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August 30, 2008

皇女一宮

先日見たテレビのクイズ番組で「武蔵一宮氷川神社」を「むさしかずのみやひかわじんじゃ」と読んだアナウンサーがいた(私が見た範囲では訂正のテロップなどは出なかった)ので、ちょっと嫌がらせに。

私は以前から星野仙一は好きではない。
もちろん阪神タイガースの監督だった時も。

だから擁護するいわれはないが、オリンピックでの敗北は、別に星野のせいじゃないと思うが、どうか。

だって、星野の野球があんなのだっていうのは、初めからわかりきってたじゃん。
短期決戦向きじゃないって事は。

実際に、中日ドラゴンズ時代も阪神タイガーズ時代も、リーグ優勝はしたけど、日本シリーズには優勝してないんだから。
調べてみたら、中日ドラゴンズ時代なんか、2度の日本シリーズがどちらも1勝4敗。
ボロ負けだよ。
そういう意味じゃ、星野が監督なのに3勝もした阪神タイガースはすごい(笑)

また、今季不調な選手や故障を抱えた選手を何人も代表に選出したが、選手に対する好き嫌いが激しい、つまり、これと決めると状況に関わらずその選手に固執する、という傾向は、これも昔から言われていることだし。

そんな人物を監督に据えた奴が一番悪いんであって、星野(田淵・山本)の責任はさして重いわけではない。
頼まれたから(根回ししたかもしれんが)監督になって、今まで通りのことをやって、今まで通りの結果になっただけのことだろう。

こういう、監督に責任をおっかぶせてしまう傾向というのは、プロ野球にはよく見られる。
フロントが監督就任を依頼したのに、チームが低迷すると、監督の首は切っても、球団社長が退陣したりはしない。
それは無責任なことだと思うが。

多くの人が指摘するように、プロ野球機構がシーズンを中断するとか、もっと十分な準備期間を与えるといった配慮をせず、全く非協力的だったことの方が、星野より罪が重いと思うけどなぁ。

シーズンを中断するのがイヤなら、初めからプロなんか参加しなきゃいいんだ。
その代わり、ドラフトにオリンピック枠を設け、オリンピック代表選手候補はそこに入れて、プロ球団は指名はできるがオリンピック終了までプロ入りできないという規定でも作れば良かったんじゃないかな。
少なくとも2年ほど。

かつての杉浦正則投手のような人もいるんだし。
プロよりもオリンピックを優先する人材もいると思うよ。

ま、これでオリンピック種目からはずれたし、そもそもオリンピックに重きを置かない私としては、どうでもいいのだが。

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August 28, 2008

ソラリスに太陽がある限り

あなたの心の中のスターは永遠にスターのまま。

やっとオリンピックが終ったよ。

何度でも書くが、私はオリンピックという大会形式が嫌いなのだ。
というより、スポーツを国家単位で云々するのが、イヤなのだ。

そもそも、スポーツに国籍などは、もはや関係がなくなっている。

出身国から国籍を変えてオリンピックに出場している選手は多くいる。
ボルトなどのジャマイカの選手が陸上で躍進したのは、選手の海外流出に歯止めがかかったからだと聞くが、逆に言えば、ジャマイカ人は昔から他国籍で活躍していたわけだ。

外国人コーチの問題も取りざたされている。
中国をそれをうまく活用し、日本は活用できなかった、というような北京オリンピック総括記事を見たが、しかし、外国人のコーチに指導を受けて結果を出した場合、それはその国の名誉なのか?

井村雅代の指導を受けた中国のシンクロナイズドスイミングチーム。
選手は中国人だから中国人のチームであることは確かだが、しかしそれは、中国のチームなのか、井村のチームなのか?
井村は日本人なのだから日本のチームとすら言えるのではないか?

どうなのよ?

日本人だから、心情的に日本の選手を応援したくはなる。
だが、北島康介が優勝したら、同じ日本人である私がエライということにはならんだろう。

大体、何の根拠があって、結果を出した選手が、選手の出身自治体やチームなどの所属自治体の役所に表敬訪問して、市区町村長なんかと握手して写真に納まったりせねばならんのか。
もちろん、その延長線上の首相も然りだ。

日本の選手団長が、国はもっと金を出せというような発言をしていた。

議論の分かれるところだろう。

国が金を出せば、当然、国は口も出すだろう。
国民だって、口を出してくるにちがいない。

血税を受けている以上、国のために戦えみたいなね。

特攻隊かよ。

スポーツとは、それを行う選手が自由な意思で始め、自分のために努力し、結果を出すものだろう。

人がそれに感動したり、応援したりするのは、それは周りの人間の勝手であって、基本的には選手のあずかり知らぬことだ。

国がスポーツに金を出すのは、言ってみれば国民の福祉のためであって、国の名誉のためなんかではない。
国民がスポーツ文化に親しめる環境を作り、その延長線上でトップアスリートが活動できる場を作る。
選手はそれによって実力を高め、国民はその活躍を娯楽として楽しむ。

国と選手と国民の間の≪貸し借り≫は無しだ。

スポーツ選手を国家の名誉のために活用し、国民統合の象徴にしようなんて、日本はいつから共産主義国になったんだ。

話の筋がはずれるが、共産主義国と言えば、中国はこれからが肝心だろう。

パラリンピックである。

人権問題を取りざたされる中国で、パラリンピックで活躍できるような障害者がいるのか。
本来なら共産主義国は福祉国家のはずだが、実際のところはどうなのか。

そっちの方が気になるけどなぁ。


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August 19, 2008

慇懃ジョーンズ

はい、わたくしがジョーンズでございます。博士だなんて、滅相もない。僭称でございます。私などは、ただの墓荒らしでございますよ。

「シリーズ「遺跡を学ぶ」047 戦争遺跡の発掘 陸軍前橋飛行場」(菊池実 新泉社 2008年6月)という本があったので、購入する。

何となく感慨深かったから。

私には20年ほど前、2年ばかり発掘で口を糊していた時期がある。
短期間だったが、上水遺跡や武家屋敷や、数ヶ所の遺跡に関与した。
バブル期の東京都心部だったので、現場の数には事欠かなかったと言える。

関与した遺跡のほとんどは江戸時代の遺構を中心としたものだった。

江戸遺跡の発掘は、1970年代半ばに本格にスタートし、1980年代終わりのその当時、既にそれなりの蓄積があった。
それでも、考古学の花形は古代以前の古い時代で、江戸時代の遺構などは軽んじられている雰囲気が、まだ感じられた。

近世以降というのは文献史料が豊富にあるから、何となく考古学はその補助的に見えるのかもしれない。
実際は、文献には残らないこと、考古学でしか判明しないことは、いくらでもあるのだが。

また、古い時代の遺構を扱う者からすると、それを後の時代の遺構が壊してしまっている例はいくらでもあるので、忌々しい気持ちもあろうし。

そういう、遺構に切り込んでいる後世の掘削の痕跡を≪撹乱≫と言ったりするのだが、さて、私がいた現場では、明治以降のものはその≪撹乱≫扱いしていた。
大体、主にいた現場では、発掘期間を短縮するため、重機で現在の地表面から関東ローム層の上面まで一気に1.5mほど掘り下げてから、ローム面に残る遺構を対象にして発掘していた。
もちろん、試掘の上で決定した方針なのだろうが、その1.5m分には厳密に言えば最低でも明治以降の痕跡は残されていたはずで、それはその時には発掘の対象ではなかったわけだ。

別の現場では、今は走っていない都電の路線に関係するような遺構らしきものがあったが、工事と並行して作業する現場だったので、その辺りの新しい時代のものは、無視せざるをえなかった。

そうした経験に照らして、≪戦争遺跡≫が発掘の主たる対象となっていることに、感慨を覚えたのだ。

まあ、私が関心を持っている海外神社も広い意味では≪戦争遺跡≫のうちだろうし、その延長線上で、多少は≪戦争遺跡≫にも関心を持っている。
だから、そうしたものに興味を持って調べている方々がいることは知っているが、正規の発掘の対象になりうる、あるいは既になっている、という感覚はなかった。

もっとも、この本の謳い文句自体に「戦争遺跡発掘の意義を訴える」とあるくらいだから、まだ緒についたばかりなのだろう。

あまりにも近い時代のために、そんな発掘なんか行わなくても、あの戦争のことはいくらでもわかる、と思ってしまいがちだし、そういう考えの上に立って、情緒的に戦争を語りがちだが、本当は、発掘によって得られた明確な事実の積み重ねの上で、戦争を考えるべきなのだ。

たとえ戦争を実際に体験している人でも、自分の目に見える範囲のことしか、結局は確信をもって語れない。
また、人は勘違いもするし、嘘もつくし、口をつぐみもする。

だから、発掘によって得られる物証が必要となる。

「戦争が終わって僕らは生まれた」世代が、定年になる時代だ。
それを経験した人は、向こう20年でほぼ絶滅するだろう。

だが、逆に言えば、生きているうちは世間をはばかって秘匿されていた史料が、世に出てくる可能性もある。

本当にあの戦争のことが見えてくるのは、これからなのかもしれない。

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August 10, 2008

ボーン・オドリタイカイ

≪ジェイソン・ボーン≫シリーズの第四弾!舞台は夏の日本!三池炭鉱でボーンが踊る!

「宇宙大戦争」は、1959年の東宝作品である。

かれこれ22年前に、今はない浅草東宝で、「世界大戦争」「惑星大戦争」「緯度0大作戦」とともにオールナイト4本立てで観た。

その時に、「世界大戦争」以外は、作品としていただけないものばかりだと思ったのだが、物のはずみでDVDを買ってしまった。
「緯度0大作戦」は買わなかったのに(苦笑)

地球上空の宇宙ステーションが謎の円盤の攻撃で破壊される。
それに続いて、世界中で、鉄橋や客船が空中に浮かび上がるという事件が発生する。
この事態をうけて、世界中の科学者が東京の国際宇宙化学センターに集まり、事件の解明を測るのだが、イラン代表のアーメッド博士が突然、破壊工作を始め、それを阻止されると、「地球人はナタールの奴隷になるのだ」と言い残して消滅する。
これによって一連の事件は遊星人ナタールによる侵略行為であると確信した科学者たちは、開発中のロケットSPIP号で、ナタールの基地があると推定される月へと強行着陸する計画を立てる。
ナタールの攻撃をかわしながら、ナタールの月基地に接近した科学者たちは、建設中の基地に打撃を与え、地球に帰還する。
やがて来るナタールの攻撃に備え、地球上の各国は科学者たちの指導のもと団結し、迎撃態勢を整える。
そして決戦の日。
甚大な被害を受けながらも、地球人はナタールを撃退したのであった。

と、あらすじにしてしまうと、なんだかまあまあの作品に思えてしまうが(苦笑)

メカだけ見ていれば、カッコいいんだけど、設定や、描写が無茶だらけで、なんだか恥ずかしくなってくる。
まあ、大人になって観る映画じゃないけどさ。

でも、月に空気があっちゃマズイだろう。

特撮でも、都市の破壊シーンなんか、あまりにもハリボテ感が強くて、ちょっと情けなくなってくる。
発泡スチロールにしか見えないんだもん。

映画の設定は1965年。
製作時の6年後に巨大宇宙ステーションがあるってのは、随分無理な設定だなぁ。
何でもっと未来にしないのかね。

都市が破壊されるシーンが、普通の現在の街並み(もちろんその時点でのね)だからかな。

でも、21世紀になっても、人は地べたを歩いてて、普通にガソリンエンジンの自動車が走ってて、瓦屋根の家があって、都市の空中にはエアチューブもないし、まだリニアモーターカーも走ってないしね(苦笑)
月旅行も実現してないし、おかげでアポロは月に行ってないとか言い出す輩もいる始末だし。

1965年の東京と、2008年の東京は違うと言えば随分違うけど、別の次元にドラスティックに変わった訳じゃない。

思い切ってこの映画の設定を2010年にしたって、実はそんなに違和感はないのかもしれない。

私が死ぬ時になっても、≪未来≫はずーっと未来のままなのかもしれんな。

そのことの方が、チャチな特撮よりも、ずっと虚しい気がするぞ。

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August 09, 2008

平均オリンピック

可もなく不可もなし。

遡ること2週間。
その月曜日も丸一日家にいたので、買ったままのDVDを2枚観る。

1枚は「宇宙戦争」、もう1枚は「宇宙大戦争」と、しゃれてみた(苦笑)

いや、しゃれどころか、一字違いで大違いなんですけどね。

「宇宙戦争」は、近年のリメイク版ではなく、1953年版。
ジョージ・パル製作、ジーン・バリー主演の。
この有名な作品を、まだ観ていなかったので、以前DVDを買ったのだが、観ずにほったらかしていたのであった。
ちなみにリメイク版は観ていない。

もちろん、H・G・ウェルズ原作だが、その原作も、子供向けのリライト版しか読んだことがない。
それも随分昔のことなので、大枠しか記憶にない。

ある日、隕石のような物体が落ちて来るが、そこから現われたのは火星人の乗り物だった。
強力な光線兵器を持ち、地球人のあらゆる攻撃を撥ね返すその乗り物に対して、人類はなす術がない。
もはや人類は滅びるしかないのかと思われた時、火星人の攻撃がやむ。
火星人は、地球上の細菌に侵され、死に絶えてしまったのだった。

というストーリーは、本を読んでいなくたって誰でも知っているものだろう。

さて、映画だが、開巻、いきなり説明である。

火星人は絶滅の危機に瀕していて、他の惑星への移住を計画する、と。
太陽系の他の惑星の難点を挙げて、最終的に地球がターゲットとなったのであった、ジャーン、というような説明が。

今ならいきなり隕石の飛来から始まるところだろうが、当時は、観客のSFリテラシーが低いと判断したのだろうか。
いや、近年のパターンだったら、登場人物たちの日常生活、とりわけ夫婦の危機とか、恋人たちの諍いとか、そんな話から始めそうだが、ようするに、それが「インデペンデンス・デイ」だよな。

ちなみに、結末もナレーションでの説明である。

それにしても、原作は、こんなに宗教色の強い作品だっただろうか。

十字架を掲げて、異星人とのコミュニケーションを試みる牧師が、有無を言わさず殺されてしまう場面はあったように思うが、ラストシーンって、教会で祈る人々の前で火星人の乗り物が停止してしまうんだったっけ?

おまけに、最後のナレーションは、「(火星人を倒したのは)神の創造した最小のものだった。創造主の英知により地球は守られたのである」ときたもんだ。

なんだかちょっと釈然としないが、アメリカ映画だから仕方がないか。

特撮は素晴らしい。
色んな資料で目にはしていた火星人の乗り物は、とてもそそるデザインだ。
動きはあまりないけれど。
火星人は最後まで全身は映らない。
タコ型ではないことはわかるが。

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August 08, 2008

草履持ちジャパン

「しこしこジャパン」はネット上に、腐るほど、本当に腐るほどあったので、男子の方をターゲットにしてみました。

やはり今週の月曜日。
洗濯物が溜まりに溜まっていたので、一日家にいて洗濯しまくり。
一息ついた頃には外は雷雨。
ということで、買ったままのDVDを観る。

「東京スパイ大作戦」

パッケージには『日本劇場未公開作品』と謳われているが、さもあろう。
1945年のアメリカ映画だから。

アメリカでの公開が終戦より前だったのか、後だったのかはわからないが、なんにせよ、微妙な時期の作品だ。

「田中上奏文」というものがある。
田中義一首相が、極秘に昭和天皇に対して行った上奏であるとされるもので、その内容は日本が世界征服し、天皇が世界を統治すべきであり、その足がかりとして中国侵略を行うというようなものであるらしい。
読んだことはないので、詳しいことはわからないが、国際的な反日世論を喚起するための偽文書であるとされている。
ただ、中国侵略の手段として満州獲得を謳っており、それが実際の日本のその後の戦略と一致していたために、本物と信じる者も多く、東京裁判でも日本の侵略の証拠として取り上げられそうになったのだとか。

その「田中上奏文」の争奪戦を描いた作品である。

英字新聞『東京クロニクル』の記者ニック・コンドン(ジェームズ・キャグニー)は、日本に迎合的な社長の方針に反して、日本の軍国主義に強い警戒感を持っている。
そのニックの友人で同僚でもあるオリーが、ある日急に金回りが良くなり、突然、新聞社を辞めて帰国すると言い出す。
不審に思うニックだが、案の定、オリーは殺されてしまう。
死の間際にニックは彼から「タナカ文書」なるものを託されるが、内容を確かめる間もなく日本の警察に踏み込まれ、連行されてしまう。
翌日釈放されるものの、オリーの死は隠蔽され、とっさに隠した「タナカ文書」も消えていた。
タナカ・ギイチ首相から面会を求められたニックは、「タナカ文書」を奪ったのは日本側ではないことを悟り、紙面に自分が10日後に出国するという記事を載せて、「タナカ文書」を奪った相手をおびき出そうとする。
そこに接近してきたのはアイリスという女。
彼女の正体はタナカ首相の秘書兼スパイ。
だが、首相から「タナカ文書」奪還を命じられている彼女こそ、実はオリー殺しのどさくさに「タナカ文書」を奪った人物でもあった。
中国人と西洋人のハーフである彼女は中国の自由のために「タナカ文書」を世界に公表することを願っていたのだ。
アイリスの裏切りを知ったタナカ首相だったが、彼女の逃亡をゆるしてしまい、あとをトウジョウ大佐に託して切腹する。
アイリスからの連絡で彼女と落ち合ったニックは、軍国主義に反対するタツギ殿下に「タナカ文書」の信用性を保証する署名を書き入れてもらうが、日本の秘密警察に嗅ぎつけられ、タツギ殿下は射殺されてしまう。
ニックは、自分が秘密警察をひきつけている間にアイリスを逃がし、自分もどうにかアメリカ大使館の前までたどり着くが、そこで銃撃を受け、日本の警察に取り押さえられてしまう。
だが、アイリスに「タナカ文書」を託し、自分ではそれを身につけていなかったため、警察は彼を逮捕できず、駆けつけたアメリカ大使館員によってニックの身柄はかろうじて助けられるのであった。

時代的に仕方がないと言えば仕方ないことだが、日本人を非日本人が演じているので、違和感はある。

タナカ首相の切腹も、噴飯ものだ。
大体、田中義一は切腹して辞任したわけじゃないし、その後を受けたのは東条英機じゃない。
史実が無茶苦茶だ。

だが、日本側に協力するアメリカ人がいたり、逆に軍国主義に反対する日本人がいたりして、案外公平な作りになっている。
主人公のニックは柔道を習っているし、日本の秘密警察も暗殺はするが、それほど残虐ではなく結構優秀だ。

ま、日本人は想像よりも優秀で狡猾だから舐めてはいけませんよ、という戦意高揚効果を狙っているのかもしれないが。

変な日本は当然出てくる。

それにしても、欧米人は日本の風呂をどうしていつもあんな変な風に描写するのか。
脱衣所ならともかく、風呂場の端っこで新聞読んでる奴がいたり、障子があったり。

ただ興味深いのは、場違いな日本語は登場するものの、場違いなだけで、言葉そのものが変というものはあまりない。
あ、セリフは当然全て英語なので、書かれている日本語ということだが。
旅行会社のポスターに「昭和時代」と書かれていたり、本屋に「だんご」の張り紙があったり、「草紙」(いつの時代だ)と書かれていたりするのは、場違いだが、言葉は間違っていない。

その点では、40年近く後の「ブレードランナー」に出てくる日本語の方が、ずっと変だ。

目前の敵だけに、デタラメが過ぎないように気を使ったのかもしれない。

そんな風に思ったりしたのであった。

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August 06, 2008

沈黙の了解

シリーズ第何弾になるんだ?

月曜の午前中、何気なくテレビをつけたら、高校野球中継をやっていた。

常総学院対関東一高。

あれ、高校野球って、初戦でいきなり近県同士が対戦しないようにブロック分けされてなかったっけ?
最近はまったく高校野球に興味がないからなぁ、まったく事情がわからんよ。

と思いながら眺めていたら。

場面は7回の裏、関東一高の攻撃。
試合は、12対4で関東一高が8点リードしている。

そんな状況で、四球で出塁した関東一高の選手が二塁へ盗塁をした。

何となく不快感を覚えた。

日本人メジャーリーガーが増えたことで、アメリカのメジャーリーグに存在する≪アンリトンルール≫というものが日本にも知られるようになった。
要するに≪不文律≫あるいは≪暗黙の了解≫ってことですね。

ホームランを打っても派手に喜ぶなとか、0ストライク3ボールで次の球を打つなとか、確かそんなのがあったはず。

検索したら、こんな感じ

思うに、勝ち負けに拘泥して、対戦している相手のプライドを傷つけるようなことはするな、というような精神なのだろう。

ま、いささかナイーブ過ぎる気もしないではない。

ホームランを打ったりや三振を取っても喜ぶなってのは、どうなのか。
それこそ野球の喜びだろう。
それがなければ、そもそも野球をやる楽しみがないじゃないか。
その程度の感情は出しても良いと思うのだが。

そうかと思えば、それに対してボールをぶつけたり、殴りかかったりして、力で報復する野蛮さもある。

アメ公の感覚はよくわからん。

傷つきやすい乱暴者?

アメリカ人そのものと言えば言えるのかな。

しかし、日本人の私でも納得できるものもある。

大量にリードしている試合の終盤で盗塁をするな、というのは、そんな納得できるもののひとつだ。

それを関東一高の行為は犯している。

競った試合での盗塁はスリリングな行為だが、大量リードしている試合でのそれは嫌がらせみたいなものだ。
勝ちたいからって、そこまですることないじゃん、見苦しい。

というのが、私の感じた不快感である。

高校野球は所詮コドモの野球である。
だから突然崩れて大量失点することは、いかな強豪校でもありうる(オトナのはずのプロ野球にだって起ることだし)。
実際この試合でも、関東一高は1イニングで一気に7点とって、試合を決定付けた。
逆のことが起るかもしれないから、1点でも多く取っておきたい、というのは、勝敗だけを重視する立場からは当然の行為だろう。

しかし、高校野球は教育の一環なのだろう?
対戦相手への敬意を失わないことは、教育としてのスポーツの最も重要なポイントではないのか。

最近は容認されるようになったが、かつてはホームランを打って派手なガッツポーズをしたら、ホームラン取り消し、なんてことをしていた高野連が、なぜ今回の行為を黙認しているのか、理解しがたい。

こういう意見には、最後まで手を抜かずに攻撃することこそ、相手への敬意だ、手を抜くことの方が侮辱だ、という反論があるだろう。

しかし、すでに大量失点で動揺している相手を、さらに盗塁でかき乱そうとするのが、フェアプレーだとは思えない。
盗塁なんかしなくたって、正々堂々とヒットを打って得点すればいいじゃないか。

それが手を抜かないということではないか。

と、思ったりした定休日の暑苦しい昼間だった。

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August 03, 2008

纏足への階段

つまり女坂ってことですか?

その「スターシップトゥルーパーズ3」の上映の際、「ヘブンズ・ドア」という日本映画の予告編が流れた。

厳密に言うと、これから制作されるので、制作予告か。

「ヘブンズ・ドア」なんて言われると、「ノッキンオンヘブンズドア」を思い出すなぁ、などと思っていたら、なんと、そのリメイクだとスクリーンで謳っていた。

マジですか?

「ノッキンオンヘブンズドア」は1997年のドイツ映画。
私は1999年の10月に、劇場で観た。
ノストラダムスの予言がはずれたおかげだ。

余命わずかと宣告された2人の若い男が、終末期病棟で出会い、人生の最後に、まだ見たことのない海を見るために、病院を抜け出す。 ところが、海までの足にと、たまたま目についた高級車を盗んだところ、それがギャングの車で、しかも、取引に使う大金が積まれていたため、ギャングに追われることになる。

そんな基本設定の映画である。

避けられない死を目前にした人間の物語(実際、主人公は最後に死ぬ)という、下手に作れば湿っぽい、お涙頂戴の陰気な作品になるところを、アクションあり、笑いありの作品に仕上げているところに、この作品の良さがある。

そもそも、なぜ主人公の2人は、海に向かうのかと言えば、「天国じゃみんな海の話をするんだぜ。海を見たことがない奴はのけ者になるしかないな」という、そんなこと聞いたこともないよ、というバカげた理由からだ。

しかし、バカげているが故に、純粋で、最後の最後に沁みるのである。

また、2人が男で、恋愛が絡まないのも良い。
男の世界で終始するからこそ、ある種の≪おとぎ話≫になっている。

そこが、この映画の味だ。

それなのに。

リメイク版は、主人公が長瀬智也と福田麻由子だという。
男女でもあり、大人と子供でもある。
しかも、目指すのは思い出の海なんだそうだ。

完全に泣かせにかかってるよ。

別の映画だよ、それじゃ。

余命わずかな主人公が海を目指す、という設定が欲しいだけなら、別にリメイク権なんか買い取らなくたって、勝手に作ればいいじゃん。

余命わずかと宣告された主人公が何かする映画なんて、それこそ「生きる」やら何やらいくらでもある。

リメイクと謳ってなければ、別に何の文句もない話だ。

でも、リメイク。

釈然としない。

ああ、それから、どんな作品にでも少女を絡めるのは、宮崎駿だけで十分だよ。

「スターシップトゥルーパーズ」は日本人が作った方が良かったと昨日書いたが、この映画は日本人では逆にダメだ。
私はそう思う。

まあ、実は監督は日本人じゃないみたいなんだけど。

でも、なんかイヤ。

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August 01, 2008

宇宙の1000CC

そりゃ、スケールが小さいな。

この月曜日のこと。
久しぶりに国会図書館に行って調べ事をしようと思ったのだ。
国会図書館が開館する9時半までに到着するには、自宅を7時少し過ぎには出なければいけないのに、目覚めたのが7時だったのだ。
それでもいいからと出かける用意をしたが、シャワーを浴びたりしていたので、9時を過ぎてしまったのだ。
ようやく家を出ようとしたその瞬間、雷が鳴って、大雨。
夕立じゃなくて朝立ちかよ。
意気阻喪したので、雨がやむまで家で待機して、昼頃から映画を観に行ってしまったのだ。

「スターシップトゥルーパーズ3」

しばらく前に友人と話をした時に「『…3』って、マジかよ」と笑ったのだが、まあ、1作目も2作目も観たからお付き合いで。

でも、ストーリー自体は悪くはなかった。
少なくとも、辻褄は合ってる。

昆虫型宇宙人≪バグス≫との戦争はまだ続いていた。
第1作の主人公ジョニー・リコは、現在は最前線のロク・サン植民星の基地の指揮官になっている。
そこへ、突然、人間軍の総司令官にして、国民的人気歌手(どんな設定だ)であるアノーキが視察にやってくる。
そんな中、突然基地の電源が落ちて、防御壁の高圧電流が切れたため、バグスが基地内に侵入し、基地は陥落、アノーキ総司令官は辛くも宇宙船で脱出する。
リコはその責任を問われ、軍法会議で絞首刑と決まるが、かつての部下で、今は将軍となっているハウザーによって刑場から救い出される。
ハウザーによると、実は、総司令官が乗った宇宙船はロク・サンを脱出した後、バグスの攻撃を受け、ある惑星に不時着したのだが、彼らの発している救難信号を軍の上層部は無視して救援隊を派遣しないのだと言う。
しかも、総司令官と共に行動しているパイロットのローラは、人間軍の宇宙艦隊の秘密基地“聖域”の場所を知っているため、それをバグス側に知られたら、人間側は一気に不利な情勢になってしまう。
そこで、リコに上層部には極秘で彼らの救助に向かって欲しいと言うのだ。
ところが、リコ率いる救助隊を送り出した後、ハウザーは軍上層部の権力争いによると思われたこの事態の意外な真相を知るのであった……

なんだか長くなったので、ネタバレは避けておく。

で、この映画だが、売りは何と言っても≪パワードスーツ≫である。
ハインラインの原作「宇宙の戦士」に登場し、後のSFに多大な影響を与えた、最重要アイテムでありながら、過去2作には登場せず、「こんなのは『宇宙の戦士』じゃない」と多くの人を呆れさせた、アレである。
原作を読んでいない私でも≪パワードスーツ≫のことぐらいは知っていて、ガッカリしたんだから、ファンはさぞやと思う。

この映画の中では≪マローダー≫という名を与えられている≪パワードスーツ≫だが、映画の原題自体が「STARSHIP TROOPERS MARAUDER」というのだから、それが一番の売り物のはず。

ところが、ほんとに映画の最後の最後にちょっと出てくるだけなの(泣)
10分に満たないぐらい。

えー、そんなのないよ。

前半でハウザーが植民星の農民と乱闘になるシーンだとか、後半でアノーキ総司令官やローラたち6人が延々砂漠を歩いていくシーンとか、はしょっちゃっていいから、もっとマローダーを出せよ!

終りなき戦争の悲惨さとか、全体主義的軍事独裁体制の恐怖とか、内容的には重要だけど、もっと比重が少なくてもいいんだけどなぁ。

ということで、ストーリーはまともだが、見せるポイントをはずしている映画、と言えばいいだろうか。

ちなみに、オッパイ好きな人には良い見せ場あり。
映画の設定では、マローダーの乗員は、全裸になって身体全体のスキャンデータを取らないといけないらしい。
その場面で、ね。

しかし、原作を読んでいない私ではあるが、≪パワードスーツ≫はロボットではなく、装着する特殊な戦闘服みたいなものだということは知っている。

で、肝心の≪マローダー≫だが、うーん、ほぼロボットだよね、これ。

人体のスキャンデータを取る必要があるという点では、装着するという感じに近いし、台詞の中で身体の動きに反応して動くというようなことは言っていたが、デザイン的にはロボットだ。
人体よりかなり大きいし、あの≪マローダー≫の脚には人間の脚は入らないよなぁ。
実際、胴体部分の中に乗り込んで操縦しているようだ。

それは≪パワードスーツ≫ではないような。

でも、人体サイズにすると、ロボコップみたいになりかねないか(苦笑)

この「スターシップトゥルーパーズ」シリーズ、日本人が作った方が面白かったかも。
日本人なら、まず≪パワードスーツ≫ありきで全体を構想するだろうから。

でも、さすがに第4作は作られないだろうし、このまま残念なまま終幕となるのであろう。

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