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January 16, 2008

七人のハムラビ

てんで勝手に七種類も法典を作るな!

昨年の暮れに「ブレードランナー」のコレクターズボックスを購入した。
「ブレードランナー」の現存する5バージョンを全て収録したという触れ込みのものだ。

買ってすぐに、まずはオリジナル劇場公開版を観る。
というのも、所持しているビデオテープ(初めて買った映画のソフトでもある)にカビが生えてしまって、かれこれ10数年観ていないからだ。

で、昨日、今度はワークプリント版を観てみた。

ワークプリント版というのは、「メイキング・オブ・ブレードランナー」(ポール・M・サモン 1997年 ソニー・マガジンズ)という本によれば、1982年3月5日にアメリカ・コロラド州デンバーで、翌6日にテキサス州ダラスで行われたリサーチ試写の際に上映されたもので、関係者以外の一般客に対して公開された「ブレードランナー」の最初のバージョンにあたるものだという。
この試写の際の観客の反応およびアンケートの結果から、劇場公開版にあるデッカードのモノローグと俗に言う≪ハッピーエンディング≫が付け加えられることになったという、いわくつきのバージョンである。

なるほど、映像にせよ、音声にせよ、劇場公開版とはかなり違いがある。

映像面から見ると、あからさまな違いが2点。
オープニングとエンディングだ。

オープニングは、タイトル文字の出方が、まず横線が現れて、シャキーンという金属音とともに、その上下に文字が現れる、というもの。
その後に、架空の辞書の≪レプリカント≫の項目という設定で、≪レプリカント≫について説明した文章が現れる。
劇場公開版のように文字が下から上に流れていくことはないし、文中にはレプリカントとブレードランナーの関係を説明した部分もない。

エンディングは、もちろん≪ハッピーエンディング≫がない。

その他の映像の違いは、つまり、劇場公開版には無い映像があるか、劇場公開版にはある映像が無いか、ということだが、そのパターンには、同じカットだが編集点が違うので余分に映像が映っているものがあれば、シーンは同じだが別の映像に差し替わっているものもあるし、カット自体があったりなかったりするものもある。

そんな数多い違いの中で、なんといっても、一番注目したのは、デッカードが最初に登場するヌードル・バーのシーン。
日本人にとっては最も印象深い「2つで十分ですよ!」のシーンだ。
劇場版にはデッカードの注文した料理は映らない。
そのために、何が「2つで十分」なのかわからなかったのだが、ワークプリント版にはそれが映っているのだ。

ん?なんだこりゃ?

上記の本では、「大エビ2尾、ヌードル、山盛りのライス」と記述されている。
だが、実際に映っているものは、ちょっと違っている。
上の記述では3皿提供されているように思えるが、見えるのは2皿だ。
1つは当然ヌードル(ま、皿じゃなくて碗だが)。
もう1つには、皿の半分にご飯が盛られ、もう半分に何か野菜炒めのような惣菜が盛られている。
ご飯にかかっているのかもしれない。
そして、その上に黒く細長いものが2つのっているのである。

当然、「2つで十分」なのはこの黒いものだろう。

しかし、どう見てもエビに見えない。
まあ、これを準備したスタッフが「あれはエビだ」と証言しているのでもあれば、エビだと信じるしかないが、映像を見る限りでは、どう考えてもエビではない。

私には、ナスに見える。
いや、絶対ナスだ。
断じてエビじゃない。

ということで、私の結論は、「2つで十分」なのはナス、である。

一方、音声面の違いは、何と言っても音楽が違うことである。

なんでもヴァンゲリスの音楽製作がスケジュール的に間に合わなかったので、仮の音楽をあてて試写したらしい。

それだけで映画の印象が随分変わる。
SF的というよりは、サスペンスものみたいな感じを受けてしまう。

音楽といえば、レイチェルがピアノを弾くシーンがあるが、そこの曲はメロディは同じだが、キーが低い気がする。
劇場公開版では転調したのだろうか。

劇場公開版にあるデッカードのモノローグは、もちろん無いのだが、実はワークプリント版でも1ヶ所だけモノローグが入っている。
なぜかロイがデッカードの命を助け、そのデッカードの前で死んでいくシーンである。
ただし、セリフは違う。
ワークプリント版の方が少々くどいし、説明的だ。
劇場公開版の方が印象的だ。
それにワークプリント版では、ここにしかモノローグがないので、唐突な感じは否めない。

ここだけでなく、セリフが違う場面はかなりある。
特に気になったのは、ブライアントがデッカードに事件の経過を説眼する際に、「6匹のレプリがタイレル社に侵入しようとして、2匹死んだ」と話していることと、ロイがタイレルに対して「もっと生きたいんだ」と言うところで、最後が“fucker”ではなく“father”になっていること。
特に前者は、劇場公開版では「1匹死んだ」と話していたため、説明と映画に登場するレプリカントの数が合わないと言ってしばしば議論になってきた部分である。

しかし、まあ、一応は一般観客に見せるためのもののはずなのに、編集が荒っぽい。

既に触れたカットの長さの問題などは、十分な推敲をしていない結果としか思えない。
画面の明るさや色のトーンも統一されていないし、そもそも暗い。
また、音声も、この場面で聞こえるべきではない音声が聞こえる場面があったりする。

作業途中の仮編集フィルム、ということなのだろう。

事前の情報なしでこれを見たら、観客が混乱するのも無理はない。

リサーチ試写とは言え、こんな未完成品を見せてしまったことが、その後の迷走の原因なんじゃないか、という気がしたのであった。

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