土地から出ることもなく、その土地で一生を終える生き方というのは、ある意味、尊敬すべき生き方だろう。
ほんの150年程前までは、それが当然だったのだ。

新幹線だ、飛行機だで、みんな東京との距離を縮めたがるけれど、それが良いこととは限らない。

話を戻して、手向山に到着する直前に立ち寄った場所で、いきなりデジカメのバッテリーがあがる。
えーっ、このタイミングかよ。

充電器は持参していたので、昨日切れていたら、夜に充電したのに。
くそー、油断した。

予備のバッテリーはあるが、実はこいつは充電を繰り返すうちにバカになった古いバッテリーで、フルに充電しても20~30枚くらいで切れてしまうような状態になってしまっているものなのだ。

念のために持ってきただけのものを使う羽目になるとは。

私のチェックも甘かったが、何でデジカメのバッテリーって、急にあがっちゃうのかね。
もう少し段階的に消耗具合が表示されれば、対処のしようもあるのになぁ。

なんとかバッテリーをもたせるために液晶ディスプレイは消し、こまめに電源を落とすようにして、騙し騙し撮影する。

とか言いながら、手向山で戦跡の写真をたくさん撮ってしまったので、後で泣くことになるのであった。

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December 04, 2008

或る「コクラン日記」伝

エディ・コクランが森鷗外の孫である証拠が、この日記の中にあるはずなんだ!

小倉は、仕事上の関わりのないわけではない土地だが、降り立つのは初めて。
というか、福岡県には、陸路で熊本まで行った時に通過したことはあるが、駅の外に出るのは初めてだ。

小倉駅前は、活気はあるが、なんだか街がゴミゴミして見える。
息苦しいというか、狭苦しい。

小雨混じりの空のせいで重苦しい感じになっているという部分もあるし、雨を避けて通ったアーケードのある商店街の道幅が狭いということもある。

加えて、駅前の大通り上にモノレールの高架があることも大きい。

モノレール自体は好きなんだけどね。
ちなみに、時間がなくて今回は乗れませんでした。
残念。

それにしても、さっき高架道路上から見た眺めには、ちょっとショックを受けた。
撮影場所はちょっと違うが、こんな眺め。

Img_1547

城というのは、都市の重要なランドマークだと思うのだが、これはないよなぁ。
平城で天守閣もあまり大きくないためにこんな眺めになってしまったのだろうが、なんだかすっきりしない。

もっとも、本来の天守閣は幕末に失われ、現在のものは昭和34年に再建されたものだそうだから、市民は城にあまり愛着を持っていないのかもしれない。
それならそれで、余所者がとやかく言うことでもないか。

城の背後にあるビル群は≪北九州リバーウォーク≫と呼ばれているようだが、写真右側にある珍奇な建物は北九州芸術劇場と朝日新聞西部本社とNHKであるらしい。

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このビル群の城とは反対側の道路向いにひっそりと旧小倉県庁の建物が残っている。
個人的には断然こっちの方が好きなんだけどなぁ。
そういうのは隣の門司で、≪門司港レトロ≫としてやっているので、小倉じゃやらないってことかいな。

出張の目的である会合の中で、北九州市は100万都市と言われて、そこで初めてそのことを知った。
そんなに人口が多いのか。
それだけの人口があれば、税収もなかなかのものだろう。
それなら市立の博物館・美術館を複数抱えられるわけだ。

もっとも、21世紀に入って、100万人を割っているようだけれど。

仕事を終えて本日宿泊するホテルへ。

このホテルのある場所の地名が≪馬借≫。

思わず、「有吉党は馬借でござる」という星由里子の台詞を思い浮かべてしまうが(岡本喜八監督の「戦国野郎」)、味のある地名だ。
そばには船場町・古船場町・魚町・鍛冶町・船頭町・米町なんてのがあって、いい感じだ。

ところで、ホテルでの隣室は、同じ会合に出席した同業者の若い女性だった。

今回は事務局を通して一括して予約したはずだが、そういう時って女性と男性はフロアを変えるとか、配慮するもんじゃないのかな。
もちろん部屋が隣だからって、何か出来るわけでもないけれど(する気だったのか?)

ちょっとホテルのあり方として疑問に思ったことであった。

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December 03, 2008

UFO待つの、一生

「お互い報われない人生ね、松五郎さん」
「オカルトと一緒にするな!」

改めて当日。

9時10分出発の飛行機に乗るために5時に起きねばならんところが都下のつらいところだ。
おまけに前夜なぜか寝つけず、寝入ったのが2時過ぎ。
3時間寝てない。

当然、青梅線から中央線にかけて爆睡。

ようやく頭がはっきりしてきたのが、東京モノレールの車内。
快晴の空に、富士山が映える。

そうか、モノレールから富士山が見えるとは初めて気がついた。
しかも、この辺り、うまくすれば地上からでも富士山の見えるポイントがありそうだ。

前にも書いたと思うが、昔、東京23区内で地上に足をつけて見える富士山の写真集を作りたいと夢想したことがあったので、そんなことばかり気になる。

なんにせよ、これだけ快晴ならば今日は飛行機から富士山がよく見えるに違いない。
そのために事前に窓際の席を予約しておいたんだしな。

と思っていたが、飛行機の離陸後、いつまでたっても富士山は見えない。

変だなと思っているうちに、地上に何か見覚えのある形の湖が、1つ、2つ、3つ、4つ、5つ、、、、富士五湖か?
ということは、富士山の真上を飛んでいるのか。

そりゃ富士山が見えんわけだ。

残念だが、東日本は快晴なので、地上がよく見える。
こんなふうに甲府盆地を一望したのは初めてだ。

羽田を離陸したら太平洋上に出ると思っていたので、進行方向右側の窓際の席を取ったのだが、眼下には海は一切見えない。
ずっと陸地だ。

これだけ天気が良ければ、海岸線がはっきり見えて、飛行機の現在位置が特定しやすいはずだが、陸しか見えないと、どうも場所がイメージし難い。
それでも、この感じは愛知県の岡崎市あたりじゃなかろうかと思ったところで、急に視界が雲で覆われる。
ここから西はずっと曇り模様。
東日本の快晴が嘘のようだ。

ちなみに、雲も好きなので、雲を眺めていたら、ふと気付く。

あそこの雲に虹色の円形のものがないか?

それは飛行機とともに移動している。
また、飛行機は、私の眺めている方向に対して太陽を背負う位置にいる。
ということは、ブロッケン現象が生じているのかな。
飛行機と雲の距離が離れすぎているので、虹色の光輪の中心には何も見えないが、高度を下げたら円の中心に飛行機の影が見えるに違いない。

案の定、飛行機が高度を下げ始めると、飛行機の影の周りを円形に虹が囲んでいる形になる。

すごい、こんなにきれいなブロッケン現象は初めて見た。

やがて、飛行機が雲の中に入り、ブロッケン現象は見られなくなる。
もう少し見ていたかったよ。

雲の下に出ると、間もなく空港が見える。
しかし、おかしい。
空港の形が地図で見たのと違う。

と思う間に、飛行機はそのまま空港の横を素通りしていく。

あ、あれは山口宇部空港か。

こんなに近い距離、低い高度で空港を素通りしていくっていうのは、初めてのような気がする。
セントレア(笑)を上空から見た記憶はあるが、こんなに高度が低くはなかった。

やっぱり、空港が近すぎると思うが。

やがて、飛行機はかなり海面近くまで降下し、その低い高度で進んでいく。
なんか方向が変な気がするな、と思っていたら、急激に左旋回し、旋回し終えたと思ったらランディング。

乱暴だな(苦笑)

以前小松空港で、「横風が吹いていますが、着陸を試みます。揺れますのでご注意ください」と機長が告げた上で着陸を強行した時に次いで、ビビるランディングだった。

北九州空港から小倉駅前までのバス乗り場に急ぐ。
空港構内にバスの券売機があるのでそこで切符を買ってバスに乗ろうとすると、整理券を取れと言う。
切符は買ったし、小倉駅前までノンストップだとアナウンスしているのに、なぜ整理券が?
と思ったのだが、小倉駅前バスセンターまでノンストップではあるものの、そこが終点ではないようだ。
それはいいのだが、切符なしでそのまま乗り込んで、下りる際に現金で支払ってもいいらしい。

決して儲けの大きい路線バスではなかろうに、なんという無駄。

距離で料金が変わる整理券式のバスでも、今時は、経費を減らすためであろう、最初の区間では整理券を発行しない場合も多い。
それに現金でもOKなら、切符を買わせるのは、切符の用紙や券売機の電気代が余分にかかるだけではないか。

その上、バスの券売機の横にはバス会社の職員がいて、切符の買い方を指導していて、しかも、空港の出口を出たらすぐ目の前がバス乗り場なのに、乗り場案内をしている職員までいた。
人件費かけすぎだろ。

よくこれで会社が潰れないな。

まあ、何か事情はあるのだろうが。

そんなことを考えながら、小倉に到着したのであった。

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二度あることはサンドバッグ

もう滅多打ち。

先月、北九州市は小倉に同業者の会合に出るため出張した。

会合は午後からなので、新幹線で前日のうちに京都の実家まで移動しておき、当日実家から小倉まで行く、という方法も考えたが、結局は当日飛行機で行くことにする。

さて、一番早いのはどういう方法かな、やはり福岡空港まで行って、新幹線で折り返すのが早いかな、山口宇部空港ってわけにはいかんわな、などと思いながら、愛用している「えきから時刻表」でルート検索してみる。

新北九州空港ってのがあるんですね。
知りませんでした。

ちなみに、後でわかったが、現在は既に≪北九州空港≫に改称されているので、「えきから時刻表」の表記は、ちと古い。

目的地はJR小倉駅から徒歩でいける範囲なので、北九州空港からバスで小倉駅前に行くのが、乗換えが少なく楽そうだ。
これにしよう。

それにしても、離島は別として、同一都道府県内に2つ以上空港がある都道府県というのはいくつあるんだろう。
面積の広い北海道、実は調布にも旅客用の空港のある東京都、セントレア(笑)が出来た愛知県、関空が出来た大阪府ぐらいしか頭になかったよ。
検索してみたら、青森・秋田・山形・石川・兵庫・広島・島根・鳥取・熊本もあてはまるみたいだけど、そんなに空港の数って多かったのか。

しかし、そうでなくても各県に空港のある九州で、福岡県に2つも空港がいるのかね?

まあ、今回の私の目的にはちょうど好都合ではあるのだが。

それはそうと、ここに表示されている便名の「SFJ」って何?
と思ったら、スターフライヤーって航空会社なんですね。
これも知りませんでした。

て言うか、北九州空港を知らん人間が北九州空港を拠点にした航空会社を知るわけがない(苦笑)

北九州空港には日本航空も乗り入れているが、時間がちょうどよかったのと、初物好きな性格もあって、スターフライヤーを選択する。

インターネットから予約したが、ちょっと不満が。

予約手続きの最後のページに、事前の座席指定をするページに行くボタンと、予約内容をメールで送信するボタンとがあった。
事前に座席を指定することにして、そちらのボタンをクリックすると、当然そのためのページに行くのだが、そちらには予約内容をメールで送信するボタンが存在しない。
つまり、先に座席を指定しようとすると、予約内容をメールで送信できない。

予約内容をメールで送信すれば、いまこの場で予約番号をメモしなくてもいいだろうと思って、メモせずに先に進んだら、そんな有様だったので、予約番号がわからないまま、当日を迎えることになってしまった。

まあ、結果から言えば、搭乗の際は自動チェックイン機にクレジットカードを入れれば良いだけなので、必ずしも予約番号を記憶しておく必要はないのだが、初めて利用する時には、ちょっとドキドキするぞ。

さて当日。

空港に行ってみると、全日空との共同運航である旨のアナウンスが流れている。
しかし、共同運航って言っても全日空は北九州空港には乗り入れていないはずだが、その場合の共同運航の意味ってなんなのだろう。

それはともかく、共同運航のおかげなのか、この便は満席だという。
確かに着席してみると、空席は見えない。
ちなみに、帰りもスターフライヤーを利用したが、そちらもほぼ満席とのアナウンスがあり、見たところでは9割以上埋まっていた。

そんなに需要のある路線なの?

もっとも、検索してみると、標準で170席の機体(エアバスA320)を144席に減らしてあるとのことで、その分満席にはなりやすかろう。

とは言え、席が減っている分だけ座席の前後幅が少し広くなっているのは、デブにはありがたい。

また、全座席に液晶モニターが装備されているのは、ちょっと高級感があって良い。

ただ、救命胴衣の装着方法をそのモニターで流すのみなのは、ちょっと残念。

誰も見ていないのに、真面目な顔してキャビンアテンダントが実演するのを、見ていない振りしてこっそり見るのが、ちょっとしたお楽しみだったのに(バカ)

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