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March 28, 2008

飯能小説

「いや、なかなかの作品だと思うんですが、どうして主人公が関係をもつ女教師も隣の人妻も友達の母親も、揃いも揃って飯能の出身なんですか?」

下の記事のコメントに対して、何か良い≪埼玉の地名ネタ≫駄洒落をと思って、思いついたのがこんなのでした。

最近ひたすら眠い。

気を抜くと、四六時中何処ででも眠りそうになる。

おかげで本が全く読めない。
商売に差し障ること、この上ない。

以前から、睡眠中にいびきが突然止まるということは指摘されていたが、体重が100kgを越えた頃から、その度がひどくなっている。
いわゆる、睡眠時無呼吸症候群というやつだ。
おかげで眠りが浅い。

そこへ持ってきて、この時期は、数年前から始まった花粉症で鼻が詰まる。
さらに眠れない。

おまけに、夜間に何度も尿意を感じて起きてしまう。
寝付いてからほぼ2時間ごとにトイレに行く。
そのせいで、最近は目覚まし時計をセットしなくても、寝過ごすことがない。
ありがたいような、ありがたくないような。

ところで、愛読する医学都市伝説で、少し前に面白い研究が紹介されていた。

夜間の頻尿には、尿意によって目が覚めるのではなく、目が覚めるから尿意を感じる場合があるというのだ。

つまり、熟睡していれば、膀胱にある程度の量の尿が溜まっていても、尿意がブロックされて、睡眠が継続されるが、目が覚めてしまうとそのブロックが解除されて、尿意を感じてしまうというわけだ。

非常に合点がいった。

太っている⇒気道が圧迫される⇒睡眠時無呼吸症候群になる⇒睡眠が浅くなる⇒目が覚めやすくなる⇒尿意を感じる⇒トイレのために起きる

そういう流れだったんですな。

それにしても、子供の頃は、むしろこれとは真逆である「おねしょ」に悩まされていた私が、こんなになってしまうとは。

睡眠で、子供の頃と違うと言えば、夢だ。
最近は、眠りが浅いせいもあってか、夢が記憶に残らない。
だから、本当にそういう夢を見ていないのかどうかは、実は定かではないのだが。

10代の頃までは、追いかけられる夢をよく見た。

ということを、ここ数年お気に入りのドラマーである中原由貴のブログを読んで思い出した。

学校の教室にいて、ふと窓の外を見ると怪獣がいて、逃げなければと思って走るのだが、体が前に進まず、なかなか校舎の外に出られない、やっと出られたと思ったが、怪獣が背後に迫っていて、ああ逃げ切れないと思ったところで目が覚める。

とか。

正体不明の黒いスーツの男たちに追われて、実家の近所の阪急電車の線路脇にある三角形の公園に逃げ込むが、隠れる場所もなく、やがてまた男たちに発見されて、逃げようとするが足が前に進まず、スローモーションのような動きになってしまう。

とか。

田んぼのあぜ道で、抜け首に見つかり、追いまわされ、転倒したところで目が覚める。

とか。

あ、ちなみに、「抜け首」というのは、妖怪ろくろ首が、首を長~く伸ばすと、しまいに首が胴体から抜けて飛び回るようになるとされており、それを特に「抜け首」と言うんですね。

要するに、宙に浮かぶ顔に追いかけられるわけです。

この夢は何日か立て続けに見て、すごく嫌だったという記憶がある。
しかも、転倒して目が覚めたのに、改めて眠ったら、また同じ夢を見てしまう。
何とか眠らないようにしようと悪戦苦闘した思い出があるよ。

「抜け首」は、胴体を隠されるなどして、胴体に戻れなくなると数日で死ぬというような知識はあったのだが、夢の中で、胴体を探して見つからないように隠す、なんて器用なことは出来ませんからなぁ。
それに、死ぬまで数日ということは、その間は追いかけまわされるわけだし。

まあ、何もしなくても、いつの間にかこの夢は見なくなったが。

中原由貴は、こういう嫌な夢を見ると、夢の中で後向きにでんぐり返りをすると目が覚めるのだそうだ。
なんじゃそれ(笑)

私の場合は、ある時期から、「これは夢だ、目を覚ませ」と夢の中から現実の自分の命じて、無理矢理目を開かせるということが出来るようになったので、悪夢はそれで乗り切れるようになった。

今は夢が記憶に残らないので、このテクニックが役に立っているのかどうかわからないのだが。

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March 19, 2008

入間の竪琴

「水島、一緒に日本へ帰ろう!」
「うるせぇ、埼玉は日本じゃないってのか!」

掲示板をなくしてしまったので、ここで本編サイトの更新について。

海外神社の狛犬―台湾の場合』という論考をアップしてみた。

私が初めて台湾を訪ねたのは1998年

その時には、日本統治時代に台湾に神社が創られ、そこには狛犬もあったらしいと知ってはいたが、そんな通り一遍な知識があるに過ぎなかった。

それが、台湾には神社の“痕跡”が多く残って降り、そこには現存している狛犬もあるということを知ったのは、2001年だったか、2002年だったか。
初めにそれを知ったきっかけはちゃんと記憶していないが、くにさんからの情報だったと思う。
また、台湾在住のフリーライターである片倉佳史さんのサイトおよび著作を通して、多くの情報を得た。

この頃から、くにさんが繰り返し台湾に渡航し、現地調査をして、その調査情報と写真を私に送ってくださるようになった。

性格の悪い私は、自分は日本にいながら、やれ「写真が小さい」だの、「こんなにブレてちゃ何だかわからない」だの、「そこまで行っといて、なんで台座の写真をとらないんだ」といった罰当たりなダメ出しをしていたのだが、くにさんはそれにも関わらず(かなりムカついたらしいけれど(苦笑)、次々と情報を伝えてくれた。

そうこうするうちに、様々なデータが蓄積してきて、これを何か形にしたい気持ちになってきた。

かくして、今回公開した論考の原型となる文章を書いたのが、2005年。

しかし、まだその時点では、文章にはしたものの、公開することには躊躇いがあった。

何と言っても、データは全てくにさんからのもので、私は何もしていない。
完全に他人のふんどしである。
このまま公開するのは、自分の研究室に属する大学院生の研究成果を、自分のものにして発表する悪徳大学教授みたいな行為だ。

いかに恥知らずな私でも、それはくにさんに申し訳がない。

そこで、新しい情報が手に入る度に改稿を繰り返しつつも、ずっと寝かせていた。

そんな状況の中、くにさんから耳よりな話が。
台湾の神社と狛犬を巡る旅が企画されているというのだ。

狛研でも告知がなされた「台湾の神社旧蹟視察と狛犬に逢ふ旅」である。

この旅に便乗させてもらい、二度目の台湾旅行をしたのが2007年11月。
10ヶ所の神社跡を巡り、狛犬類も12対ほど実際に目にした。

現時点で確認されている狛犬の5分の1にも満たない数ではあるが、これで何か論じる資格ができたと勝手に判断し、公開できる形に整えていった。

幸いくにさんにも公開についてご快諾いただいたので、こうして公開することにしたわけである。

ご覧になる方は、まずじっくり一覧表を見ていただきたい。

くにさんとの共同制作によるこの一覧表こそ価値がある。
私が書いた本論など、ただのおまけである。

そして、一覧表を見て、この狛犬には見覚えがあるというものがあったら、ぜひご教示いただきたい。

そういう情報の呼び水とすることも、公開した理由なのである。

よろしくお願いいたします。

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March 11, 2008

ドン・カン

いちいち人からスケコマシと言われることを気にしていては、色男はつとまらんよ。

久しぶりに映画。

「ジャンパー」

アメリカの田舎町に住む凡庸な青年・デヴィッド。
母親は彼が5歳の時に失踪、父親はそれ以来酒びたりで、父子2人の家庭の雰囲気は最悪だ。
だが、ある事件をきっかけに、自分に瞬間移動能力が備わっていることに気づいたデヴィッドは、この力があれば今の鬱屈した生活から抜け出せると考え、ニューヨークへと家出をする。
そして、能力を使って銀行の金を盗み出したデヴィッドは、高級マンションに住み、気分次第で世界中を≪ジャンプ≫して歩く気ままな生活を送っていた。
そんな彼の前にローランドという男が現れ、襲い掛かってくる。
訳のわからないまま、辛くも脱出に成功したデヴィッドは、故郷に戻り、かつて恋心を抱いていたミリーと再開、彼女を誘ってローマ旅行に出掛ける。
だが、そこに待ち受けていたのはローランドの仲間たちと、≪ジャンパー≫のグリフィン。
グリフィンから、ローランドたちは≪ジャンパー≫抹殺を使命とする≪パラディン≫という組織のメンバーで、自分は彼らと闘っているということを聞かされるデヴィッド。
デヴィッドは≪パラディン≫の攻撃はかわしたものの、地元ローマの警察に逮捕されてしまう。
その彼を救いに来たのは、失踪した母親だった。
ローマの危機は脱したものの、≪パラディン≫との闘いにミリーを巻き込んでしまったことを知ったデヴィッドは、ローランドに闘いを挑まざるを得なくなるのであった。

ちょっと長ったらしくなってしまったが、こんな映画。

パンフレットの中で山口直樹という人物が書いている解説にあるように、瞬間移動を中心にした映画は過去にあまりない。
CGのない時代には、画面が切り替わったら場所も移動していました、程度の描写しか出来なかったからだろう。

ちなみに、日本映画では「電送人間」というのがあるが、あれは電送機のある場所にしか移動できない。
「ウルトラマン」が瞬間移動する場面があったと記憶するが、頭の方から光の輪が下がっていくのに合わせて徐々に姿が消え、移動先には同様に頭の先から順番に現れてくる、という描写だったんじゃなかったかな。
当時の電送写真のイメージなんだろう。
スピーディーなものではなかった。

この映画の≪ジャンプ≫の描写は、その点、スピード感もあり、悪くない。

この映画での≪ジャンプ≫の設定としては、実際に行ったことがあるか、写真などによって具体的にイメージできる場所にしか移動できないとか、固定されたものによって拘束されていると移動できないとか、いくつかある。

≪パラディン≫という組織のメンバーは、そうした≪ジャンプ≫の特性を利用して、≪ジャンパー≫を抹殺してきたわけだが、逆に言うと、そうでもしないと≪ジャンプ≫能力を持つ側が圧倒的に有利になって、闘いが成立しない。

さらに、闘いを成立させるために、≪ジャンパー≫が≪ジャンプ≫した後にできる空間の裂け目を固定するマシンを登場させ、≪パラディン≫の戦闘員たちが≪ジャンパー≫の後を追ってその裂け目を越えてくるという設定まである。

ここまでやると、ちょっといただけない気がするのだが、≪ジャンパー≫側を主人公にしてしまった以上、≪パラディン≫側にそうしたアドバンテージを与えない訳にはいかない。
その辺がちょっとつらい。

さて、映画の設定上(原作小説があるそうだが、読んでないので、どこまでが元々の設定なのかは知らない)、≪パラディン≫は少なくとも中世には存在していて、魔女狩りを仕掛けたのも彼らだということになっている。
「瞬間移動能力は、神のみが持つべき力である」という宗教的信念のもと、≪ジャンパー≫狩りをやっている。

そういう壮大なスケール観が、ちょっと感じられなかった。

また、デヴィッドの母親が、自らも≪ジャンパー≫でありながら、それを隠して≪パラディン≫のメンバーになっている、という重要な設定がある(映画の最後に明かされる)のだが、この母親が登場するのが、ローマで突然救出にくる時と、ラストシーンだけ。
なんだか妙に食い足りない。

と思ったら、パンフレットの中に、この映画が成功したら、3部作になる予定だとの記述があった。

なるほど、スケール感の不足も、母親の登場の仕方の食い足りなさも、そのせいか。
2作目以降のために出し渋ったのか。

映画が成功して2作目以降も製作できるという自信があるわけですな。
大したもんだ。

監督が「ボーン・アイデンティティ」3部作のダグ・リーマンということで、これは2匹目の泥鰌か?という気にもなる。
そう考えると、すごい能力を持った主人公が、組織を向うに回して、裏の秘密に近付いていく、という同じような流れが見えてしまう。

ということは、恋人のミリーは第2作で死ぬことは決定済みってことか(笑)

主人公デヴィッドを演じるのは、ヘイデン・クリステンセン。
アナキン3部作(っても、出たのは2・3作目だけだけど)に続いて3部作になるか?

その母親役が、ダイアン・レインですわ。
映画で演技しているのを観るのは「ストリート・オブ・ファイアー」以来だ(苦笑)
かつてのYAスターで、私とは同じ1965年生まれ。
思ったほど老けてないとも、さすがに老けたとも、どっちとも言える感じ。

この映画が3部作になるなら、次回作では存在感が増すはずだから、彼女を観る目的で足を運ぶかもしれない。
もし次回作で死んだりしたら、3作目は観ないぞ。

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March 04, 2008

エブラハム・敏感

細かいことを気にしすぎるから暗殺されてしまうんだよ。

JR東日本が中央線に導入した新型の車両にE233系というのがある。
中央線と列車の乗り入れがある青梅線・五日市線でも導入されていて、最近その比率が増してきている。

私はこの車両を、≪余計なお世話≫型車両と呼んでいる。

≪余計なお世話≫と言うのは、座席のことである。

この車両では、シートが一人分ずつくぼんでいる上に、七人掛けのシートでは2・3・2と区切るように金属のパイプが設置されている。

つまり、必ずシートの設計上の定員に合わせて座るように強制しているわけである。

そうなる前のシートの頃は、「短い座席は三人掛け、長い座席は七人掛けだから、ちゃんとその人数が座れるように詰めて座れ」という意味のことが、よく車内アナウンスで流れていたが、言っても聞かないから強制しようということだろう。

朝夕のラッシュ時には、多少のストレス緩和になるかもしれない。

「なんだよ、なんで6人で座ってんだよ、詰めたらもう1人(つまりオレが)座れるだろ!」という怒りを覚えずに済みますからなぁ。

だが、それ以外の時間帯だと、むしろ逆効果な時があるように思える。

先日実際にそんな状況に出くわしたが、車内に立っている客もいくらかいるという状況で、七人掛けのシートに3人しか座っていないのである。
つまり、2・3・2と区切った各区画に1人ずつしか座っていないのである。

理由は簡単で、3人の区画の真中のくぼみに人が座っているからだ。

人間誰しも、混んでいるわけでもない車内で、わざわざ他人と密着して座りたくはない。
混んできたら仕方がないけど、そうなる前は他人とは距離をおいて座りたい。
そうでないのは痴漢か変質者くらいだろう。

≪余計なお世話≫型車両の場合、シートにくぼみがあるので、距離を置いて座る時には必ず1人分の間を空けることになる上に、パイプがあるので、こういうことになってしまうわけだ。

まあ、3人より頻繁に見られるのは、各区画に1・2・1と座って、合計4人になっている場合だが、こういう、ラッシュ時ではないけれど、立っている人もいる、という状況で、昔の車両なら、少なくとも5人は座れた。

「七人掛けのシートに6人で座るなんて!」という不満の声が、七人掛けのシートに3人しか座れない状況を生んだわけで、まったく余計なお世話だ。

人間の幅は均一ではない。

私のようなデブばかり集まれば、七人掛けのシートに6人座ればそれでギュウギュウだろうし、逆に痩せた人間や子供ばかりが集まれば、8~9人座れたりもする。

以前のシートの頃、ラッシュ時に列車に乗る時は、七人掛けの真中に座ることがよくあった。
シートの端は、戸の側に立った人間がもたれてきたりして鬱陶しいからだ。

七人掛けのシートのど真ん中に私が座っているからには、その左右に3人ずつ座れるはずだし、実際ラッシュ時にはそうなるのだが、最終的に席が埋まった時、ど真ん中に座ったはずなのに左右のどちらかにズレているということがままあった。
つまり、私の左右では、同じ3人が座っているはずなのに、その幅が微妙に違うのである。

以前のシートなら、その辺の微調整が利いた。
今はそれが出来ない。
常に圧迫感があって、乗り心地が悪い。

もちろん、「ちょっと詰めてくれ」と言って逆ギレされる心配はなくなったわけだが、逆に、人情の機微というものも排除されたと言える。

どちらが良いとは言い難いが、世知辛いことは間違いない。

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