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September 13, 2008

ママーコンプレックス

ハインツやキャンベルじゃ嫌なんだよう!

「100発100中 黄金の眼」

「100発100中」の続編で1968年の作品。

「100発100中」は昔、名画座で観たと書いたが、これはまだ観ていなかったので、期待して鑑賞。

ベイルートに滞在中のアンドリュー星野に一人の少女が近づいてくる。
殺された父親の仇をとってくれる殺し屋を探している、という少女から1ドル銀貨を受け取ったアンドリューは、成り行きで少女の願いを叶えてやることにする。
ところが、その1ドル銀貨こそ少女の父親が殺された原因であり、世界に1枚しかないというサマンタ金貨を偽装したものだった。
やがて、この金貨をめぐって、金密輸シンジケートのボス、その配下の女殺し屋、シンジケートを裏切った男などがアンドリューの周りに群がり始め、金貨の争奪戦が巻き起こる。

という作品なのだが。

まず、ベイルートの描写が、何とも苦笑もの。
基本的に低予算のプログラムピクチャーなのだろうから、ベイルートロケが出来ないのは当然のこととしても、日本人が顔を黒く塗ってアラブ人を演じるのは、どうもなぁ。
しかも、それが、岡本喜八作品などで顔をよく見ている役者だけに、困ってしまう。

それと、白人からアラブ人まで、みんな日本語ってのは、違和感があるなぁ。
「100発100中」では、日本語の他に、中国語、フランス語、英語などが飛び交っていて、それが無国籍な感じを醸し出していて、実に良かったのだが。

前作同様、アンドリュー星野は宝田明だが、手塚刑事が佐藤允に替わっている。
これが惜しい。
佐藤允は、私にとっては岡本喜八監督作品でおなじみで、そちらでは好きな役者なのだが、この手塚刑事役では、前作の有島一郎との差が大きくて、ちょっと乗り切れない。
佐藤允も軽い演技のできる人ではあるが、有島一郎とは、軽さの方向性が違う。
しかも、あまり軽く演じていない。
変に重い。

組織を裏切って金貨を狙う黒川を演じているのは土屋嘉男で、これも重いなぁ。

映画のテンポもあまり良くない。
80分という短い作品なのに、冗長に思えて仕方がない。

しかも、シンジケートのボスが盲目というのは、ちょっと後味が悪いかな。
それを殺すわけだから。
ちなみに、このボスは目は見えないが、超指向性マイクを照準器代わりにしたライフルの名手という設定。
ボスとは別に、そういう殺し屋を出せばよかったのに。

登場する女性は2人。
一人は投げナイフの名手で、実は保険会社の調査員(サマンタ金貨に保険がかかってるんですな)のルビー。
演じているのは前田美波里。
顔が濃い。
でも、若くて肉付きが良い分、現在の前田美波里ほどは暑苦しくはない。

もう一人は、事件に巻き込まれたことをいいことに、それをきっかけにして有名になろうとする歌手志望で、ラリードライバーでもあるフーテン娘。
演じているのは沢知美。
前田美波里は脚線美こそ見せているものの、あまりお色気シーンはない。
お色気担当はむしろこちら。
それもそのはず、「11PM」のカバーガールやってたんですね、この方。
世代が違うので、知りませんでした。
ちなみに、この映画の中で、役名の歌手・斎藤ミツコとして歌っている「モッカラ・ゴー・ゴー」という曲が、You Tubeで見られるみたいです。
悪くない曲なので、興味のある方は探してみて下さい。

ただ、映画そのもののタイトル曲は、いまひとつノレない。
表現が合っているかどうか音楽のことがよく分かってないので自信がないが、スウィング調のジャズ(?)といった感じの曲で、スピード感が無いうえに、何となく重たい。

総じて、前作にあった軽さとコミカルさが欠けていて、スピード感も無い。

興行的に当たらず、シリーズがここまでで終ってしまったのも、仕方がないかな、という出来である。

ちなみに、昨日は伏せたが、主人公はインターポールのアンドリュー星野と名乗っているが、実は偽者で、本名は不明。
前作の冒頭に登場する、黒部進演じる口ヒゲの男が、本物のアンドリュー星野で、彼はその名前を騙っているだけなのである。

で、その正体は≪ママ≫という名称の組織に属する殺し屋である、とこちらの作品では説明される。

つまり、主人公はマザコンなんじゃなくて、言葉通り、ママの命令で活動していたわけなんですね。

それって、ちょっと興ざめだなあ。
マザコンキャラ、良い味出してたのに。

そういう意味でも、観なくてもいい続編でした。

うーん、残念。

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September 12, 2008

自己米混入

あ、自分んち用の無農薬米も出荷しちゃった!

前々からDVDにならないかと思っていた「100発100中」が、続編の「100発100中 黄金の眼」とともにDVD化され、セット販売されていたので、買ってしまう。

「100発100中」

1965年の東宝映画。
1987年に一度劇場で観ている。

観に行ったのは、名画座での三本立てで「殺人狂時代」(もちろん岡本喜八の)が同時上映されたからだが、この作品も都筑道夫と岡本喜八の共同脚本だ。
ずっと忘れていたが、DVDの付録でついていた岡本喜八のインタビューを読んで思い出した。

と言っても、インタビューによると、都筑道夫がほとんど制約なしで書いた第一稿を、岡本喜八が映画的に改稿したということのようだ。
その際に、岡本喜八もいくつかアイデアを入れたそうだが、監督の福田純によってことごとくカットされてしまったらしい。

場面順でなくあらすじを書くとこんな感じ。

青沼組に縄張りを奪われ解散した赤月組だったが、赤月組長らは青沼組への報復と組再興のため、中国人の黄からCRS拳銃100丁を密輸しようとする。
黄のボスはルボワというフランス人。
ルボワは別の武器商人の配下だったが、裏切って独立した男。
そのルボワを追って、パリから一人の男が日本に降り立つ。
その名はアンドリュー星野。
インターポールの捜査官を名乗ってはいるものの、どこか怪しいこの男が、警視庁の手塚刑事、女殺し屋のユミとともにルボワを追って、大活躍する。

アンドリュー星野は、二言目には「ママが・・・」「ママが・・・」と連発するのが口癖の、調子のいい男。
演じているのは宝田明。
あの独特の軽さとバタ臭さが、絶妙に役にはまっている。

星野が危機に陥ると、絶妙なところで助けに入るが、必ず敵にやられてしまう、敏腕だがどこか抜けている手塚刑事を演じるのは有島一郎。
ある意味一番おいしい役であり、作品のキーになる役でもあるが、それを見事に演じている。

ユミは爆発物の専門家で、演じているのは浜美枝。
少々芝居が若いが、かわいいので許す。
露出も多いしね(笑)
「007は二度死ぬ」でボンドガールになる前々年の作品になるのだそうだ。
本物のボンドガールの前に、ボンドのパロディと言うべき作品に出るってのも、妙なもんですな。

このユミは赤月組に雇われた殺し屋として登場するが、一方の青沼組の用心棒で、実はルボワの手下という男を演じているのが平田昭彦。
ウィスキーのボトルに入った硝酸をぶっ掛けるという奇抜な方法で相手を殺すという変わった男を、キザに演じている。

このキャラクターを見てもわかるように、基本的にアクションコメディだ。
アクションがどれもコミカルだし、道具立ても、まじめに考えるとバカバカしい。
しかし、テンポが良くて、とても楽しい作品に仕上がっている。

テーマ曲がまた素晴らしい。

背広を肩にかけ、世界をひとまわり、人見知りしないボクでも、可愛い子には胸がときめく……

などという、ふざけた歌詞を布施明がパンチの効いたボーカルで歌いますよ。
作曲者の佐藤勝の楽曲集や、「パンチ・ザ・ガイ」というコンピレーションのCD(ピチカートがらみで持ってます、これ)でも聴くことができるので、DVDを買う気にはなれないという方は、CDで歌だけでも聴いてみて下さい。

腰が砕けますから。

93分で長くもないし、機会があったら、観て損はないですよ。
酒でも呑みながら、「何でやねん!」と突っ込みながら観ると、笑えること請け合い。

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September 08, 2008

主婦とボール

ああ、このタマタマが……

ということで、野球はオリンピック種目ではなくなったわけだが、ある意味でそれは当然のことに思える。

オリンピックに採用されている球技といえば、思いつくところではバレーボール・バスケットボール・サッカー・テニス・卓球・水球・バドミントン・ビーチバレーなんかがある。

先日何かの雑誌で女子水球選手のオッパイポロリ写真が掲載されていたので、水球に女子があることに気がついたのだが、要するに上記の種目は、どれも男女が存在する。
男子バレーボールに対して女子バレーボールがあり、女子サッカーに対して男子サッカーがある。
いずれもオリンピック種目として、同じ競技の男女が対置されているのである。
そして、いずれも同じフィールド(コート)を使用し、同じルールで戦われている。

まあ、テニスでは男子が3セット先取に対して女子は2セット先取で勝ちになるという違いがあったりはするが、基本的には同じ競技である。

しかし、野球とソフトボールは似てはいるものの別の競技だ。
グラウンドのサイズは違うし、使用するボールは違うし、投手の投法も違う。
試合のイニング数が違うのは、まあ、テニスの例もあるので大目に見るにしても、これだけ違えば完全に別の種目でしょう?

それなのに、オリンピック競技として男子の野球に対して女子のソフトボールが対置されているのは、おかしなことだ。
それはいってみれば、男子サッカーに対して女子フットサルを、男子バスケットボールに対して女子ポートボール(小学校でやらなかった?)、男子バドミントンに対して女子羽根つきを対置するようなものだ。

要するに、女の子には野球は無理だ、あんな大きなグランドで、あんな固い危険な球を使って、140キロなんて早い球を投げたり打ったりするなんて、出来っこない、女子供は安全なソフトボールで遊んでなさい、ということでしょう。

ちょうどオリンピックと同時期に女子野球のワールドカップが開催されていたが、≪速球派≫と言われる投手が120キロ台の球を投げているようでは、男子に比べて非常に見劣りしてしまうことは否めないが。

それでも、オリンピック競技の中に野球を復活させようというのなら、その時に対置されるべきなのは、男子野球に対しては女子野球であるべきなのだ。

もちろん、女子ソフトボールに対しては、男子ソフトボールでなければならない。
本来、ソフトボールにはソフトボールの楽しみや良さがあるはずだ。
ソフトボールは≪擬似野球≫ではないはずである。

当然、女子ソフトボールの関係者は、男子にもソフトボールを普及させ、野球とは独自にソフトボールとしてオリンピック競技復活を目指すのが筋ってもんだろう。

まあ、別にオリンピック競技というのは、男女両方を揃えないといけないものではない。
≪男子シンクロナイズドスイミング≫なんてオリンピックにはないわけだし。

だが、少なくとも、野球とソフトボールをあたかも男女のペアのようにして扱うのは、不当なことだとソフトボール関係者は主張すべきだと思うのだ。

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September 02, 2008

大の生理学

本屋に行くと大をもよおすと言うのは脳が萎縮するからです。

スポーツネタが続くが、こんな記事があった。

自分一人では大きなプレッシャーに対抗できないというのは、わからなくはない。

本当かどうか調べていないが、NASAでは、宇宙飛行士を選ぶ際には既婚者の方を優先するという話を聞いた覚えがある。
家族がいる方が、宇宙でアクシデントに見舞われた時、もう一度家族に会いたいという思いで、捨て鉢にならずに何が何でも帰還するという意志を保ちやすいから、という理由からだと聞いた。

そんな気もする。

ただ、≪ソフトボールチームのメンタルトレーニングを担当した西田文郎氏≫の発言とされる2箇所に引っかかる。

「昨年2月から2カ月に1回、選手たちを指導してきました。北京出発直前の伊豆の合宿先も訪問しています。潜在能力を最大限、発揮するためには、脳を素直にする必要があります。しかし、自分だけのために戦っていると、脳は素直にならない。使命感や周囲への感謝の気持ちを持たせるようにします」

「オリンピックのような舞台で実力を出し切るには、ピンチに追い込まれた時でも、ワクワクと楽しくなるようにトレーニングしないといけない。ただ、勝ちたい、勝たなくてはという気持ちだけでは、ピンチになると脳が萎縮(いしゅく)してマイナスイメージが強くなり、結果を出せなくなります。人間は意外と自分を信じられないからです。使命感や周囲への感謝の気持ちを持った方が結果を出せます」

というのは、どうだろうか?

「使命感や周囲への感謝の気持ちを持たせるようにします」というのと、「ただ、勝ちたい、勝たなくてはという気持ちだけでは、ピンチになると脳が萎縮(いしゅく)してマイナスイメージが強くなり、結果を出せなくなります」というのは、矛盾していないだろうか。

「周囲への感謝の気持ち」はいいとしても、「使命感」って、「勝たなくてはいう気持ち」そのものなんじゃないだろうか。

大体、西田氏が実践させたことは「世話になった人に挨拶に行く」「心の支えになる人を紙に書き出させた」「高校時代に亡くなった恩師の墓参りをした」である。

どれも「周囲への感謝の気持ち」ではあるが、「使命感」とは関係ないと思うのだが。

西田氏は本当にこう発言したのだろうか?

また、記事の冒頭部分にしても「別に国民は感謝されるほどのことはしていないが」と書いているが、例示されているコメントは

やたら耳についたのは「周囲の人たちのおかげ」「テレビの前で応援してくれた皆さんに感謝したい」という言葉だ。
 北島康介も「自分ひとりではここまでこられなかった。この喜びをみなさんと分かち合えてうれしい」と語っていた。

というものであって、誰も≪国民≫だなんて言ってやしない。

どうも、この記事を書いた人物は、「選手が楽しんでくるなんてもってのほかだ」と言い放った石原慎太郎のような≪お国大好き≫人間なんじゃなかろうかという気がする。

≪お国大好き≫だから、「国民」とか「使命感」とか書かずにいられなかったんじゃないかね。

もう一つ、引っかかるというか、気持ち悪いと思うのが、「脳を素直にする」という表現。
まあ、単にレトリックの問題ではあろうけれど、なんだか、≪洗脳≫という言葉を思い浮かべてしまうよ。

大体、「素直な脳」ってどんな状態なんだろうか?
「自分だけのために戦っていると、脳は素直にならない」とは、どのような根拠からそう言えるの?

それから「ピンチになると脳が萎縮(いしゅく)してマイナスイメージが強くなり」って、「脳が萎縮」したら、重篤な病気だと思いますが。

どうにもわからない。

西田氏の発言の実態はわからないが、記事から受ける印象は、≪考えるのをやめ、国に感謝する心を持てば、お国のためにメダルが取れるぞよ≫というご託宣以外の何物でもないように思えてしまう。

考えすぎかね。

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