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August 23, 2007

虚像掲示板

この掲示板に投稿されていることは嘘ばっかりだ!

半月ほど前、久しぶりに本編サイトの掲示板を見てみたら、消滅していた。

そう言えば、以前、ニフティから、7月31日で現行の掲示板は廃止し、新しくするので、そちらに移行して欲しいというようなメールが来ていた。
忘れていた。

しかし、そのメールが来た時にも思ったのだが、だったら、画像掲示板の方に一本化すればいい。

そう思って画像掲示板を、これも久しぶりに覗いてみたら……

こちらも消滅していた。

あーっ、そうだった、3ヶ月新規投稿がないと、登録抹消されるんだった、この画像掲示板は。

いつの間にか掲示板が二つとも消えていた。

まあ、そう言っても、最近ほとんど掲示板の利用者がいなかったから、もうどうでもいいや。

ということで、掲示板はなくしてしまった。

その代わりと言っては何だが、もう一つ新規にブログを開設することにした。

題して「liondogの勉強部屋」。

最近、酒ばっかり飲んでちゃんと勉強していないので、ちょっと自分を追い込んでみようかと。

どうせすぐに投げ出すだろうけど。

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August 16, 2007

ジョン・猛暑日

ハードロックは暑いぜ。

そう言えば、先日、映画「ランボー」がテレビで放映されていたので、ザッピングしながらではあるが、観た。

劇場公開されたのを弟と観たのが高校二年の正月。
以来好きな映画である。

シリーズの以後の作品は、単なるアクション映画だが、この作品だけは戦争への嫌悪感と哀愁が漂っていて、そこが気に入っている。

国の徴兵に応じて戦場に行き、戦友の悲惨な死を目の当たりにしたり、自分も捕虜にされて拷問を受けたりしながらも、どうにか生きて帰国してみれば、「人殺し」と罵られ、仕事も見つからない。
そんな状況の中、先に帰国したはずの戦友を訪ねてみれば、枯葉剤の後遺症で既に死んでいた。
打ちひしがれているところを、田舎町の偏見に凝り固まった保安官から、面倒な余所者として不当な扱いを受け、怒りを爆発させてしまう。

映画としては、ナイフ1本で追ってくる警官隊を征圧し、生きのびるという、サバイバル・アクションの部分が目をひくが、そういう前提があることが、作品を引き締めているように思う。

この作品に関しては、原作となったデヴィッド・マレルの「一人だけの軍隊」も読んだ。

私は、映画と小説は独立した別のものだと考えているので、好きな映画に原作小説が存在しても、読むことはない。
文章だから優れた描写が成立している部分もあれば、映像だからこそ可能な描写もある。
原作とどこが違うからダメ、というような論評は見当違いな言いがかりだと、基本的には考えている。

なのだが、この作品については、一緒に映画を観た弟が原作を買ってきたおかげで一読しているので、その「言いがかり」を少し述べてみる。

もっとも、四半世紀も前に一度読んだきりなので、細部は覚えていない。
ただ、印象に深く残っていることがある。

原作には、映画にない設定がある。

ランボーを町から追い払おうとするティーズル保安官は、原作では朝鮮戦争の帰還兵ということになっているのである。

ティーズル保安官にとって、従軍は誇りである。
朝鮮戦争は彼にとって、朝鮮半島がアカの支配下に落ちるのを防いだ正義の戦争、だからだ。

そして、当然ながら、ベトナム戦争については、あんなベトコンの前におめおめと撤退してきた不名誉な戦争、という認識であり、だからこそ、ベトナム帰還兵のランボーを忌み嫌うわけだ。

従軍を名誉と考える朝鮮戦争世代と、従軍が心の傷にしかならなかったベトナム戦争世代の対立、という明確な軸が原作にはあった。

朝鮮戦争が1950~53。
ベトナム戦争が1965~73。
20代で朝鮮戦争に従軍した人間は、ベトナム戦争終結時には40代になっている。
その点では、映画でティーズル保安官を演じたブライアン・デネヒー(「ランボー」の当時のパンフレットではブライアン・ドネイになっている)を朝鮮帰還兵としても、見た感じはおかしくはない。
ただ、原作はもう少し年齢設定が上だったように記憶する。
そして、結局、この設定は映画には生かされなかった。

そのことは、惜しい気がする。
もっとも、娯楽映画としての枠組みの中では、原作と同じ比重でティーズル保安官を描くと、話が間延びするとは思うので、仕方のないところだろうが。

同様に、原作では最後に死ぬランボーを、映画では殺さずに逮捕するのも、アメリカン・ニューシネマじゃないんだから、仕方あるまい。

そのせいで、全くトーンが違う続編が作られてしまったのは、残念ではあるが。

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August 13, 2007

ミイラ取りが三浦に

意味なし。

先日までは、月曜日のたびに雨だったので家でDVDを観ていたが、今日は、あまりの好天で暑かったので、家でDVDを観たのであった。

「プレスリーVSミイラ男」

劇場公開している時に、観に行こうと思いながら観損ねた映画である。

老人ホームを舞台に、エルヴィス・プレスリーとジョン・F・ケネディが、甦ったエジプトのミイラと戦う。

という映画だと聞けば、コメディだと思うでしょう。
しかも、JFKは黒人だし。

だが、なんというか、心打たれる映画なのである、これが意外に。

主人公のエルヴィスは、本人(映画の中の)の説明によれば、ある時すべてがイヤになって、セバスチャン・ハフというエルヴィスのモノマネを売り物にした歌手と入替わったのだという。そしてそのままハフとして生きてきたが、20年前にモノマネ(エルヴィスのモノマネをするハフのモノマネを本物のエルヴィスがしている、というわけですね)の公演中にステージから転落して、その後、老人ホーム暮らしになった。

もちろん、そんな話は誰も信じない。
映画を観ている私も、それを信じて良いのか、よくわからない。

何しろ、主人公を本当にエルヴィスだと信じてくれるのは、JFKだけなのだ。

そのJFKは、黒人なのに、自分は狙撃を受けながら、辛くも生きのびたケネディだと、言い張っている老人。
吹っ飛んだ脳みその代わりに、砂袋が詰めてあるって、マジですか(笑)
おまけに、エルヴィスから、「ケネディは白人だぞ」と言われると、「全身を染めたんだ」と、マイケル・ジャクソンも真っ白、じゃない、真っ青なこと言うのである。

だから、妄想にとりつかれた老人の物語として観るべきなのかと、寸時迷う。

だが、それはどうでも良いことなのである。

これは、老人が人生を取り戻すための冒険を描いた物語なのである。

この老人ホームには、夜な夜なミイラ男が老人たちの魂を食いにやって来る、ということに気づいたエルヴィスとJFKは、真相を調査し、そのミイラ男と戦うことを決意する。

その過程で、ほとんど寝たきりだったエルヴィスは、歩行器を使いながらではあるが、ベッドを離れ、歩き回るようになる。
そして、看護婦に「オレを赤ん坊扱いするな、オレのペニスのことは自分で何とかする!」と叫ぶようになるのである。

「オレのペニスのこと」というのは、実はペニスがガンに侵されているんですね、このエルヴィスは。
しかも、どうせもう先の長くない老人だからと、告知すらされないことに気づいてしまう。
そのペニスに、看護婦に薬を塗ってもらうのだが、そのことに、いたく屈辱感を持っていたのですな。

だから、誇りを取り戻したエルヴィスは、こう叫ばずにはいられなかったのだ。

≪ペニス=男の尊厳≫という図式は、ちょっとどうかと思わないでもないが。

なんにせよ、老人はもはや社会の役に立たない無力な厄介者ではなく、尊厳を持った存在である、と若い者に訴えると同時に、自分の居場所は自分で作り出すのだという誇りを持てと、老いた者を励ましている映画だと言える。

エルヴィス役はブルース・キャンベル。
出演作では、「XYZマーダーズ」を東京国際映画祭の時に観たが、20年以上前のことなので、覚えていない。
「ファーゴ」や「ダークマン」にも出ているというが、印象がない。

DVDに収録されたメイキングによると、かなり特殊メイクをしているようだが、映像を観る限り、そんな感じを受けない。

監督はドン・コスカレリ。
「ファンタズム」シリーズで有名な人だが、それは観ていない。
ただ、「ミラクルマスター 七つの大冒険」って、この人の監督作品なんですな。
高校の時に劇場で観たが、監督の名前までは覚えていなかった。

JFKを演じたオジー・デイヴィスは何かで観たような気がするが、ざっくりと検索した限りでは出演作の中に、観たものはなかった。
おかしいなぁ。

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August 09, 2007

カーテンに皺がね

一応「阿久悠特集」ということで、「勝手にしやがれ」のつもり。

こんな記事があった。

300日規定:国通達で「父未定」に 英国人父明記認めず

女児の父親の推定を巡る日本と英国の違い 英国在住の日本人女性(37)が出産した子供の父親は再婚相手の英国人男性(35)なのに、日本の戸籍では「未定」と記載された。子供は離婚後300日以内に生まれており、民法772条で父親は「前夫(日本人)」と推定されるが、「2国間で法律上の父が異なる場合に父未定とする」との法務省通達があるからだ。300日規定のいびつさが、国際結婚を通じて改めて浮き彫りになった。
(以下略)
毎日新聞 2007年8月8日 15時00分 (最終更新時間 8月8日 15時22分)

興味深いのは、この記事の中に示された以下の一覧表。

◇各国の父親推定のルール◇

《米国》
・子の出生時に母と結婚していた男性
・離婚後300日以内に生まれた場合、前夫
・子の出生後、母親が結婚した男性
・親子関係を認めたり、出生証明書に父と記載されている場合で、さらに2年間子と認めて同居した男性
(いずれかが該当)

《ドイツ》
・子の出生時に母と結婚していた男性
・親子関係を認めた男性
・裁判所で親子関係が確認された男性
(いずれかが該当)

《フランス》
・出生前300日から180日の間に母親が妊娠し、結婚している場合に相手の男性

《英国》
・子供の出生の登録時に父親として記載された男性

《韓国》
・離婚から300日以内に生まれた場合、前夫

《日本》
・離婚から300日以内に生まれた場合、前夫

一覧の末尾に「※棚村教授の調査から」とあるが、これは記事中に登場する「家族法に詳しい棚村政行・早大大学院教授」のことのようである。

なーんだ、300日規定ってアメリカにもあるんじゃん。

もっとも、4パターンがあって、「いずれかが該当」ということは、離婚後300日以内の出生でも、その時点で再婚していれば、1行目の規定で再婚相手の子とみなすということなのだろう。
つき合ってはいてもまだ再婚していない状態の場合は、3行目と4行目が該当するのかな。

だとすると、出生後にも結婚しなかった場合は、2年間の同居を経なければ、父親と認定されないのか?
離婚寸前の女性とつき合い始めて、離婚後300日以内に女性に子を産ませたけれど、すぐにトンズラした場合は、前夫の子と推定され、自分は父親にならなくて済むという事か?

まあ、裁判好きな国だから、すぐに裁判に持ち込むんだろうけど。
最近もエディ・マーフィーがメラニー・ブラウンが生んだ子供の父親であることを否定したため訴訟を起こされて、先日しぶしぶ認めたという事件があったばかりだし。

ドイツやイギリスの規定はわかりやすいが、フランスの規定は、この文章ではよくわからない。

「出生前300日から180日の間に母親が妊娠し」って、出生前300日から180日の間に妊娠していない女性が子供を産むわけがないではないか(極端な早産はあるかもしれないが)。
また、フランスは事実婚が多いと聞くが、結婚している場合にしか言及されていないのでは、実情に合わないのではないか。

出生前300日から180日の間に実質的なパートナーだった男性、と言うのならわかるのだが。
何を以てパートナーとみなすかは別にして。

調査した棚村教授の翻訳が悪いか、取材した記者の頭が悪いか、それとも、意味が理解できない私が馬鹿なのか。

答えは3っのうちどれ?

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August 04, 2007

尿、どうにも止まらない

うへぇ、この歳になって寝しょんべんとは!

阿久悠先生、安かに(って、こんな駄洒落で安らげるか)

楳図かずおの新築中の自宅が景観を害するとして訴えられたそうだ。

確かに、赤と白の横ストライプ模様の上に顔がついた家というのはどうかと思うが。

しかし、ではこの場合の守るべき景観とは一体なんなのか?

私が都市景観として最も印象に残っているのは、青島である。
宮崎のではない。
中華人民共和国の青島市だ。

ご存知の通り、青島はかつてドイツの租借地であった。
そのため、ドイツ人の居留地が残っている。

そこの街並みに美しさと言ったら。

海に面した緩斜面に、ほぼ同じ様式で、同じような大きさの建物が整然と、しかしゆとりをもって建てられている。
そして、その屋根には、同じ黄土色の瓦が葺かれている。
高台から眺めると、海を背景とし、庭に植えられた植物の緑と、瓦の黄色が映える。

その統一された美しさは、ちょっとした別世界だった。

青島はドイツの後、日本が占領し、日本の敗退後には、国共内戦の後、中華人民共和国治下となった。
私がそこを訪ねた1988年は、まだ街並みの観光的価値が十分には認識されていなかった頃だ。

それだけの経過を経ていて、これだけ美しいなら、出来てしばらくした最盛期にはどれほど美しかったのだろうかと、思ったものだ。

この青島の街並みの美しさは、一つの型に統一されていることから生み出されるものだ。

さて、テレビでは、楳図邸の周辺の街並みが映し出されたが、どこにでも掃いて捨てるほどあるチンケな街並みではないか。

街並み保存が行われている宿場町などのように伝統的な日本家屋が集まっているわけでもなく、デザインも色もバラバラ、どうせ2×4工法で建てた安普請を、敷地ギリギリまで目いっぱいに建てた密集住宅地じゃないか。

どこに守るべき景観が存在しているというのか。

大体、中央線が出来るまでは畑だったんだろ?
そういう歴史から見れば、畑と武蔵野の雑木林こそが守られるべき景観で、おたくらの家だって景観を破壊しているという言い方だって出来ると思うぞ。

一部報道に、問題の地区を≪高級住宅地≫としているものがあったが、たまたま地価が高かったら高級住宅地か?
隣の家がどんな建物かわからないぐらい広い庭と屋敷林を備えているようなのが≪高級住宅地≫ってもんなんじゃないの。

そんな気持ちになってしまう。

もちろん、歴史的景観だけが守られるべきものではないだろう。
郊外のニュータウンの景観だって、時を経れば懐かしく思い出されるものになるかもしれない。
歴史性が薄い新興住宅街だからこそ、これからあるべき街並みを模索するべきだとは思う。
だが、そのためには、もう少し思想性というか、理念というか、そういうものがあるべきなんじゃないのか。
そして、それを具現化するためにはある程度の強制力も必要だ。
そうなれば、自分の家だって、そうした方向性に従う必要がある。
その覚悟があって訴えているのか。

単に自分の気に入らないから排除するってだけじゃ、ただのエゴだと思うが。

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