家庭円盤
これからまだ1万光年も移動しなきゃいけないんだからさ、こんな狭い円盤の中で兄弟ゲンカするなよ。
狛犬仲間の皆さんも地方記事なので気づかなかったかもしれないが、「毎日.jp」に、こんな記事があった。
狛犬盗み、家庭円満を願う
【岩手】魔よけの効があるとされる狛犬(こまいぬ)が多賀神社(盛岡市永井24地割)から盗まれた事件で、窃盗容疑で逮捕された同市中太田、農業、宮野睦則容疑者(48)が「一人で手を合わせて拝むために盗んだ」などと供述していることが、2日分かった。
盛岡東署の調べでは、宮野容疑者は9月中旬ごろ、所有する軽ワゴン車で同神社境内に入り込み、狛犬1組2体(時価計100万円相当)を運び出して自宅の庭先に置いた。家庭内のトラブルがあるといい、家庭円満成就などを願い、拝んでいたという。狛犬は1日、神社に返された。
また宮野容疑者の自宅から地蔵2体が押収された。多賀神社から5キロ離れた長善寺(同市上飯岡)では9月中旬、墓地の地蔵11体が盗まれる事件があった。同署は関連を調べている。【狩野智彦】
2007年11月3日
狛犬愛好家の端くれとして、容疑者には怒りを感じるが、まあ、売り飛ばすためではなかっただけ、許せる。
それより。
資本主義社会だから、なんにでも値段はつけられる。
というよりも、値段は万能の尺度である。
物の価値は、人によって異なる。
何かを愛好している人にとっては価値のあるものでも、そうでない人にはその価値がわからない。
しかし、その何かに値段をつければアラ不思議、そうでない人にも、価値が伝わる。
大掃除の時に押入れの奥から出てきた昔の雑誌の別冊付録のマンガ本など、世のオバチャンにとってはゴミにしか見えないだろうが、それが専門の古書店では数万円で売られていると知れば、その価値が伝わるだろう。
しかも、各国の通貨に換算してやれば、国を越えてその価値を伝えることができる。
素晴らしい。
だから、「狛犬1組2体(時価計100万円相当)」と記事に書くのも、まあ悪いことではないだろうさ。
しかしながら、価値が伝わることと、価値を理解することは、次元の違うことだ。
私たちは(ここは複数形で書いておく)狛犬が100万円するから好きなわけじゃない。
その一方で、1000万円のダイヤの指輪より100万円の狛犬の方が、自分にとっては価値があると思ってもいる。
また、100万円出して狛犬を買いたいと思っている狛犬愛好家もいないはずだ。
あれはあるべき場所にあるから良いのである。
だから、狛犬愛好家にとっては、「狛犬1組2体(時価計100万円相当)」は不要な情報なのである。
でも、狛犬に愛のない人には、違う。
昔わが息子が遊んでいたオモチャが、出すところに出せば10万円にはなる、と聞いたら、オバチャンはゴミ箱に放り込むのをやめて、売っぱらうだろう。
そう、値段は、わかりにくいものの価値を、誰にでもわかるようにする魔法の尺度だが、それが必要なのは、それを売買したい人だけなのだ。
結局、この記事はつまるところ、「神社の狛犬を盗んだら、うまくすれば100万円で売れますよ」というメッセージを盗人たちに知らせているに過ぎない。
人間は下世話なものだから、何かが盗まれたら、「で、それはナンボのもんやねん?」と考えてしまうものだが、マスメディアはそれにいちいち付き合わなくてもいいんじゃないか。
せめて文化財くらい、そういうのはやめにしてもらいたい。

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