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July 30, 2007

今日もまた誰か乙女のピンキー

今陽子だって昔は若かった。

朝、目覚めたら雨降りで、テレビを見ると多摩地区に大雨洪水警報が出ているというので、またしても家にこもってDVDを観る。

「ミサイル珍道中」

ビング・クロスビーとボブ・ホープのコンビによる≪珍道中≫シリーズの第7作にあたる作品。

なんでそんな作品のDVDを購入したかというと、先日観た「地球の危機」について「超SF映画」で調べた際、その隣のページに掲載されていたからだ。
その後、CD屋に行った際に見かけたのでつい買ってしまったのだった。

ハリー(クロスビー)とチェスター(ホープ)のコンビは、カルカッタでインチキ商品の売込みをやっていたのだが、失敗してチェスターが怪我をする。
その怪我のせいで記憶喪失になったチェスターを治すため、チベットの山奥の寺院に出かけた二人。
そこで調合された薬草で記憶が戻ったはいいが、この薬が効いた人間には次に進む資格があるというので話を聞いてみると、記憶力を高める薬草を使って本を丸々一冊記憶した上で、この寺院から一生出られないという。
それを聞いた二人は、その記憶力を高める薬草を持って寺院を逃亡する。
カルカッタに戻った二人だが、そこで二人を待っていたのはダイアン(ジョーン・コリンズ)という美女。
ダイアンは第三軍団という世界征服を目論む秘密結社のスパイで、仲間のエージェントと間違えて秘密のメモをチェスターに渡してしまったため、取り戻しに来たのだ。
ところが、二人は記憶力を高める薬草の実験にそのメモを使用した上で、燃やしてしまっていた。
しかし、薬草の効果でチェスターの脳内にはそのメモが完全に記憶されていた。
そのため、第三軍団の陰謀に二人は巻き込まれるのだった。

この映画が何ゆえ「ミサイル珍道中」という邦題で(原題は“THE ROAD TO HONG KONG”)、どうして「超SF映画」に取り上げられているのかというと、第三軍団の陰謀というのが、ロケットで月に人を送って、そこからミサイルを発射して、世界の愚民どもを滅ぼした上で新世界を築こうというものだからだ。
とりわけ、猿の代わりに実験用ロケットに乗せられた二人が宇宙飛行をしたり、また第三軍団から二人の側に寝返ったダイアンを含めた三人が誤ってロケットで打ち出され、帝王星なる惑星に到着してしまうラストシーンをSF的と見たのだろう。

とは言え、ロケットの発射シーンは潜水艦からのICBM発射シーンの実写映像を使用しており、少し複雑な気分になるよ。

ちなみに、「超SF映画」によれば、シリーズの最終作だそうだ。

長いシリーズなので、そこまでのことを踏まえたネタがあったりするのだが、私は≪珍道中≫シリーズを観るのは初めてなので、ピンとこない。
それどころか、何となく馴れ合いっぽく見えてしまう。
とくにドロシー・ラムーアの登場するシーンなどは、そんな感じが強い。

この映画で多用されるネタが「特撮!」だ。
ピンチになったりした時に、「特撮さん、何とかして」と言うと、服が入れ代わったり、人物がいなくなったりするというシーンが数ヶ所ある。
こういうのをなんという用語で言うのだったか忘れたが、作品の中の人物が作品の外に呼びかけて何かするようなやり方は、マンガでは今でも多く見られると思うが、映画では最近は見ないような気がするが、単に知らないだけか。
マンガではともかく、映画でこの手法を使うのは、コメディとは言え、私はあまり好きではない。

この映画は、いろんな有名俳優がカメオ出演している。
ピーター・セラーズ、デビット・ニーブン、ディーン・マーチンには気がついたが、フランク・シナトラには気がつかなかった。
パッケージには「ピーター・セラーズ、デビット・ニーブン、フランク・シナトラ、ディーン・マーチンなど大物ゲスト」とあるのだが、他には誰がいたんだろう?

何はともあれ、一番笑えるのはチェスターの記憶を取り戻すために訪ねたインドの病院での治療シーン。
怪しいインド人精神科医を演じているピーター・セラーズが最高である。

ある症状のために病院に来ているのに、全く見当違いな診療ばかりする、というパターンは、志村けんあたりがテレビのコメディでやっているのを見た気がするが、この辺が元ネタなのだろう。
しかし、ここでのピーセラの演技の方が笑える。

前にアボット&コステロの「凸凹猛獣狩」のDVDを観た時には、ドリフなどの元になっているのだろうが笑えなかったと書いたが、こちらはピーセラの個性が光っている分で元ネタの勝ちである。

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July 27, 2007

カミーユの亭主

「髪結いの亭主」が元ネタだが、たいした駄洒落とは言えない。
それよりも。

昔、映画「ダントン」でその名を知ったフランス革命時代の人物にカミーユ・デムーランがいるが、これは男だ。
ロダンの愛人でもあった芸術家にカミーユ・クローデルがいるが、これは女だ。
スペルはともに“Camille”
ということは、これは日本語だと「まこと」「かずみ」「ひろみ」などという、男にも女にも使用可能な名前ということか。

さて。

リンクというのは、インターネットの基本的な機能である。
インターネットをどう定義するかは意見のばらつきはあるだろうが、その構造は情報の共有を前提としているという点は、議論の分かれない所だろう。
そして、そうである以上、情報の共有を効率化するリンクは、不可欠の機能だ。

リンクは、したがって自由に、勝手に、設定されるべきものだろう。
無断リンク禁止などというのは、国道の真中に、「ここはボクの家の前だから、ボクの気に入らないクルマは通行禁止!」と書いた看板を持って立っているようなものだ。

そのように考えているので、私が個人で開いているサイトやブログでも、職場のサイトやブログでも、好きなようにリンクしてくれて結構、という立場をとっている。
それが当然だと思うので、わざわざ断り書きもしていない。

しかし、どうしてもリンク許可を取りたい人もいるようで、いつぞやも仕事先にとある公立の同業者からリンク許可申請というような硬い感じの書類が送付されてきたことがある。

リンクは勝手にしてください、という上記のような考えを書いて返送したのだが、なんと、それから半年ほどして、いよいよサイト開設の用意が出来ましたので改めてリンク許可を、という内容の書簡が、同じところから届いたので、呆れるやら、腹が立つやらで、とうとう返信せずに無視してしまった。

リンクは勝手に設定して構わないものであるにも関わらず、わざわざ公費を使って申請書を送りつけ、一度ちゃんと返信しているのに、さらに公費を使って念押しの書簡を寄越すとは、ずいぶん税金に余裕があるんですな。
だったら、餓死する前に生活保護を受付けてやれよ、とイヤミの一つも言いたくなる。

ところで、リンクは勝手にしろと言いながら、一つ釈然としないことがある。

アクセス解析という機能がある。

個人でも職場でもココログを利用しているので、他のブログの場合がどうかわからないが、ココログのアクセス解析には「リンク元」表示してくれる機能がある。
つまり、どこからこのブログにリンクが貼られているかを、そのページのアドレスで示してくれるわけだ。
基本的には、ワンクリックでそのリンク元へ飛べる。

最近、時々、職場の方のブログのリンク元にミクシィなどのソーシャルネットワークサービス=SNSのアドレスが混じることがある。

私個人としても、職場としても、いずれのSNSにも加入していないので、そうしたリンク元には、飛ぶことが出来ない。
正確に言うと、そこに飛ぼうとすると、認証画面が出てくる。

それがどうにも、気分が悪い。

一体そのリンク元で、こちらの書いたことがどのように取り上げられているのか、確かめようがないからだ。

私は狭量な人間だが、インターネットという公共空間に文章を公開している以上、批判も甘んじて受ける覚悟はある。
批判がまっとうなものなら謝罪するつもりもある。

しかし、的外れなものなら反論したい。
その権利は持っておきたい。

実際には、相手次第で、反論したり、変に刺激しないように傍観したり、対応の仕方は様々だろうが。

だが、通常のインターネット空間とSNSでは、向うからこちらは見えるが、こちらからは見えないという、不均衡が生じる。

それが何だか気に入らない。

まあ、気にしなければいいと言えば、それまでなのだが。

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選挙・パンサ

過半数確保だなんて、キホーテの旦那、世迷言が過ぎますぜ。

選挙には毎回行くというような律儀な人間では、私はない。

思い出してみれば、選挙権を得てから数年は、選挙に行けない状態だった。
住民票を京都の実家に残したまま、東京の大学に通っていたからだ。
選挙のために帰省するなんて、そんな経済的に無駄なことは出来ませんしな。

東京に住民票を移したのは、大学を卒業してアルバイト生活をしていた頃だ。
ちょっとちゃんと就職することを考えようと思って、公務員試験を受けようと思い立ったのだ。
世の中不合理なもので、同じ歳でも留年した奴は新卒者扱いになるのに、ちゃんと卒業した者は既卒者として非常に門戸が狭くなるとという状況が当時はあったので(今はどうか知らない)、それぐらいしか就職する方法を思いつかなかったのだ。
で、東京都上級職員と東京都特別区職員の試験を受けることにしたのだが、だったら住民票が東京都内にあった方が心証が良いんじゃないかと思って、住民票を移したのだった。

ちなみに、東京都上級試験には不合格、特別区の方は、試験を受ける前に今の仕事が決まったので、受験していない。

さて、住民票を移して半年ほどで選挙があった。

私は昔も今もノンポリだが、基本的には反自民である。
理由はない。
単に100人のうち90人が右を向くなら、自分は左を向き、その逆なら右を向く、そんな人間でありたいという、変な願望があるからだ。
つまり、ずーっと自民党が政権を持っているので、反自民というだけのことだ。

なお、100人中99人が左を向くのなら、私も左を向きます。
そこまでの根性はないので。

で、その選挙というのが、例の≪マドンナ旋風≫の余波で社会党が躍進した、1990年の総選挙だ。
当時は、社会党が野党第一党だったので、もちろん私も社会党の候補に投票しましたよ。
その結果があれだったわけだから、非常に手応えがあったと言っていい。

しかし、選挙に手応えを感じたのは、あれが最初で最後だ。

その後は非自民政権が出来たりはしたものの、結局、今も自民党が政権の座にある。
かつて野党第一党だった社会党は、その名を変え、事実上のミニ政党に成り下がっている。

今その野党第一党の位置にいるのは民主党だ。
反自民である私は、多分、この政党に投票するのだろう。

しかし、かつての社会党が自民党とは基本的に異質の政党であったのに比べて、民主党は、平たく言えば自民党の分家である。
そう思うと、気が乗らない。

だから、こう思うことにしている。

政党なんてものは、明確な主義主張の無い烏合の衆の方が良いのだ。
自民党は、主義主張ではなく利権で結びつき、是々非々でしか物事を行わないが故に、いつまでも政権の座にある。
主義主張なんてものが無いから、どうしてこいつとこいつが同じ政党の中にいるのか、と思うような人間を抱えうる。
結局その方が破綻し難いのだ。
そういう意味では、自民党と同類の民主党には、政権担当能力がある。

というふうに。

さて、29日はどうなることやら。

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July 24, 2007

旗本突厥男

「はっはっは、見よ、天下御免の落馬傷!」
「自慢になるかっ!」
(ちょっと騎馬遊牧民についての本を読んでいるもんで)

これで3週連続して定休日に自宅にひきこもってDVDを観るというパターン。

「シャーロック・ホームズの殺しのドレス」

PD Classicシリーズの廉価版DVDを買っておいたのもの。
したがって、すごく古い作品。
1946年のアメリカ映画である。

あるオークションで3台の同じオルゴールが、それぞれ別の人間に落札される。
そのうちの1人で、オルゴール収集家のエモリーが、友人であるワトソンを訪ねてくる。
額に絆創膏を貼っているエモリーに、ワトソンがそのわけを聞くと、夕べ家に賊が入って殴られたと言う。
しかも、収集しているオルゴールのうち、価値のある高級品ではなく安物が盗まれたと聞いて、ホームズは興味を抱く。
ホームズとワトソンはエモリーの自宅を訪ね、さらに事情を聞いてみると、盗まれたのは数年前に買ったもので、昨日それと良く似たものを買った言って、それを見せてくれる。
犯人の狙いは昨日買ったこちらの方で、また襲われる危険がある、と警告するホームズだが、エモリーは意に介さない。
果たして、ホームズらの帰宅後、エモリーは死体となって発見される。
調べてみると、その3台のオルゴールは刑務所の作業所で、ある一人の囚人によって作られたものだった。
これは、その囚人が外部にいる仲間に向けて送った暗号だと推理するホームズだったが……

という作品。

生憎、私はシャーロッキアンではない上、ホームズものと言うと、小学生時代に子供向けのリライト作品で読んだのがほとんどで、大人向けの本では「緋色の研究」と「四つの署名」ぐらいしか読んでいない(しかも内容を忘れている)という人間なので、この作品の原作が何であるのか、原作にどの程度忠実なのか、あるいは映画のオリジナルストーリーなのか、さっぱりわからない。

映画は、犯人側の動向とホームズ側の推理とが併行して描かれているので、犯人が誰かということは、初めから丸わかりである。
上の序盤のあらすじは、ホームズ側を中心に書いているが、実際には冒頭にはオルゴールを作る囚人のシーンがあり、オークションの後にはオークションに遅刻した犯人が落札者が誰か聞き出すシーンがあり、エモリー宅からホームズたちが帰った後に犯人がやって来てエモリーを殺してしまうシーンがあるのである。

したがって、オルゴールの暗号を解読する過程を除けば、推理よりは犯人たちとの駆け引きの方が中心になっている。

68分という短い作品で、犯人側とホームズ側の双方の動きを描くわけだから、推理のシーンにかける時間は少ない。
そのため、天才的ひらめきと言うより、ちょっと乱暴な推理に見えてしまう。

さて、ホームズを演じているのはベイジル・ラズボーン。
DVDの角書きに「ホームズ三大役者の一人と評されるベイジル・ラズボーンの傑作」とある。
いろいろ参照してみると、あとの2人はウィリアム・ジレットとジェレミー・ブレットを指しているようだ。
ジレットは主に舞台、ブレットは主にテレビということのようなので、映画のホームズではラズボーンが最高ということになるのだろうか。
ジレットの舞台は見たことがないが(当然だ)、ブレットのテレビ版は日本でも放送されたので、何度か見ている。
作品としての比較は、時代が違うため映像技術や演出法が異なるので難しいが、キャラクターの雰囲気を見ると、ブレットの方がラズボーンよりホームズの奇矯さをよく表現しているようには思える。
逆に言うと、ブレットの方はやや嫌味っぽく、ラズボーンの方が人が良さそうに見える。

人が良さそうと言うと、ナイジェル・ブルース演じるワトソンである。
何しろ、手もなく犯人に騙されてしまうのだから、人が良いにも程がある。
まるっきり頼りにならんおっちゃんである。
それまで添え物っぽかったワトソンをホームズと対等なキャラクターにした功労者というような評価もネットでは見られたが、それはそれとして、ブレットの相棒のデヴィッド・バーグの方が、元軍医という設定のワトソンには似合っているように思えた。

もっとも、ラズボーン+ブルースのコンビでは、あるリストによると、20世紀フォックスで2本、ユニバーサルで12本の映画が撮られたようなので、人気があったことは間違いないだろうし、そのうちのたった1本で評価するのは乱暴かもしれないが。

ちなみに、この作品が、このコンビの最後の作品のようだ。

正直、そんなに面白くはないが、DVDは安いし、時間は短いし、総合すれば観て別に損はない。

偉そうに(苦笑)

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July 18, 2007

法然炎のごとく

原題は「数珠と寺務」
って、なんで法然に固執する(苦笑)

昨日触れた「超SF映画」(中子真治 1980年 奇想天外社)という本は、映画草創期から1980年までに製作されたSFのジャンルに分類可能な映画900本のスタッフ・キャスト・ストーリーなどを紹介した本だ。
購入したのは映画に興味を持ち始めた高校生の時。
京都市内の映画館に隣接した書店で購入したことも覚えている。
長らくその書店の映画コーナーに陳列されていたものを購入したのだが、購入するにはちょっと勇気がいった。
というのは、当時の私の月の小遣いが5000円だったのに対し、本の値段が7800円だったからだ。
数ヶ月逡巡した後、思い切って買った。
長く書架にあったため、色んな人が手にとっては値段を見て買うのをやめていたのだと思うが、そのせいかカバーが新刊本としては随分ひどい状態になっていた。
一部破れてもいた。
そこで、レジに持っていった時に、「これを買いたいんですけど、もう少しきれいなものはありませんか」と尋ねた。
レジのお姉さんが担当者に問い合わせた結果、「版元が倒産しているので、不可能です」との回答だった。
そこで仕方なく、その本を買ったのだった。

歳月を経て、今の私は、7800円ぐらいの本では逡巡しない。
いや、もちろん本の内容次第だが、必要だと思えばそのくらいでは躊躇わない。
例えば、狛犬がらみの本なら、数万でも買う。
1万円台ならほとんど躊躇しないし、5万円くらいまでなら、必要度に応じて買う。
それでも、国文学をやっている父親に言わせれば、まだ基準が安いらしい。
俺は若い時に30万出して○○という本(何冊かのセットだが)を買った、などと自慢されてしまった。
父親が若い時の30万なら、今に換算すれば相当な値段ということになる。
この辺が曲がりなりにも研究者になった人間と、インチキ学芸員の違いだろう。
学問とは金がかかるものなのである。
まあ、大学の専任講師になって以降は(いや、助教授になってからかな)大学から研究費が出るようになったようだから、自腹で高い本を買ったのは本当に若い頃だけなのだろうが。

先日、職場のブログで本体価格5714円の本を買った話を書いたら、とあるブログでそんなものをすっと買ってしまうなんてすごい、と書かれた。
そこまでして買うほどの本ではない、という意味なら、それはその通りかもしれない。その判断は尊重する。
だが、買いたいけど高すぎる、という意味なら、それは基準が安すぎると、今度は私が言いたくなる。

まあ、たくさんの冊数を買うので、1冊にそんな値段はかけられないということかもしれない。
その点では、私はある程度高い本でも買うが、その代わり余り冊数は買わないかもしれない。
たくさん買っても読み切れなければ無駄だと思うから、なるべく必要最小限で買うようにしているからだ。

何が必要最小限なんだかわからないが(苦笑)

しかし、例えば、うちの弟のように、5000円の本は買わないが5万円のコートなら買う人は、世の中にいくらでもいるわけで、何に金をかけるかの違いだけだろう。
5万円の本を買う奴が偉くて、5万円のコートを買う奴は人間の屑であるわけではないのだし。
どちらも所詮は自己満足だ。
自分を満足させるために金を使うという点では、何の違いも無い。

ただ、同じ自己満足でも、何に金をかけるかで、見返りの大きさは違うだろうが。

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July 17, 2007

ラブストーリーは法然に

「それは親鸞の方じゃ」
(という方を先に思いついたのだが、先日の方を先に出してみた)

せっかくの定休日だが、あまり天気が良くないので、家で買っておいたDVDを観るのであった。

「地球の危機」

試験航海中の原子力潜水艦シービュー号は、海中150メートルで突然、氷山に襲われ、緊急浮上する。
すると、空が真っ赤に燃えていた。
何と、彼らの潜航中に、突如バン・アレン帯が燃え始め、地球の温度が急上昇を始めていたのだ。
シービュー号の開発者でもあるネルソン提督は、急ぎアメリカに戻ると、国連での対策会議に出席する。
そこでネルソンは、バン・アレン帯に核ミサイルを打ち込み、バン・アレン帯をエネルギー過剰にして吹き飛ばすという提案をするが、燃焼物質が燃え尽きれば自然に火は消えるとするズッコ博士に反対され、国連もそちらの意見に傾く。
議論している時間がないと考えるネルソン提督は、シービュー号に戻ると、ミサイル発射の最適地点であるマリアナ諸島に向けて強引に艦を発進させるのであった。

という作品。
古典的なSF映画が好きなので買ったわけだが、≪TV版「原潜シービュー号」の原案となった≫という宣伝文句にもひかれた。
中子真治の「超SF映画」という本によると、1964~68年にTVシリーズ化されたそうだが、これが日本での放送年代なのか、アメリカでのものなのか(たぶんこっちだろう)は、よくわからない。
いずれにせよ、名前は知っているが、見たことがない。

そんなわけで、DVDを買った。
まあ、999円で安かったこともあるが。

さて、1961年の作品なので、あまり科学的とは言えない。
大体、なんでバン・アレン帯が燃えるのだ。
ありゃ燃えるもんか?

しかし、そこは目をつぶらないと話が始まらないし、そこを突っ込む気はさらさらない。

だが、熱で溶けて崩壊した氷山のかけらが海中に≪沈む≫のはまずかろう。
じゃあ、そもそも氷山はなんで浮いてるんだよ(苦笑)

基本的には、しかし、これは人間ドラマである。
原子力潜水艦という限られた空間の中で渦巻く疑心暗鬼が、ストーリーの推進剤である。

自説を信じ、それを実行しようとするネルソン提督。
人類を救うためとは言え、遭難者を見捨てたり、部下を死地に追い込む提督の強引さに疑念を感じるクレイン艦長。
氷山調査中にバン・アレン帯の燃焼のせいで遭難し、シービュー号に救出されるが、一緒に調査に行った仲間を時間がないという理由で見捨てられたアルバレスという男は、すっかり諦観してしまい、これは神のみ旨だと言い出し、乗組員の一部はそれに感化されてしまう。
元々は試験航海の視察のために乗り組んでいたヒラー博士は、提督は被害妄想に陥っていると言って艦長をそそのかし、提督から指揮権を剥奪するようけしかける。

というような感じ。

ちなみに、このヒラー博士(女性だ)は、ズッコ博士の自然鎮火説を信じていて、ネルソン提督のミサイル発射を妨害しようと破壊工作に及ぶ。
ついには原子炉を停止(オイオイ)させた挙句、潜水艦内の海洋生物研究用のプールに転落してサメに喰われてしまう。
それを演じているのが、あろうことかジョーン・フォンテーンである。

私は、世界の映画史上、最高の女優は「レベッカ」におけるジョーン・フォンテーンだと信じている者である。
そのジョーン・フォンテーンにこんな役をやらせるなんて。
あり得ない。

「レベッカ」が1940年の作品。
翌1941年の「断崖」でアカデミー賞の主演女優賞をとって、姉のオリビア・デ・ハビランドの強烈な嫉妬を招いたという有名なエピソードから20年後の映画がこれかい。
悲しいなぁ。

ジョーン・フォンテーンその人は相変らず美しかったが、顔のラインなど少しふっくらして、「レベッカ」の頃の繊細さは、さすがに失われていた。
仕方がないことではあるが。

なお、これもヒッチコック映画である「暗殺者の家」で観たピーター・ローレも出ている。
これもあまり大したことのない役で、少し残念。

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July 14, 2007

フェリスはある朝法然に

「目が醒めたらこうなっててー(涙)」
「唱えなさい、念仏は心で唱えるのよ」

という駄洒落を思いついたので、書いてみた。

……え?本文?

ないよ、そんなもん。

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July 09, 2007

ポロン調査

トランクス型水着から横キンをポロンしている男がこのビーチに何人いるか調査だ!

いくつかのテレビ番組で既に使用されているが、昨夜、日本テレビによる世論調査に協力した。

晩飯を食っていると突然電話がかかってきて、若い男の声で、日本テレビのニュース番組の世論調査である旨を告げ、協力を求めてきたので、質問に答えることにしたのであった。

というのも、かなり前に書いた気がするが、大学生の時に朝日新聞の世論調査のアルバイトをしたことがあるので、ちょっと身につまされたと言うか、同情したと言うか、そういう気持ちになったからだ。

しかし、新聞とテレビの違いなのか、個人情報保護法などの影響なのか、私が経験したものとは、随分違う。

私が1985年にアルバイトとして参加した世論調査は、以下のようなものだった。

まず、築地にある朝日新聞本社に集められ、地図と名簿と朝日新聞世論調査員の身分証明書を渡される。
名簿には、各地区の選挙人名簿から無作為抽出した選挙権を持つ個人の名前と住所が10~15人ほど並んでいる。
そして、戸別訪問して必ずそこに名前のある特定の個人に対して調査を行うようにと厳命されるのである。
それは徹底したもので、私が担当したある人物は仕事に出かけていたのだが、それを本部に伝えると、「別働隊がその職場まで調査に行くので勤務先を確かめろ」と言うのである。
その他、訪ねた人がおらず、隣家に尋ねると、引越ししたと言うので、その旨を本部に連絡したら、「区役所に行って転出届を確かめろ」と言われたりもした。
一番イヤだったのは、頑強に調査を拒否している老婆のもとへ、もう一度行けと言われたことだった。
「何で私ばっかりいじめるの、他の人に聞けばいいじゃない!」とキレる老婆に、「調査方法が決まっているので、あなたに答えていただかないといけないんです。他の人ではダメなんです。」というようなことを説明しながら玄関先で押し問答していると、近所の人が集まってきて、しまいには「警察呼ぶぞ」ってな話になって、非常に閉口したのだった。

統計学的に意味のある、正確な調査を行うためには、ここまでしなければいけない、ということなのだろう。

まあ、名簿を見て最初に訪ねた住所にあったのが毎日新聞(読売だったかな?)の販売所だった時は、さすがに本部も「それはしょうがない」と言って許してくれたが。

それに比べて、電話調査とは、楽だねぇ。
断られるにしたって、相手の顔見ない分だけ気は楽だし。
相手に絡まれる心配もないしね。
リダイヤルしてくる奴はいるかもしれないが、殴られるわけではあるまい。
いや、私も殴られるところまではいってないが。

システムの進歩もあるのだろうが、放送を行うほんの3時間程前に電話してくるっていうのも、安直だ。
私の時は、2日間拘束されたぞ。
記事になるまでに数日あったし。

そう言えば、調査を終えて本社に戻ったら、本部の人間に調査用紙を全部チェックされたな。
日テレさんはどうなんですかね。
電話で質問の答えを聞きながら、そのまま直にパソコンに打ち込んでる感じだったけど。
いや、打ち込むんじゃなく、マウスをクリックしてるだけじゃないかな。

大体、調査に協力しても良いと答えたら、最初に言ってきたのが、「お宅には選挙権のある成人の方は何名いらっしゃいますか、その中のお一人に電話に出て答えていただきたいのですが」だよ。
相手が未成年でも、選挙違反で選挙権を剥奪されている人間でも、いくらでも答えられるじゃんか。

まあ、そんなことを聞いてくるところをみると、こちらが何者か把握して電話してきているわけではないのだろう。
電話番号なんか、いくらでも≪無作為抽出≫出来そうだしな、スパムメールみたいに。

時間帯などを考えても、朝日新聞の時のように、必ずこの相手に、という形ではなく、回答者数が一定数に達するまで、という感じで調査したんじゃないか?

そうなると、調査の信用性・信頼度は大きく落ちると思うのだが。

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July 03, 2007

バットマン 美人っす

だったら≪バットウーマン≫だろ。

買っておいたDVDを観る。

「バットマン ビギンズ」

目の前で両親を殺されたことに強い自責の念を抱いているブルース・ウェインが、世界放浪の果てに恐怖を克服し、バットマンとして悪と闘うことを決意する。

というバットマン誕生の物語なわけだが、そんなもの、どうせ、トラウマがどうとかいう辛気臭い映画にしかならないと思って劇場公開時には観なかった。

それなのにわざわざDVDを購入して、今頃になって観たのは、少し前にこの映画にルトガー・ハウアーが出ていることを知ったからだ。
それがなかったら、観なかった。

で、そのルトガーだが、うーん、すごく中途半端な役だ。

殺されたブルースの父から会社の運営を任されていた男で、会社を上場してウェイン家の支配から独立させるとともに、ウェインの遺志に反して禁じていた兵器産業への参入を画策するが、ブルースに出し抜かれて解任されてしまう、という役なのだ。

映画では、ウェイン産業が開発したマイクロ波を利用した兵器が重要な役割をになう。
それは敵によって強奪されるのだが、どうせならルトガーが横流ししたことにしてくれた方が、悪役らしくなって良かったのに。

つまらん。

で、映画そのものだが、辛気臭くなるギリギリのところで踏みとどまったかな、という感じ。

トラウマ話は前半で、後半は試行錯誤しながら≪バットマン≫を作っていく過程に描写の多くがあてられているので、あまりイヤな感じもなく観られた。

しかし、名前だけなら豪華に見える俳優陣が曲者だった。

まず、ブルース・ウェインを演じているクリスチャン・ベールだが、彼に対する私のイメージは、あのケッ作映画『リベリオン』で出来上がっているので、いつ≪ガン・カタ≫が出るのかと、つい思ってしまう。

ブルースを鍛えて恐怖を克服させる師匠であり、しかし、腐敗した世界を滅ぼすことを目的とした秘密結社のリーダーでもある人物を演じるリアム・ニーソンには、新『スターウォーズ』シリーズでのジェダイ役とダブるものがある。
あと、彼自身が、かつてトラウマヒーローとも言える『ダークマン』に主演していたことを思い出だしてしまうよ、どうしても。

劇場公開当時、話題になったのはケン・ワタナベが出演していることだったが、なんだよ、ほんのちょっとしか出てないじゃんか。
しかも、実はある人物の替え玉だし。
ルトガーの扱い同様、これにはがっかりしたよ。

他にも、マイケル・ケインやモーガン・フリーマンといった主演級が出ているが、役柄の割に変に存在感があり過ぎて、ちょっと画面が重過ぎる。

逆に、恋人というか幼馴染で好意を抱きあっている女性を演じている女優がブサイクで、気分が乗らない。
脇役にギャラ使いすぎじゃないのか。
女優にこそ金を使えよ。

唯一たまげたのはゲイリー・オールドマンだ。
この人は、本当に映画によって印象が変わる。
ゴッサム市警察の数少ない善良な警官・ゴードン巡査部長を演じているが、ゲイリー・オールドマンが出ていると知らずに観ていたので、最後までゴードンがゲイリーだと気づかなかった。
いや、普段からあまり意識していない役者だというせいもあるが、それにしても出演作はいくつか目にしているのになぁ。

そのゴードンの最後のセリフは、なかなか良い。
警察が武装を強化すれば犯罪者もそれに対抗する、いたちごっこだ、というようなことを言うのだが、付け加えて、君のような人間が現れるとこんな奴が出てくる、と言ってトランプのジョーカーのカードをバットマンに示す。
もちろん、これは『バットマン』シリーズの第1作に話をつなげていくための仕掛けだが、口調にどことなく、バットマンへの非難めいたものがこもっていて、興味深い。

身分を隠して陰でこそこそ悪人退治するより、ちゃんを正面から犯罪に取り組むべきではないか、という疑問を呈しているようにも思える。

最後に。

エンドロールを見ていて、ひとつ驚いたのは、「Happy Birthday To You」までクレジットが出ていたことだ。
ブルースの誕生日パーティのシーンで、出席者が歌う、ただそれだけなのに。
ということは、あの曲の著作権って、まだ切れてないのかね?

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