ローゼンバス
いや、ローゼンの何たるかなんか、全然知りませんが。
さて、≪梅76丙≫系統が≪青梅駅前≫を出て最初の停留所が≪仲町≫である。
この「仲町」は、かつては消えた地名だった。
住居表示上は「青梅市青梅」だったのである。
先に青梅市は1町6村が合併したものと書いた。
厳密に言うと、昭和26年に青梅町・霞村・調布村の1町2村が合併して青梅市になり、昭和30年に吉野村・三田村・小曽木村・成木村の4村がそこに加わった。
合併の時点で唯一の町であった青梅町(以下、新青梅町)は、元々は、明治22年に勝沼村・西分村・青梅町(以下、旧青梅町)・日向和田村を合わせて誕生したものである。
現在の「青梅市青梅」は旧青梅町に相当する地区である。他の村も「青梅市勝沼」「青梅市西分町」「青梅市日向和田」となって、名称が残っている。
旧青梅町には、当然、その中の小地名があった。
それを消して「青梅」に一括したのが、新青梅町の誕生時点なのか、青梅市の誕生時点なのか、あるいはそれ以外か、手持ちの資料には記載がなく、また、面倒になってそれ以上は調べなかったので、わからない。
わからないが、とにかく旧地名が「青梅」にされてしまって消えていたのである。
青梅市ではそれを復活させた。
細かく言うと、「青梅市青梅」に一括されていた地名を「裏宿町」「森下町」「上町」「仲町」「本町」「住江町」「天ヶ瀬町」「大柳町」「滝ノ上町」に細分したのである。
時期は忘れていたが、青梅市のサイトの年表によると、平成10年10月のことになる。
さて、冒頭に取り上げた今尾氏の本では金沢市で平成11年10月に「主計町」という地名を復活させたことを取り上げ、
住居表示で消滅した町名が復活したのは全国初だという
としている。
青梅の方が先だと思うけどなぁ。
「主計町」は江戸期からの地名だそうだが、もちろん、青梅の方も同様で、地名を創作したわけではない。
旧青梅町地区は、江戸時代から市が立ち、『青梅縞』と呼ばれる織物で有名な繊維産業の一大中心でもあった。
また、青梅街道は『甲州裏街道』とも呼ばれ、武蔵御岳神社参拝や小河内への湯治の通り道でもあった。
そのため人の行き来が盛んで、宿場が形成されていた。
その宿場を「森下」「上宿」「中宿」「下宿」「新宿」と呼んでいたという。
このうち「上宿」「中宿」「下宿」「新宿」が、それぞれ「上町」「仲町」「本町」「住江町」に該当するわけだが、それらの名は、例えば、御岳神社参拝の道中記である「御嶽菅笠」(天保年間の成立)でも確認できる。
「森下」の西が「裏宿」だが、これも当然宿場にちなむ名であり、また、中里介山の「大菩薩峠」にも登場する江戸時代の盗賊『裏宿七兵衛』の名からも、古い地名であることはわかる。
ちなみに、「地図で見る多摩の変遷」に収録された地図は5万分1のため、細かい地名が確認できないのだが、少なくとも明治40年から昭和47年までその「裏宿」が記載されている。
また、昭和47年のものでは「天ヶ瀬」も確認できる。
ということで、どれもちゃんとした旧地名である。
ということで、『江戸時代からの旧地名の復活』において、青梅の方が先行している。
金沢市には、『県庁所在地としては全国初』と改めてもらいたい。
ちなみに、青梅で旧地名が復活出来たのは、住吉神社の大祭の影響が大きいように思う。
住吉神社の大祭では、上記の町ごとに山車を出し、お囃子を行う。
その結束が旧地名を温存させたのだと思う。
ついでに言うと、消えていた旧地名が復活したことで、逆に「青梅市青梅」が消滅した。
その結果、「青梅市青梅」が存在しないのに「青梅市東青梅」は存在する、という状況が生じた。
奇妙と言えば奇妙だが、と言って、「東」を取るわけにもいくまいから、このままにするしかないであろう。
ま、「青梅市東青梅」には市役所が存在するため、地名を変更した場合の影響が大きいということもあるのだろう。
全職員の名刺を取り替えたり、公文書の書式を訂正したり、なんてことに税金を使われるのも、ちょっと釈然としませんしなぁ。
ということで、終了。
間違いは無いよう気をつけたつもりだが、何かあったらご指摘いただきたい。


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