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July 28, 2006

よみうりと朝日の間に

by ピーター

もう2ヶ月ほど前になるが、アサヒコム関西版で連載されている「勝手に関西世界遺産」というコーナーで、朝日放送のテレビ番組「探偵!ナイトスクープ」が取り上げられていた。

関西方面では知らない人間はモグリと言っても良いほどの番組だと思うが、あいにくここ東京では不遇な番組である。
1時以降というような極端な深夜に放送したかと思うと、週末の昼下がりというゴルフみたいな時間に放送されたりと、放送時間が安定しない。
かなりの数存在しているはずの関東在住の関西人には需要がある番組だと思うのだが、これだけ放送時間がコロコロ変わったのでは定着するはずもない。
私も嫌いな番組ではない(京都に帰省すればたいてい見る)のだが、近年まったくフォローしていなかった。

で、先の記事を読んでいて、「放送時間帯の違いがある上、現在、東京エリアで「ナイトスクープ」が放送されていないという事情は、この際、置いておく」と書かれているのを見て、確認してみたら、今はテレビ朝日では放送しておらず、テレビ神奈川と千葉テレビが放送しているのだとか。

気づかなかった。

あんな六本木なんていう“都会”で働いている人間には、ベタベタな関西風味はお気に召さないということですかな。

もっとも、東京のテレビでは、元々関西より深夜番組が充実しているので、“地方”の番組をもらう必要はない、という面はあると思う。

私が20年程前に京都から東京に移り住んだ時、驚いたことの一つが民放がほぼ24時間番組を放送していることだった。
当時の関西のテレビは、深夜1時くらいで放送が終了するのがほとんどだった。
それより遅い時間にやっているのは、映画だとか、そういうただ流しておけばいいだけのものくらいだった。
ところが、東京では2時・3時くらいまでちゃんと「作った」番組を放送していた。

これが地域差なのか、時代の違いなのかはわからない。

バブルの時期に、夜間の余剰電力の消費推進のために24時間放送が広がったという時代背景があったと記憶している。
だから時代の問題とも思えるが、その同じ時期に実家に帰省しても、やはり関西のテレビは早い時間で放送を終了していたから、地域差も無視は出来ない。

よくわからん。

ただ、この「探偵!ナイトスクープ」に対する「西高東低」ぶりが、なおさら関西人のこの番組への偏愛を加速している部分はあるのではないか。
「東京モンにはこのおもろさはわからん」というやつですな。

ところで、私個人としては、「探偵!ナイトスクープ」への思い入れは、薄い。
番組が始まったのが、私が東京に移住してからということもあるし、その東京では番組が冷遇されてきたのは述べた通り。
だから、あまりなじみがないのである。

私にとって、思い入れのある関西のテレビ番組と言えば、「おもしろサンデー」である。

いや、私と同世代以上で、1980年代に関西に住んでいた人にしか分からないと思いますが、そんな番組があったんですよ。

ネットで検索してみても、あまり多くの情報が出てこないので、正確なデータは確認できないが、私が高校生だった1981年か82年に始まったよみうりテレビの番組。
司会が桂文珍と由紀さおり。
コメンテーターとして、今では右派の論客として名を知られる谷沢永一が出演していた。

内容は、関西の街の情報をレポートしていくというもの。
ちょっと変わったサービスをしている店とか、風変わりな最新スポットだとか。
だが、番組の肝は、「フレッシュレポーター(だったと思う)」と呼ばれる素人の若い女性が、そのレポートを行うことにあった。
毎回3人ほどの女の子が登場して、たどたどしくレポートしていく様を見るのが、まあお楽しみという番組だ。
「フレッシュレポーター」は、素人であることがなんといっても重要なので、1年ごとに新しい女の子に交替していた。

いま改めて思うと、この番組、「探偵!ナイトスクープ」と似た部分がないでもない。

桂文珍と由紀さおりと谷沢永一が並ぶ司会席の様子は、局長の上岡竜太郎がいて、秘書の岡部まりがいて、顧問という名のゲストがいるという「探偵!ナイトスクープ」のものと似ている(もっとも、要するにそれは両番組ともにニュース番組やワイドショーの形態を真似たということなのかもしれないが)。
毎週数本のレポートで構成されるという形態は同じだ。
レポート内容はともに「素人いじり」である。
「おもしろサンデー」が素人と素人のからみだったものを、「探偵!ナイトスクープ」ではプロのタレントが素人とからむ形にしているだけだと言える。
まあ、それこそが最大の違いではあるのだが。

どうしても思い出せないのが、「おもしろサンデー」のレポートの話題が、視聴者からの投稿によるものだったか否かということ。
投稿によるものなら、「探偵!ナイトスクープ」と同じということになる。
見所が、レポートの情報内容より、素人の女の子のトンチンカンなレポートぶりに方にあったので、そういうところを記憶していないのである。

「探偵!ナイトスクープ」は1988年に始まった番組だが、この「おもしろサンデー」が終了したのが、それに近い時期だったようだ(その時は既に東京に住んでいたので知らない)。

そう考えると、「探偵!ナイトスクープ」を「おもしろサンデー」の後継とみることもできるのではないか(放送局は違うが)、などと思わないでもない。

ということで、誰か「おもしろサンデー」のことを覚えていませんか?

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July 23, 2006

グロいダイヤ

「グロい」って表現はもう死語かな?

申し訳ない。
恥ずかしながら、勘違いをしていた。

軍艦島の件である。

帰省するのはまだ先になりそうなので、父親に電話してみたのだ。

「父さん、昔、軍艦島に行ったことがあるって言ってたよな?」
「軍艦島なんか行ったことないで」
「いや、長崎の友達が帰省するのについて行ったって言ってたじゃん」
「ああ、あれは崎戸島や」

何を?

崎戸島というのは、軍艦島(端島)と同じ長崎県にあり、やはりかつて炭鉱があった島であるらしい。
中国人・朝鮮人の強制連行では、軍艦島・高島と並んで「鬼が島」と恐れられたと言う。
炭鉱としての規模は軍艦島よりも大きかったらしいのだが、浅学にしてその名を知らなかった。
そんなわけで、父親の「長崎の炭鉱のある島に行った」という話が、いつの間にやら私の中で軍艦島になってしまっていたらしい。

先日書いた軍艦島の話に興味を持たれた方、何か面白い事実が出てくると思わせてしまったとしたら、お詫びします。
すんまへん。

で、改めて話を聞き直してみると、こういうことであった。

崎戸島にある浄土真宗の寺の息子が友人で、それが帰省するのについて行った。
お盆の時期なので、その友人は父親の住職の手伝いで檀家回りをする。
父親も寺の息子で、お経をちょっとばかり読めるので、一緒に袈裟を着て檀家回りを手伝った。
それで幾ばくかのアルバイト料(というかお布施)をもらって、そのお金で九州を一周して帰ってきた。

潮に流されて死にかけたのも崎戸島のようだ。

さて、崎戸島の様子は、やはり賑やかだったということなのだが(他に印象はないんかい)、コンクリート2階建ての炭鉱住宅がたくさん建ち並んでいたことを記憶しているという。
人口は当時2万人と聞いたが、炭鉱が閉山してから随分立つので、軍艦島同様もう人が住んでいないかもしれんなぁ、などと言う。

さて、私は、さっきも書いたように、崎戸島のことはまったく知らなかった。

しかし、この父親の話は、ちょっとひっかかる。

軍艦島はあれだけ高層化して、それでも最大5000人余りの人口しかいなかった。
それが2階建ての低層住宅で2万人もいるとなると、相当大きい島でなくてはならない。

そんなわけで、崎戸島を検索してみた。

軍艦島は長崎市の南方、長崎半島の野母崎の北側に浮かぶ島だが、崎戸島はそのはるか北方、西彼杵半島の西側にある島である。
京都から見たら同じようなものだが、ちょっとばかり離れている。

軍艦島は、近くに高島などがあるにしても、孤島といった感じだが、崎戸島はそうではない。
いくつかの島と群島をなしている。
崎戸島はその中では小さい方だが、すぐ隣の蛎浦島や大島というのは、結構大きい。
昨年の合併で西海市の一部になっているが、元々はこの群島が大島を中心とした大島町と蛎浦島を中心とした崎戸町に分かれていた。
してみると、父親の言う「崎戸島」は「崎戸町」のことと考えた方がいいのかもしれない。
実際、炭鉱の遺構は蛎浦島の方にあるようだ。

父親は低層の炭鉱住宅しか記憶にないようだったが、高層のものも残っているようだ。
炭鉱は昭和43年まであったというので、父親がそこを訪ねた昭和32年前後より後に高層のものが建ったのか、それとも記憶していないだけか。

炭鉱の歴史は明治40年から昭和43年。
その前に崎戸の主要産業となっていたのは捕鯨だったようだ。
江戸時代の寛永年間に始まったようだ。
あるサイトには寛永7年に崎戸での捕鯨が始まったとしているが、以前触れた山下渉登著「捕鯨」には、寛永2年に播州の横山五郎兵衛が大村領の大島で鯨組を始めたという記述があった。

こうしてみると、近世捕鯨と炭鉱で、二度栄え、二度廃れた島、といった印象を受ける。

検索していて、崎戸に井上光晴の石碑があり、資料館には展示もあると知った。
そして、こここそが映画「全身小説家」の重要舞台であることも知った。
いや、あの映画は観に行こうと思いながら観そびれたのだ。
そうか、あれを観ていたら、父親の話を勘違いすることもなかったに違いない。

以上のようなことの次第である。

しかし、親父、でかい島だぞ、いまでもちゃんと人が住んでるし。
寺だって、グーグルマップスで見る限り、4つもあるじゃないか。
適当なこと言うたらアカンで。

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July 19, 2006

満洲怖い

最後にあつかましいソ連兵が一杯来て怖い。

さて、この「タンク・タンクロー」への興味には、実は、別の側面もある。

私は、以前からこの漫画の作者・阪本牙城に興味があるのである。

それは満洲国とのかかわりである。

いまから10年程前になるが、古書市である本を見つけた。
阪本牙城の「鍬の兵隊」という本であった。

その頃既に「タンク・タンクロー」の作者としての阪本牙城の名は知っていた。
古書市の会場の棚に無造作に置かれていたその本の背に阪本牙城の名を見つけた私は、何気なくそれを取り出してみたのだが、驚いたことに、その発行元は月刊満洲社となっていた。
発行年は康徳10年。日本風に言えば昭和18年だ。

興味を惹かれてこの本を購入し、序文やあとがきを見てみると、阪本牙城は康徳6年(昭和14年)に満洲開拓総局に招かれて渡満し、漫画を通して満洲開拓に貢献するという役割を果たしていたという。
この「鍬の兵隊」自体、阪本牙城が満洲各地の開拓農村を回って歩いた見聞記なのである。

当時の文化人は、多かれ少なかれ、大日本帝国の国策に沿った活動を行っている。
文学者や画家については、研究も行われ、わりと世間にもそうしたことは知られている。
最近も、藤田嗣治のそうした側面を取り上げたテレビ番組があった。

しかし、漫画家については、ごく限られた研究しかないようだ。
戦前においては漫画の地位は低かったし、戦後も研究者・評論家から重要視されることは長らくなかった。
オタクが登場した1980年代以降、漫画の評価は徐々に高まり、近年は大学に専門の学科が出来るまでになってきたが、その場合の関心は主に手塚治虫以降の戦後漫画にあって、戦前漫画の研究は、漫画史研究の中でもようやく着手されたばかりと言ってもいいだろう。
早くからその方面に注目している人もいただろうが、その知見が広く世間に知れ渡るほどではなかった。

そんなわけで、私も阪本牙城と満洲につながりがあることをまったく知らなかった。

ただ、この本によってそのことに興味を持ったはいいが、その先を知ることの出来る資料が見つからない。
ひょんな事で、晩年は漫画をやめて水墨画に専念したということを知ったりはしたが、満洲時代のことがわからない。

今回入手した「タンク・タンクロー」の復刻版には、別冊付録がついており、それによって多少詳しい経歴がわかった。
それによると、終戦まで満洲に住んでいたようだ。
そして、ソ連の参戦を受けて、開拓総局職員の家族と共に日本へ帰国する手はずだったが、北朝鮮まで来たところで終戦となり、拘束されて1年間北朝鮮の収容所に入れられたという。

なるほど。
しかし1年で帰国出来たとはツイていたと言えるのだろうなぁ。

さて、「鍬の兵隊」を手に入れて以降、同種の本を捜しているが、見つからない。
別冊付録によると、「漫画現地報告」「開拓三代記」などという本も出しているらしい。
誰かお持ちの方がいたら、私に売ってくれないでしょうか。
あと、私の持っている「鍬の兵隊」は一部に乱丁があります。
乱丁・欠ページのない「鍬の兵隊」も探しています。

1冊2万円までなら出す用意がありますので、お知らせください。

よろしく。

なお、阪本牙城の生涯について多少知ったところで、別の興味もわいた。

というのも阪本牙城は、青梅からは峠を越えたお隣の五日市町(現あきる野市)の出身だというのだ。
しかも、立川高校(当時は府立第二中学校)の卒業。
さらには、一時羽村高等小学校の教員をしていたらしい。
つまり、私の仕事の対象である吉川英治同様、西多摩ゆかりの文化人の一人なのである。

誰か、評伝でも出してくれんかなぁ。

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July 18, 2006

元素テンサイバカボン

ついに第114番目の元素を発見したのだ!
ワシが発見したのだからワシは元素テンサイバカボンのパパなのだ!

赤塚夫人のご冥福をお祈りします。

さて、先日書店で「タンク・タンクロー」の復刻版を見つけたので購入した。

「タンク・タンクロー」と言えば、昭和戦前を代表する漫画の一つだが、私は名前だけ知っていて、中身を読んだことがなかった。

主人公タンク・タンクローの容姿は有名だろう。
8つ穴の開いた黒い鉄球の身体に、ちょんまげ頭、足にはゴム長、手には刀を持った姿は、いろんな形で紹介されている。

私はこれに騙されていた。
てっきり時代劇の中にこういう珍妙なキャラクターが登場するのだと思っていたら、現代劇であった。

この漫画、よくロボット漫画の元祖と言われ、この復刻版の帯にも「待望のスーパーロボット漫画 完全復刻!!」などと書かれているが、実は、作品中にはタンクローがロボットだとは一言も書かれていない。
たしかに、穴から翼とプロペラを出して空を飛んだり、スクリューを出して海を進んだり、機関砲を出して攻撃したりと、ロボット的だ。
しかし、その一方で、初登場の場面では、手足を引っ込めてただの鉄球の姿で出現するのだが、そこに近付いた犬が「ニンゲン ノ ニホヒ ガスルゾ」としゃべっているのである。
それに食事もするし。
ということは、特殊な鉄球型の鎧を着た人間なのか。
あるいは改造人間なのか。
いずれにせよ、正体は明らかではない。

ストーリーは、初めは怪物退治や泥棒退治なのだが、後半は戦争になる。
単行本だと3分の2が戦争である。
まあ、タンクローのような無敵の存在は、戦争にでも放り込まなければ持て余してしまうということだろう。

それはいいが、この戦争がどんな戦争であるのか、さっぱりわからない。
戦場が海の向うであることはセリフや描写でわかるのだが、それは今タンクローがいる日本と思われる国とどんな関係があるのか、不明だ。
しかも、タンクローは、戦場に向かうべく海を渡っている途中で、船を撃沈されて漂流している兵隊たちを見つけて、それを救助すると同時に、そちらの軍に味方することにするのだが、なぜそう決めるのかわからない。
戦争の相手はクロカブトというリーダーに率いられた軍隊だが、このクロカブト軍も何者だかわからない。
侵略者なのか、単なる山賊(潜水艦で現れるから海賊か)みたいなものなのか、説明がない。

とにかく、何一つ説明がない。

そもそもの掲載誌が、『幼年倶楽部』という幼児向け雑誌であるということで、とにかく描写の面白おかしさだけが追及されている感がある。
大人の目で見るから上記のような疑問が湧くのであって、子供の目には面白ければそれで充分、ヘンな理屈より、夢のある荒唐無稽さの方が重要、と、そういうことなのだろうな。

その意味で、タンクローのちょんまげは重要だ。
あれは、この漫画が≪おとぎ話≫であることの記号だと言える。
私が時代劇をイメージしたのも、そう的外れなことではなかったわけだ。

なお、『幼年倶楽部』への連載は昭和9年1月号から11年12月号まで。
単行本はそのうち半分強の10年10月号までの分を書き改め、10年10月に刊行されたものだそうだ。

残りも単行本になっているのなら、ぜひ読みたいのだが、そこまでは復刻してくれんかな。

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July 17, 2006

全方向円墳

どこから見ても、紛れもなく円墳でしょう、これは。

あれこれ。

――☆――

一ヶ月前に、シンドラー社を攻撃するのはいいが、数値的裏付けはあるのか?というようなことを書いた。

その数値的裏付けが、少し前に新聞の記事に出ているのを見た。
シンドラー社製エレベーターは他社製に比べ2.7倍だかの事故が発生しているというような記事だった。
経済産業省の発表らしい。

さて、ちゃんとした数値を得て、これでシンドラー社に対して何か突っ込んだ報道がなされるのかと思いきや、全然そんなことはない。
件の記事自体ベタ記事だし、テレビでこの数値を取り上げているのは、見かけた覚えがない。

要するに、もうニュースとしての旬を過ぎている、ということなのだろう。

でも、ニュースとしての旬を過ぎたからといって、シンドラー社製エレベーターが抱えている問題が解消されたわけではないだろう。
危険は危険としてそのままそこにあるのに、旬じゃないから報道しないって、なんだか釈然としない。

数値的裏付けもないのに大騒ぎして、旬が過ぎたらもうどうでもいいなんて、2ちゃんねるとどこが違うんでしょうか。

――☆――

北九州市で、この春にミイラ化した遺体で発見された男性が、昨年、何度か生活保護を求めていたのに、市役所がそれを門前払いにしていた、というような記事を見た。

詳しい経緯は記事を探してもらうとして、この記事でちょっとひっかかった。

北九州市って、ちょっと前にテレビのドキュメンタリー番組で、職員が生活保護を求める人物に対して申請用紙すら渡さずに追い返す様子を放送されて、テレビ局に講義したんじゃなかったっけ?

こうやって、ちゃんと人を死なせておいて、どの口で抗議したのかね。

数年前に川柳の世界で物議をかもした句に、

老人は死んでください国のため

というのがあった。
老人の医療費負担の割合が増やされた頃の句で、「それは老人はもはや国にとっては負担以外の何ものでもないから死ねと言うことなのか」という怒りのこもったものだ。

それと同様で、役人の立場からすると、生活保護の対象になるような人間も、とっとと死んで欲しいってことなんだろうなぁ。

不正受給を無くすという方便があるのだろうが、多くの人が衰弱していると認識している人間に、不正受給の可能性があると思うようになるのだろうか、役人になると。

それとも、生活保護を受付けたら、受付けた職員の給料が減らされるという、逆歩合制でも存在してるんですかね。

――☆――

人は、なかなか、他人の失敗に学ぶことが出来ない。
私も人の事が言えた義理ではない。

でも、近年、企業の隠蔽体質への批判の高まりや、実際にそこのところの危機管理に失敗した企業が後を絶たないというのに、そんな対応で事が済むと本気で思っているのだろうか。>パロマ

しかし、パロマって、外資系だっけ?
シンドラー社の対応となんだか似ている気がしてしまうのだが。
悪いのは不正改造した奴、っていうスタンスが特に。

――☆――

自衛隊のイラク撤退にあたって、テロを避けるために撤退ルートを秘密にしたらしいが、そもそも「非戦闘地域」に派遣されたはずじゃなかったんですかね?

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July 15, 2006

仮面代打

「ミスタールーキー」かよ。
あれはリリーフ投手だけど。

今朝、ふとつけたテレビで、小中学生を対象にした学力調査の結果を取り上げ、子供たちがこんな漢字を間違ってますよ、というような話題を取り上げていた。

新聞記事をベースにした番組なので、どこかの新聞の記事だろうと思い検索してみたが、おそらくこのあたりが元になっていると思われる。

「子孫」は「こまご」…「奮って」書けず「奪って」

 「子孫」を「こまご」、「趣のある」を「しゅのある」と読み誤ったりするなど、小中学生は日常生活であまり使わない漢字が不得意なことが、国立教育政策研究所の調査で明らかになった。
 調査によると、読み間違いが多かったのは小学校では「挙手」(4年の正答率17%)や「改行」(同18%)など。形の似た「拳」と間違えて挙手を「けんしゅ」と誤読。「潤滑」を「じゅんこつ」と読むケースもあった。中学1年では「趣」が「おもむき」と読めず、正答率は31%にとどまった。
 漢字の書き取りでは、「しゅりょく(主力)」(小4で正答率17%)や「こうせき(功績)」(中2で17%)の正答率が低く、「ふるって…」を「奮って…」(中3で24%)ではなく、字形の似た「奪って」と答えた例もあった。
 正解が多かったのは、読みでは「泣いている」(小4で99%)や「吹いて」(中1で99%)。書きでは「世界」(小5で95%)、「牛乳」(中2で92%)で、日常生活でなじみのある字が目立った。
 また「半径」(小5で正答率98%)や「福祉」(中3で98%)などの読みは正解が多かったほか、「酸素」(小6で86%)や「憲法」(中3で87%)など画数が多い漢字でも、理科や社会の授業で使うことが多い漢字は成績が良かった。
 同研究所は「日常使わない漢字も覚えられるので読書が大切。苦手な漢字にしぼって教えるのがよい」とし、今後、成績の良くなかった漢字の一覧表を作って、配布することを検討している。
ZAKZAK 2006/07/15

「日常生活であまり使わない漢字が不得意」なのは、極めて当り前のことだと思うのだが?
何か問題があるのだろうか、そのことに。
いざ使おうとして分らなかった時は辞書をひけば良いだけの話ではないのかな。

記事は、調査結果だけを淡々と紹介しているようにも見えるが、印象としては、いわゆる「学力低下」という奴を嘆いている風にも読める。
おそらく、そう読ませたいのだと思う。
しかし、それなら、過去の同様の調査の結果と比較して、正答率が下がっていることを言わなければ、「学力低下」の存在を示すことにならないだろうと思うのだが、それはなされていない。

などと思っていたら、こんな記事が。

論理的な考察「苦手」 小4~中3国・数の学力調査

 国立教育政策研究所は14日、全国の小学4年~中学3年の約3万7000人を対象に初めて実施した国語と算数・数学の「特定課題調査」の結果を公表した。難点として浮かび上がったのは、論理的に考えたり、筋道立てて考えを表現したりする力。答えは出せても、そこに至る過程を説明できない傾向もあり、研究所は「国数ともに、文章をもっと書かせる指導が必要」と指摘している。
 調査結果は、都道府県の教育委員会や中央教育審議会に伝え、学校現場での指導法の改善や、学習指導要領の改訂に生かす。一部は研究所のホームページでも公開する。
 調査は、昨年1、2月に無作為抽出した国公私立の小中学校616校で実施した。
 算数・数学が思考力と計算に関する力、国語は漢字の読み書きと長文記述力を取り上げた。算数は48問~66問、数学は37問~47問出題された。なかでも、焦点となったのは、01年度の「学力テスト」で弱さが指摘された論理的な考察力をみる問題。
 典型例としては、底が階段状の水槽に水を入れた際の時間と水位の関係を表すグラフを選ぶ問題で、正答率は最も高かった中3で48%。だが、理由を正しく書けたのは39%だった。
 計算に関しても、文章で表現する力は弱かった。小6の「100円のチョコレートが2円引きで売られているが、35個買うといくらか」という問い。正答率は57%。だが暗算で求めるための工夫を書かせたところ、正しく表現できたのは51%で、6ポイント下回った。
 国語の長文記述のテーマは、小学生が「テレビの見方」、中学生が「言葉の使い方」。それぞれ400~600字、600~800字で意見を書かせ、「発想や主題」などの観点から評価した。
 結果は、算数・数学と同様、論理にかかわる力が弱かった。考えを明確にするための段落構成ができたのは小6で6割弱、論の運びに一貫性を持たせることは中3で7割弱しかできなかった。
 ただ、いずれの学年も9割前後は「記述量」をクリアしており、研究所は、子どもたちは書くことが嫌いではない、と分析。「論理的な考え方を重視するためにも、感想文主体だけでなく説明文を書かせることも増やすよう工夫してほしい」としている。
 一方、漢字の学年共通問題は読み書きともに正答率が学年に連れて上昇した。しかし、とくに率が低い漢字があったことから「重点指導を」と指摘している。
アサヒコム 2006年07月15日15時38分

同じ調査を元に書かれた記事だと思うのだが、全然違う。

これと比較すると、前者は、子供の漢字の間違いを、面白おかしく例示しただけに過ぎないことがわかる。

しかも、後者はこの調査について「初めて実施した」と書いている。
もっとも、同種の調査の結果は過去にも記事になったのを見た覚えがある(記事中にも過去の「学力テスト」のことが触れられている)ので、「初めて」というのは、この≪国立教育政策研究所≫としては、ということなのだとは思うが。

ちなみに、このいかにも天下りの受け皿みたいな名前の≪国立教育政策研究所≫という組織はなんなのだろう。
こんなの文科省が直接調査すりゃいいじゃん。

それはそうと、後者の記事も、多少鼻につかないでもない。

例えば、長文記述について、「考えを明確にするための段落構成ができたのは小6で6割弱、論の運びに一貫性を持たせることは中3で7割弱しかできなかった」と書くが、これって少ないのかなぁ。
これだけ出来れば十分な気もするが。
どれぐらいの水準になればご満足なのでしょうか。

なんとなく、お勉強得意の秀才君が、「お前、こんなのも出来ないの?」と言っている風に聞こえなくもない。

それにしても、保守系の前者は、漢字という日本(?)の伝統文化の衰退を嘆き、革新系の後者は、論理性の欠如が情緒だけでコイズミを支持するような風潮を生み出していると嘆いている、といった感じに深読み可能なところが素晴らしい。

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July 13, 2006

めがねッ講

メガネ女子がめがねッ娘好きを狙って勧誘を行うネズミ講。

で、メガネである。

昨日も書いたように、メガネを着用した女性は嫌いではない。
積極的に好きという訳ではないが、メガネを着用した女性に魅力を感じる時はある。

普段コンタクトレンズをしている人が、コンタクトレンズを忘れたり、何か不具合があったりして、仕方なくメガネをかけている、という状況は、すごく好きだ。
こういう人の場合、公の場ではコンタクトレンズをしているわけだから、それがいわば化粧している状態で、逆にメガネをしている時は、スッピンのプライベート状態に相当する。
つまり、ある意味本末転倒しているのだが、本来は素顔にメガネという物が付加されているにも関わらず、メガネをしている時の方が「素」なのである。
そこにグッとくる。

その点で、「メガネアイドル」を標榜している時東ぁみのようなパターンは論外である。
私が好きなのは、小道具としてのメガネではなく、もっと生活に密着したメガネなのだ。

同じ理屈から言えば、視力が0.6とか0.8で、メガネをしなくても日常生活に支障はないが、間違いが無いよう念のため仕事中はメガネをしていて、帰宅するとメガネはしない、という人がいたら、その場合はメガネをしていない方にグッとくる。
あ、でも、そういう仕事の時だけメガネってのは老眼鏡に良くあるパターンか?
熟女マニアか、俺は(苦笑)

ま、いずれにせよ、要はメガネをしているかどうかではなく、シチュエーションの問題なのである、私にとっては。

ただ、シチュエーションによるメリハリがなくても、似合ってさえいれば、常時メガネでも一向に差し支えない。

その意味で気に食わないのは、コンタクトレンズのテレビCMである。
去年あたり盛んに放送されていたコンタクトレンズのテレビCMで、メガネの女性がコンタクトに替えた後に、決め台詞として「ホントのわたしデビュー!」とか言うのがあったが、あれは、どうにも気に入らなかった。
だって、出演しているお嬢さんたち(複数のバージョンがあった)が、いずれもメガネが似合っているのだ。
そんなに似合っているのに、メガネをやめるなんて、もったいない、とずーっと思っていた。

それだったら、ある消費者金融のCMの方が、ずっとそのコンセプトに合致していた。
消費者金融会社の制服を来た若い女性が突然現れて、借入れを考えている若い男に「○○した方がいい」と注意を与えると、その男が「メガネをはずした方がいい」と言って、彼女のメガネをはずす、という何が狙いなのか判らないCMがあった(「髪をおろした方がいい」と言って、彼女の髪をほどくというパターンもあったが、一層狙いがわからない)。
このCMに出ていた女性(高橋真唯)は、確かにメガネが似合っていなかった。
あれなら、はずした方がいい。

でも、そんな彼女でも、外はコンタクトレンズで、家ではメガネという生活パターンの人であるなら、あれでもOKだ。
似合ってなくても、それはそれで「記号」の役割を果たしているのだから。

えーと、何を白状しているんでしょうか、私は。

まあいい、今日言いたかった事は、結局のところ、これだ。

アンジェラ・アキはメガネ無しで人前に出てはいけない。

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July 12, 2006

バンジーの本懐

この高さから出来たら、本望だ。
(「メガネバンジー」というのを思いついたのだが、あまり一般的ではないかと思い、こう変更してみた)。

「メガネ男子」という本を買ってしまう。
隣に「メガネ女子」というのも置かれていて、なおかつ、私としてもメガネ着用の女性は嫌いではないのだが、買ったのは「メガネ男子」の方である。
というのも、この本に我が愛する青山陽一のインタビューが掲載されているからだ。
いや、しばらく前からライブでも話題になってたんですよ、青山さんがメガネ男子として注目されているとはね。
しかし、こういうものはえてしてマニアックになるものではあるのだが、青山陽一をこんなに大々的に取り上げるとは。
一体どこの誰が青山さんに注目したんだろう?
でも、ライブの集客に影響が出ているようには見えないが。
ちなみに、私がライブを観たり、CDを買ったりしたミュージシャンとしては、小西康陽、サエキけんぞう、鈴木博文、堀込高樹、テイ・トウワ、ベン・フォールズ、エルビス・コステロなんかの名が見える。

さて、同じビルの本屋の下の階にCDショップがあり、そこで「ナゴムポップスコレクション」というのを買う。
ナゴムレコードと言えば、知っている人はよく知っていると思うが、有頂天のケラが主宰していたレーベル。
かのいか天ブームでブレークした“たま”なんかの曲を出していたことで知られるレーベルだが、最近、そのナゴムで出した曲を集めたCDがシリーズで出ていて、その内の1枚である。
当時青山陽一がやっていたGRANDFATHERSの曲が入っているので購入した。
それだけでなく、青山陽一同様、もう15年以上フォローしているカーネーションの曲も入っている。
実は、先日の「怪しい隣人」ライブにゲスト出演したカーネーションの直枝政広が、このCDのことに触れていた。
「若い時の曲は、聴くのが嫌でずっと聴いてなかったけど、久しぶりに聴いてみたら、そう否定的に考える事もないなと思った」というようなことを話していたのだった。
私は、青山陽一(グランドファーザーズ)もカーネーションも、ムーンライダーズの鈴木博文の個人レーベルであるメトロトロンから出したアルバム以降は追いかけているが、ナゴム時代は、それよりも前なのである。

帰宅して、「メガネ男子」に目を通しながら、「ナゴムポップスコレクション」を聴いてみる。
グランドファーザーズは3曲入っているが、実は2曲は別のCDに再録されたのを聴いたことがある。
聴くのが初めてなのは1曲だけ。
悪くないと思うのだが、何が気に入らないんだろう。
本人には、「若気の至り」感があるのかな。
カーネーションも3曲。
名曲「夜の煙突」以外の2曲は初めて聴く。
また、「夜の煙突」も、後年、別のアルバムに収録したのとは全然違う。
だから、初めて聴くに等しい。
他のアーティストは、クララサーカスとドレミ合唱団の名を知っていたぐらいで、曲は知らない曲ばかり。

だが、聴いていると、初めて聴くのに、なんだか懐かしい気がする。
アーティストがみんな若いということで、青春の青臭さみたいなものが感じられるということもある。
だが、やはり、1980年代の空気というものが濃密に詰まっているというのが、懐かしさになっているのだろう。

青山陽一という一人の人間を通して、「メガネ男子」という現代的なものと、「ナゴム」という80年代的なものが結びつく。

なんとも妙な気分になる一日であった。

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July 11, 2006

内部パフォーマンス

こんなのは内輪の人間へのアピールに過ぎん!

昨日触れた『日曜日の印象』の収録されたピチカート・ファイヴのアルバム「Bellissima!」は、数あるピチカート・ファイヴのアルバムの中でも、最もよく聴いたアルバムだ。

いや、ホントに、「数ある」のだ、ピチカート・ファイヴのアルバムは。
企画ものやベスト盤、リミックス盤、ミニアルバム、海外盤、などなど、主に1990年代に大量に出たので、どれをオリジナルアルバムと言っていいのかわからないくらいだ。
もうとっくの昔に解散したというのに、今年になっても、一般的にオリジナルアルバムとされるもの全部が復刻されたし、ベスト盤も出た。
さすがに、復刻版については、元のオリジナル盤で全て持っているので、改めて買ったりはしないが、ベスト盤なんかは、つい買ってしまう。

そんな中にあって、「Bellissima!」は一番最初に聴いたアルバムでもあり、思い入れは深い。

ファンでない方にはどうでもいいことだが、ピチカート・ファイヴはメンバー構成によって4期に分けられる。

第1期(1984~87)は、ボーカルが佐々木麻美子で、あとが小西康陽・高浪慶太郎(後に敬太郎)・鴨宮諒。
本当はこれに宮田繁男を加えた5人編成で、だからピチカート・ファイヴだったのだが、ある事情(女と駆け落ちしたとか)で、デビューには参加しなかったため、結局一度も5人編成になることはなかった。
なお、佐々木麻美子は後年、なぜか映画「その男凶暴につき」のスタッフに名を連ねることになる。

第2期(1988~90)は、ボーカルが田島貴男になり、また、鴨宮諒も脱退し、小西・高浪・田島の3人になる。
鴨宮諒は、この後、モデルの梶原もと子とマンナというグループを立ち上げるが、これは数枚CDを出して活動を停止し、その後は、時々思い出したように素人くさい女性ボーカルを見つけてきてはCDを出すという感じになっている。

第3期(1991~93)は、ボーカルが野宮真貴になる。
これは田島貴男が、別にやっていたバンドのオリジナル・ラヴに専念するために脱退したため。
ちなみに、その後メジャーデビューしたオリジナル・ラヴの初期メンバーには、幻のピチカート・ファイヴである宮田繁男が参加していた。
野宮真貴は元はソロ歌手でデビューしており、その後、ポータブルロックというバンドのボーカルをやっていた。
私が1989年に初めてピチカートのライブを観た時には、コーラスで参加していたのだが、そこから昇格したような格好になる。
そして、この時期から徐々に売れ始めるのである。

第4期(1994~2001)は、ボーカルは野宮真貴のままだが、創設メンバーだった高浪敬太郎が脱退して、2人組になってしまう。
ピチカートがブレークしたと言えるのは、この第4期だろう。
各種CDが大量に発売されるのもこの時期だ。
世間的に認知されているピチカートのイメージは、この時期のものだ。

で、「Bellissima!」は第2期のアルバムになる。
当然、後年のピチカートとは、かなりイメージが違う。
第4期のファッショナブルで虚飾に満ちたサウンドとは違い、良質なポップス(このアルバム自体のコンセプトはフィリーソウルなのだが)という感じ。
私は、どちらも好きだが、しかし、思い入れは第2期の方にある。

アルバムもそうだが、ライブもそうだ。
第2期から第3期のライブは、まさに「バンドのライブ」だった。
同じ曲でも、ライブの度毎にアレンジを変えていたし、何よりメンバーが楽器を演奏していた。
いや、ライブなんだから楽器は演奏するでしょう、と思った人は甘い。
第4期になると、ライブと言いつつもミュージシャンの影は薄くなり、完全に「ショー」となる。
小西さんなんか、最初から最後まで楽器は演奏せず、パフォーマンスに終始するようになるのだ。
解散直前の数年間のライブでは、途中に販売しているピチカートグッズの紹介フィルムの上映が挟まったりして、盛り上がりかけた熱が冷えてしまうこともあった。
「ショー」化の傾向は第3期の終わり頃からあって、それが私には不満だった。

その意味では、私にとってのライブは、いま足繁く通っている青山陽一のもののように、演者の顔がよく見えて、演奏がじっくり聞けるライブハウス・サイズが理想なのだ。
ピチカートも第2期はそんな感じだった。
インストアライブとか、学園祭でのライブとか、そんなこともやってたんですぜ、あの頃は。

ま、しかし、年寄りの繰言ですな、こんなのは。

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July 10, 2006

パートのニートが出てこない

やっと働き始めたのに、やめるんじゃないか、このまま。

誰しも思い入れのある音楽というものはあるだろう。

私の通った大学では、教職・司書・学芸員については、必要な科目を履修し、実習をこなせば、卒業時に資格が取れることになっていた。
もちろん、授業料以外に、資格認定には別途手数料が必要なのだが。
学芸員の場合は、確か1万円だったと記憶する。
教職はそれより高かったはずだ。
それはそれとして、学芸員課程だけは最初から計画的に履修していたのだが、教職課程は取っていなかった。
当然、それは、教師になるつもりはさらさらなかったからなのだが、企業へ就職するのが嫌さに大学院進学を目指した私は、とは言え、研究者となることへの決意というものもなく、逃げ場を作っておくために、4年生になってから急遽、教職課程を履修し始めたのだった。

人生を舐めてますな。

さて、そうして履修した授業の一つに教育心理学(確かそんなタイトルだった)というのがあった。
担当は加藤某という、今でもメディアでたまに名を見かける人物であった。

正直なところ、授業はつまらなかった。
積極的に教師になりたいわけではないからなおさら、という部分もあっただろう。
授業中はほとんど寝ていたし、テストの出来もひどかった。
確か、ギリギリ評価C(優・良・可・不可で言えば可ですね)で単位を取ったはず。
いや、落としたんだったかな。
その後、肝心の大学院に落ちたので、結局どうでもよくなったため、記憶にない。

ところで、本題はそのテストである。
いくつかある設問の中に、「あなたの好きな歌のタイトルを書きなさい」というのがあったのだった。
印象的だったので、それだけは記憶している。

なぜか私は、その設問に、ムカついたのだった。

それを聞いてどうしようというのか。
それで何がわかるというのか。
そもそも歌なんて、世の中に一体どれほどあるのかも知れないほど無数にある。
学生が答案に書いた曲名が、自分の知らないものだったらどうする気だ。
ちゃんと調べて、聴いた上で採点するのか?

まあ、実質的にはサービス問題になるのだろうが、そういうことが頭に思い浮かんで、少し腹が立ったのだった。

で、私はこう書いた。

ピチカート・ファイヴ「日曜日の印象」

1988年のアルバム「Bellissima!」に収録されている曲だ。
私がその授業を受けたのも1988年。
出たばかりのアルバムに入った曲名を書いたことになる。

後年、渋谷系の代表格としてブレイク(まあ、一般的には小ブレイクぐらいな気もするが)することになるピチカート・ファイヴだが、この時はまだ、ボーカルも田島貴男で、売れているとは言いがたい状況だった。

実際にこの曲が好きだったのだが、それ以上に、まずこの曲のことなんか知らないだろうと踏んで、答案用紙に書いたのだった。

ぼくの何もかもが嫌になった
日曜の午後二時半過ぎ

で始まる、いささかネガティブな歌詞を、どう評価する気なのか、興味があったのだ。

インターネットのある現在なら、「日曜日の印象」を探し当てることなど容易だろう。
だが、当時はそうはいかない。
こんなマイナーな曲をどう扱う気なのか、お手並み拝見という気分だった。

もっとも大学のテストってのは、答案はあまり返されることがない。
このテストの答案が返されたかどうか、記憶が定かではない。
何のコメントもなく、ただ丸だけつけられていたのを見た記憶もないではないが、はっきりしない。
まあ、単位を取ったか落としたか記憶にないくらいだからな。

ただ、とにかく、ムカついた、というそれだけの話だ。

ちなみに、ネットで検索すると、この歌を「自殺の歌」と解釈している人が結構いるみたいだ。
というか、そう書いている同じ文章があちらこちらで使いまわされている。

彼女に去られて放心している男の歌ではあると思うけど、私はそこまでは考えたことがないなぁ。
作詞した小西康陽のヌーヴェルバーグ好きを考えると、そう解釈しても不自然ではないけれど。

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July 06, 2006

カッププードル

煮えたぎった熱湯をカップに注ぐと中から可愛いトイプードルの悲鳴が……

近所のコンビニエンスストアに「別冊宝島」が置かれていたので、何となく買ってみた。
「ニッポン『不思議島』異聞」というものである。

奇習が残っていたりする日本の離島を10ヶ所ほど紹介しているものなのだが、その中に長崎県の端島、通称≪軍艦島≫が含まれていた。

それを見て、以前父親が「軍艦島に行ったことがある」と話していたのを思い出した。

当時父親は大学生。
後に奉職することになるその大学は、仏教系の大学で、学友の中には、寺の跡取りが多くいた。
父親も、末っ子で跡取りではないものの、寺の息子であった。

ある夏休み、そんな寺の跡取りである友人の帰省に付き合って、長崎に向ったのだそうだ。
その友人の寺は本土にあるらしいのだが、実は軍艦島にも檀家を持っていた。

「別冊宝島」の記事には、「島には火葬場と墓場はない」と書かれてあるが、要するに、軍艦島には寺自体がなかったわけだ。
島の見取り図も掲載されているが、神社はあるものの(狛犬はなさそうだ)、寺は記載されていない。
そうでなくても狭い島に、宗派ごとに寺を建てる余裕はなかろうし、島の住民である炭鉱労働者は元々島に土着していた人々ではなく、仕事を求めて移住してきた者がほとんどだろうし(中国人・朝鮮人の強制労働もあったらしいが)。
そういう人たちは、当然本土に菩提寺があり、そこに墓地があるということなのだろう。

夏休みと言えば、もちろんお盆である。
したがって、友人はただ帰省するわけではなく、お盆の供養の手伝いをするという目的もあるのである。
そして、父親である住職と共に、一日軍艦島へ渡って、信徒の家を訪ねてお経をあげてまわるということもしなければならない。
私の父親は、それにくっついて行ったわけだ。

父親は、することがないので、友人の用が済むまで島をブラブラしていたらしいが、別に観光施設があるでなし、手持ち無沙汰だったようだ。
それで暇つぶしに海で泳いでいて溺れかけたというのだが、掲載されている見取り図を見る限り、島の周囲は高い堤防に囲まれていて、そんな風に海に出られる場所があるようには見えない。
私の記憶違いで、友人の寺のある本土の方の浜でのことだったのかもしれない。
潮に乗って沖まで出てしまい浜に戻れなくなったが、近くを通った大型船の起こした波に押されたおかげで、何とか生還できたというのだが、死なずにいてくれたおかげで私も存在するわけだ。

島の印象も聞いたはずだが、賑やかだったということ以外覚えていない。

父親が大学生の頃というと昭和32年前後と思うが、記事によると軍艦島の人口は昭和34年が最大で、その数5259人。
島の面積は0.06平方kmなので、人口密度は87650人/平方kmになるという。
そりゃあ賑やかだったろう。

島は昭和49年の炭鉱閉山で無人になったというが、そんなに最近まで稼動していたのか、という感じもする。
私が生まれる前(昭和40年)にはもう廃墟になっていたかのようなイメージがあったのだが。

そのことからすると、軍艦島の思い出がある人というのは、まだかなりの数が存命だろう。
最大で5000人余りもいたのなら、相当な数に違いない。

だから旅の途中にちょっとだけ立ち寄った父親の思い出など、何ほどのものでもないのかもしれないが、本来旅人が訪れるような所ではなかろうから、こういうのも、今となっては貴重な証言なのかもしれない。

今度帰省した時に、もう一度聞き直してみよう。

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July 05, 2006

引退マンション

引退後収入が減っても世間体を気にして生活レベルを下げられない見栄っ張りなあなたに格安の家賃でご提供いたします。

以前の日記でこんなことを書いたことがある。

それぞれの公式サイトを見る限り、新庄剛志と中田英寿はそっくりだ、と。

いや、まさかその二人が同じ年に引退を表明するとは思わなかったよ。
年齢差もあるしね。

新庄は年齢的に引退が近いことは間違いないし、中田にはワールドカップ後の引退の噂があったので、必ずしも唐突な引退宣言ではないのではあるが、ともに余力を残しての引退である点は共通している。

サッカーの事情には詳しくないのでよくわからないが、プロ野球に関しては、レギュラークラスの実力を持つ選手の引き際に関して、限界一杯まで現役に固執する例と余力を残して辞める例の双方が、過去にも見られた。

年齢的にかなり高いところまで現役を続けた長島・王でも、現役最終年の成績を見れば、まだ余力があったように思う。
その後の江川であったり、定岡であったり、近年の元木であったり、巨人の選手には、統計を取ったわけではないが、その傾向が強いような気がする。
限界に挑むことより、巨人の選手であることの方が、意識として上位にあるのだろうな。

とは言え、全体の傾向としては、余力を残すより、悔いがないよう限界まで現役に固執する方が多いだろう。

ただ、今後の日本のプロスポーツ界では、余力派の方が増えていくような気がする。

それはモチベーションのあり方の問題だ。

スポーツ選手を支えるモチベーションの一つに≪ハングリー精神≫というものがある。
字義通りに考えれば、恵まれない境遇からの脱却の手段としてスポーツに打ち込む、という考え方になろうか。

先日、テレビで張本勲が、アメリカの女子プロゴルフツアーに参戦後、成績の振るわない宮里藍について、「コマーシャルに出るのをやめたらどうか」という発言をしていた。
これが典型的な≪ハングリー精神≫信奉者だろう。
≪本業≫であるゴルフ以外で金が儲かるから、ゴルフに対して真剣さが欠けて、成績が伸びないのだ、という理屈。

張本にとってはそうだったのだと思う。
時代もそうだし、本人の在日という出自も、「野球で成功しなければ食っていけない」という≪ハングリー精神≫を培う源になっただろう。

日本国内に話を限れば、それでも通じるだろう。
偉そうに言ったところで、野球などまだまだドメスティックなスポーツだ。
「世界=アメリカ大リーグ」でしかない、狭い世界だ。
そこではまだその感性で通じるだろう。

だが、≪ハングリー精神≫を基盤に置く限りは、日本人が世界で活躍できる可能性はない。
何しろ、日本は世界でも指折りの裕福な国なのだ。
もちろん、今の日本にだって恵まれない境遇の人間はいるだろう。
でも、世界を見れば、「下には下がいる」のである。
≪ハングリー精神≫とは別のモチベーションがなければ、世界と渡り合ってなどいけない。

私の見るところ、それは≪自尊心≫以外にないと思われる。
それは単なる≪プライド≫ということではなく、≪極めて強烈な自己愛≫のことである。

新庄にも中田にもそれがある。

『自分が死ぬほど好き』な男たち。

そうでなければ世界では活躍できない。

そして、そういうタイプの人間は、自分が愛している自己像を維持できなくなった時に、モチベーションを失う。
そのため、余力を残して引退する。

豊かになってしまった日本で、今後生まれてくる一流選手は、多くがこのタイプになっていくのではないかと思う。
スポーツ選手が出演しているバラエティ番組などを見ていると、その傾向は既にあるように見える。

今はまだ指導者の側が≪ハングリー精神≫寄りの人が多いように感じるのだが、そのあたりが変化すると、一気に何かが変わるような気がする。

新庄と中田の引退は、そうした変化の引金になる、だから今年はその変化の兆しの年と言える、などと思ったりもするのである。

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July 03, 2006

フローラン・チャパティ

お前のしゃべり方はうざい。黙らんとカレーに浸けて食っちまうぞ。

今度は店のカレーの話を。

と言っても、カレーは家で食うものという感覚だったので、大学を卒業するまでは、あまり外食でカレーを食うということはなかった。
だから、以下に挙げる店もみな東京のものである。
実家のある京都で特徴のあるカレー屋は知らない。

大学時代に、≪有名なもの≫好きの友人に付き合って新宿の中村屋に≪カリー≫を食いに行ったことがある。
確かに美味かった。
本格インドカリーなのでもちろん鶏肉なのだが、「カレーは牛肉」派の私にとっても、「おお、チキンカレーも悪くない」と思わせるに足るものであった。
ただし、骨付きなので、食べにくい。
それと、辛さの面では物足りない。
そんなわけで、以後は2~3回しか行っていない。

辛いということでは、JR御茶ノ水駅から神田の古書店街に向かって下っていく坂の途中に、明治大学の少し下あたりにあるエチオピアという店のカレーはすごく辛かった。
辛くて美味い。
でも、店の作りが変わってからは入ったことがない。
今でもあの味だろうか。

神田の古書街というと、神田古書センターの中に古書マニアには有名なボンディという店がある。
ここは欧風カレーの店。
注文すると、まず蒸かした皮付きのじゃがいもが出てくる。
カレーが来るまで手をつけずに待つべきか悩んだりするのだが、結局は先に食べてしまう。
ここのライスには、チョコベビーみたいな感じのチーズの粒がまぶしてあるのが特徴で、それがライス、およびカレーの熱で融けて糸を引くのが、たまらない。

本格インドカリーと言いつつ、新宿中村屋のカリーはライスで食うようになっている。
本場同様にナンでカレーを食べたのは、アルバイトで生計を立てていた頃のことだ。
アルバイト先の仲間と、どういうきっかけだか忘れたが、本格インドカレー専門店に行ったのだった。
店の名前は忘れたが、麹町の日本テレビの横にある店だった。
本場のカレーのメニューの豊富さと、辛さに驚嘆した。
ビールのつまみにはちょうどいい。
カレーライスではつまみには出来ないが、ナンだと飲みながら食える。
粉もん好きの関西人には向いた食べ方かもしれないな。

カレーで飲むと言えば、先日、私が写真を提供した本の出版記念の飲み会に招かれたので出向いたのだが、会場がカレー専門店だった。
カレー専門店で、カレー食べ放題の飲み会。
って、それはちょっとねぇ。
食べ放題と言われても、そんなに食えるもんじゃないでしょう、カレーって。
ちなみに、ここは店員がインド人で、いかにも本格的なのだが、意外に辛くない。
非常に物足りない味であった。
本当のインドのカレーは辛くないのか?

この2店の他、吉祥寺のバウスシアターという映画館の隣にあるカレー専門店でもナンが出る。
ただ、ナンの同類にチャパティというものがあるはずだが、それは見たことがない。
私が気がつかなかっただけだろうか。
もっとも、ナンとチャパティの違いがよく分からないのではあるが。

大学生の頃、とりあえずガッと胃に何か入れたい時には、吉野屋か松屋で牛丼を食っていたが、最近はカレーが多い。
上記の店のようなまともなカレー屋とは違うファストフード的なカレー屋としては、新宿の紀伊国屋の地下や、JR東京駅構内、池袋駅地下街の東武の下にある店によく行く。

紀伊国屋の地下のレストラン街には2軒カレー屋があるはずだが、そのうちメトロプロムナードからエレベーターを上がってすぐの所の店によく行く。
スパイスが効いた黒カレーというのがあって、それを食べる。
もっとも、スパイスは後から入れるのだけれど。

東京駅の構内には知る限り2軒のカレー屋がある。
中央線の真下と、京葉線に向かう通路の入り口の2ヶ所。
ライスの盛りは京葉線側の方がいいような気がするが、中央線利用者の私としては、そこまで行くのが面倒なので、中央線の真下のカレー屋に行くのが常である。

池袋駅の東武の下のカレー屋は、数年前にオーナーが替わったようで、メニューも変わり、店の作りも小洒落てしまった。
以前は、壁などに「カレーの効能」みたいなことを書いた紙がベタベタ貼ってあったのに、全く面影がない。
ちょっと残念。
しかし、小洒落るのはいいが、カウンターの椅子が高すぎて、座りにくいぞ、何とかしてくれ。

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July 02, 2006

ダシールは名糖

で、レイモンドはアカギのアイスがお気に入り。

もっとも、自炊を始めてから自分で作っているカレーでは、≪じゃがいも潰し≫はやったことがない。
市販のカレールーの箱に書かれている適量よりも、必ず多めにルーを入れるので、それで十分とろみが出るからだ。

ところで、この自炊のカレーで、大学時代、学科内で有名になったことがある。
まあ、そんなことを20年経った今でも覚えているのは、その話を吹聴した友人と言われた私自身の2人だけだろうが。

大学1年生の時は、まだ学科内もゼミごとに分れておらず、学科共通の必修科目の授業も多くあった。
その一つの英語の授業でのこと。
その授業では、生徒が2人ずつのペアになって、クラス全員の前で英語で「漫談」をしなければならなかった。
いや、「漫談」というか、自分たちで脚本を作って、英語で会話をするというわけですな。

ある時、朝寝坊して、かなり遅刻して教室に入ったら、私の姿を見るなり、皆が大笑いする。
遅刻したくらいで、そこまで笑われるいわれもないがな、と思っていたのだが、後で理由が分った。

その日の「漫談」の順番はある友人だった。
で、そいつが私を英会話のネタに取り上げて、遅刻した私が教室に到着する直前に、こんな話を暴露しやがったのだ。

liondogは、下宿で自炊しているが、一度カレーを作ると、それを1週間食べ続ける。
しかし、彼の下宿には冷蔵庫がない。
腐らないかと聞くと、毎日火を通しているから大丈夫だと答えた。

悲しいかな、これは事実である。

当時は仕送りが月8万円。
アルバイトはしていなかった。
8万円のうち、家賃・光熱費で2万円が消える。
風呂代、洗濯代、通学定期代などのどうしても必要な経費で1万円は無くなる。
残りは5万円だが、本を買ったり映画を見たりしなければいけないから、食費はなるべく抑えたい。

で、安く、腹一杯にする方法として、≪カレー1週間≫をよくやったのだった。

と言っても、さすがに1週間はキツイので実際には5日ほどだが。
でも、一度カレーを作って、それだけ持たせれば、1日分の食費は減らせるわけだ。

カレーを作ったら、その日は鍋(直径25cm、深さ12cmほどのあまり大きくない鍋だ)の3割ほど食べる(これで鍋の7割)。
翌日は、そこに2割分ほど水を足し、1割分ほど煮詰めてやると、鍋の8割ぐらいになるので、それをまた3割ほど食う(これで鍋の5割)。
3日目も同様で、これで鍋の3割になり、4日目を終えると、残りは鍋の1割ほどとなる。
また、毎日カレーライスだと飽きるので、このあたりでカレースパゲッティにしてみたりする(←どこが違うねん)。
ここまで来ると、カレーと言いつつ、私の嫌いなシャバシャバ状態になる。
で、最後の5日目は、ご飯にカレーをかけるのではなく、カレーを温める時に、ご飯を鍋に放り込んで、カレー雑炊にしてしまう。
卵があったら入れてみたりする。

こんな感じである。

本当に、当時は冷蔵庫を持っていなかったので、4日目あたりから、少し怪しい臭いがするようになるのだが、それで腹を壊したことはない。
毎日火を通しているからな、はっはっは。

随分と貧乏くさい話だが、後年、発掘のアルバイトで生計を立てていた頃に、発掘現場で知り合った男が言っていたカレーは、もっと貧乏くさい。

ミックスベジタブルカレー、である。

鍋に沸かしたお湯でカレールーを溶かし、そこに、冷凍食品のミックスベジタブルを入れただけのカレー。

どんなものか、試しに作ってみたことがある。
ミックスベジタブルだけではさびしいので、ツナ缶も入れてみた。
ツナ・ミックスベジタブルカレーである。

安価で簡単に少量作れて、一人暮らしの若者にはピッタリ、と言いたいところだが、お薦めはしない。
はっきり言って、美味くない。

いいですか、止めましたからね。
真似をしてみたら不味かったじゃないか、とか言わないように。

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July 01, 2006

カレー鍋ギャツビー

成金向けの豪華なカレー鍋。

少し前に読んだ文章で、日本人はカレーの話なら何時間でも話していられる、みたいなことが書かれていた。
確かにそうかもしれない。
ということで、カレーの話。

あれは中学校1年生の時。
家庭科の調理実習でカレーを作ることになった。

まじめな学生であった私は、事前に母親にカレーの作り方を教わり、実際に家で作ってみた上で、授業に臨んだ。

さて、授業中、ようやくカレーが完成に近づいた時、私は、おもむろに、母親から教わったことを実行に移した。
ところが、それを見た班のメンバーや、たまたま近くで様子を見ていた家庭科の女教師が、揃って「エッ」という顔をした。

母親は、私にこう教えた。

ルーを入れた後、最後の煮込みの際に、ジャガイモを潰しなさい、と。

だから私は、木のしゃもじで、具として入っているジャガイモをいくつか、鍋肌に押し付けて潰したのだ。

皆の驚く顔を見て、初めてよその家ではこういうことはしないということに気がついたのであった。
カレーみたいな別に伝統料理でもないものに、家によって作り方の違いがあるなんて、その時まで想像もしていなかったのだ。

ただ、家庭科の女教師のみは、「そうやってとろみを出すんやね」と感心していた。

そう言われてみると、我が家のカレーは確かにドロッとした感じの仕上がりになっていた。
なるほど、原因はこれか。
じゃがいものでんぷんがとろみになっていたのか。

ただ、授業の後、母親にこういう作り方を誰に教わったのか聞いたはずなのだが、記憶にない。
母親の実家のある長野県でそういう作り方が普及していたのか、たまたま母親の実家がそうしていたのか、それともまた別ルートから身に付けた調理法だったのか。
残念ながら分らない。

誰か、私の家もそのようにするという人いませんか?

ちなみに、母親の作るカレーには、もう一つ特徴があって、なぜか必ず黒い粒のようなものが混じっているのであった。
聞くと、それはタマネギだ、と言う。
つまり、母親はタマネギを徹底的に炒めた上でカレーを作る人だったのだが、今みたいにテフロン加工の鍋がある時代でもないので、ついやり過ぎて、必ず一部分焦がしてしまっていたようなのだ。

したがって、我が家のカレーは、ドロッと粘度が高く、タマネギは炒めきっているので姿形がなく、具は潰し残しのじゃがいもと、にんじんと、カレー用の角切りの牛肉が入っている、というものであった。

これを食べ慣れていたため、いつも不満に思っていたのが、飯盒炊爨で作るカレーであった。

小中学校の頃、学校や地区の子供会の行事として、しばしば飯盒炊爨を行った。
飯盒炊爨での料理と言えば、たいていカレーであった。
それ以外のものを作った記憶がない。

だが、このカレー、限られた調理時間で、普段料理をしない子供たちが、簡単に作るものだから、タマネギはでかいくし切りで、しかも十分に炒めないから、最後まで≪具≫として形が残っているし、世話役の親や教師たちが買ってくる肉は、なぜかバラ肉だし、もうそれだけで、違和感がある。
そこへもってきて、こういうカレーって、シャバシャバに水っぽいのだ。

カレーを食っている気が全くしないよ、こんなんじゃ。

とか言いながら、ある飯盒炊爨の時に、飯盒の中蓋で12杯もカレーをおかわりした、という伝説も持っているのだが、私は。

まあ、あれは、野外で食事をするというところに意味があり、そのこと自体が味付けなのであって、出来上がったものがカレーらしいかどうかなどは二の次のことだからね。

最近、スープカレーなるものが流行っているらしいが、テレビなどで映像を見るたびに、あの飯盒炊爨の≪いかさまカレー≫(←私的にはね)を思い浮かべて、そんなもので客から金を取ろうなんていうのは詐欺に等しい、などと思ってしまう。

本格インドカレーは別として(あっちが≪本物≫だからね)、ご飯にかけた時にご飯の上にちゃんと乗っかっているのがカレーであって、ご飯の中に浸透してしまうようなものをカレーとは認める気には、私はなれない。

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