« June 2005 | Main | August 2005 »

July 31, 2005

007ドクターの

だめですぅ、それはドクターのですぅ、怒られちゃいますぅ(←誰やねん)

雑誌『Number』の最新号、「天才少女伝説。」という特集号を買う。
あんな腐れメイドより、私はこっちの方が好みだ。

さて、その中に、「ブームの行方 マリア・シャラポワ 美少女から遠く離れて。」という記事があった。
いま人気のあるマリア・シャラポワ、安藤美姫、宮里藍、福原愛について論じた文章で、まあ、内容は、なるほどと思いながら読んだのだが。

文章に、いくつかの図が添えられている。
年表はともかく、「美少女アスリートブーム四天王の人気の内訳」とか「四天王の実際の中身」とか、どういう根拠があって、あるいはどう調査してこういう図を出してきたのかね?と聞きたくなるような代物である。

その中に、「体型と志向性による女性アスリート等の分類」という図がある。
体型と嗜好性という二つの軸で、全体を4象限に分けた図である。

縦軸は体型で、上が≪グラマー≫で、下が≪スレンダー≫となっている。
一方、横軸は志向性で、右が≪体質としてのアメリカ・フィジカル≫、左が≪体質としてのヨーロッパ・耽美主義≫となっている。

縦軸は、すんなり納得できるが、何なのだろうか、この横軸は。

しかし、まあ、イメージできなくはない。
「明朗で、肉体主義的なタイプ=アメリカ」と「陰影に富み、思索的なタイプ=ヨーロッパ」というようなことなのだろう。
アイススケート選手では、第一象限に安藤美姫が置かれ、第三象限に村主章枝が置かれていることからしても、そう受け取って間違いではないと思う。

それはいいのだが。

なんでこの図の中に井上和香とか、白石美帆とか、上戸彩とかが入ってくるのかね。
なぜシャーロット・ランプリングとか、カトリーヌ・ドヌーブとか、ニコール・キッドマンが居るのかね。

おまけにアニメキャラまで入ってる。
まあ、それでも、岡ひろみとか、竜崎麗香(=お蝶夫人ですね)は、スポーツ物のキャラだから良しとしよう。
何だよ、綾波レイとか、惣流・アスカ・ラングレーって。

「女性アスリート等」って、「等」をつけたら何でも入れて良いわけじゃねぇぞ。
そういうことはコミケ用の同人誌ででもやってろ。

編集者もどこ見てんだ。ちゃんとチェックして、余計なものは削除させろよ。

あきれるぜ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 30, 2005

天才悪魔麩饅頭

元ネタにした映画を、実は観ていない。

同じ日に購入した全く別の本に、同じ文章への言及があった。

購入したのは「と学会年鑑Rose」(2005年6月17日 楽工社)と「鉄道ひとつばなし」(原武史 2003年9月20日 講談社現代新書)。
言及されていたのは、「共同研究 男性論」(西川祐子・荻野美穂編 1999年 人文書院)所収の『鉄道マニアの考現学』(鵜飼正樹)。

この『鉄道マニアの考現学』という文章を、私は読んでいないが、鉄道マニアのネガティブな自己認識のあり方について考察したもののようだ。

さて、まず「と学会年鑑Rose」だが、これは“と学会”の例会報告を本にしたもので、『鉄道マニアの考現学』を取り上げているのは唐沢俊一。
もちろんと学会のスタンスが「著者の意図とは違うところで笑える」というところにある以上、ネタとして取り上げられてしまっているわけである。
しかし、それも仕方あるまい。
ジェンダー論の論文集の中に、「鉄道マニア」が出てくれば、誰だって、笑わないまでも奇異に感じるだろう。

一方、「鉄道ひとつばなし」だが、これは自身鉄道マニアでもある原武史の鉄道に関するエッセイをまとめたもの。
原武史といえば、私は狛犬がらみでその著書の「大正天皇」を読んだことがあるのだが、まさか鉄ちゃんだったとは気がつかなかった。
こちらでは、打って変わって評価すべき研究として、取り上げられている。
それどころか、「特に女性の研究者が、もっと関心をもっていいテーマだと思う」とまで書いている。

私としては、研究する価値はあるだろうけど、ネタにされるのがおちじゃないか、という気がする。

ジェンダー論的に意味があるのは、「鉄道マニアはなぜ男ばかりなのか」ということだろう。

それを、原武史は鉄道の発展と近代日本の天皇を中心とした男性性原理は軌を一にしたもので、鉄道の女性排除は運命づけられたものだった、と捉える。

このこと自体はそうなのだと思うが、だから鉄道マニアに女性が少ないというのは違うんじゃなかろうか。
鉄道という組織が女性を排除してきたことと、女性が鉄道マニアにならないことは、次元が違う問題だろう。
鉄道の女性職員が少ないから、女性が鉄道マニアにならない、という図式は全く成り立たないはずだ。

原武史が取り上げているデータに、交通会社の男性社員の比率というのがある。

はとバス=55.6%
日本航空=56.6%
JR東日本=97.5%
阪急=96.5%

原武史は、ここから鉄道の女性排除を指摘する。
それはその通りだが、では、バスマニアや航空機マニアには、この比率に比例するだけの女性マニアがいるのかと言えば、それは違うんじゃないか。
バスガイドやスチュワーデスに憧れる女性は確かにいるが、それはバスマニアや航空機マニアとは違う。
SLの運転がしたくて大井川鉄道に就職したいと考える鉄道マニアはいるだろうが、YS-11に機乗したくてスチュワーデスになったという女性はいないと思うぞ。
バスの写真ばかり撮っているバスガイドなんて聞いたこともないし。

これは、研究ではなく、単なる私の感覚的なものだが、何につけ、「マニア」と呼ばれる所には、女性は少ない。
ただ、女性の「オタク」は決して少なくない。
ここでの「マニア」と「オタク」の区別は、戦前からすでに世界が出来ていたのが「マニア」で、主に高度経済成長以後に形成されたのが「オタク」というぐらいのものである。

つまり、鉄道に特化して女性マニアの少なさを論じるのは、無理があるように思えるのだ。

ということで、この勝負(なんで勝負やねん)に関しては、「と学会年鑑Rose」の勝ちである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 29, 2005

医者のだまし絵

ん?このX線写真、よく見たらこの小腸はどこにもつながってないじゃないか!

先日、reno改めrouter氏の日記からたどって、こんな記事にたどり着いた。

メードカフェ:チアリーダーと“競演” クラブでイベント

メードユニット「完全メイド宣言」のメンバー 「萌(も)え」産業として話題のメードカフェが23日、チアリーダーとメード集団を“競演”させる異色イベントを東京都港区のクラブで開き、約20人の美女たちと約150人の参加者がゲームやダンスで盛り上がった。(以下略)

毎日インタラクティブ7月23日

記事の中身についてはとやかく言うまい。
「メイド」に萌えることと「狛犬」に萌えることの間に、差異はないのだから。

ただ、問題は写真である。

「メードユニット「完全メイド宣言」のメンバー」と題する写真があるのだが。

一人として可愛い子がいないじゃないか。

美意識は人それぞれではあろう。
唐沢俊一がしばらく前に、そのサイトの日記で、テレビ局の若い男のADかなんかが「森三中」を可愛いとジョークでなく言うのに驚いた、というような記述があったくらいだから、私を含む40代と今の20代とでは、可愛いの尺度が違うのかもしれぬ。

しかし、それでも敢えて言えば、上記の写真はブスばっかりである。

メイドの格好をしてたら何でもいいのか?

「トンデモ本の世界S」の中で唐沢俊一が、東浩紀の「動物化するポストモダン」の中の

オタク系作品に現れるキャラクターは、もはや作品固有の存在なのではなく、消費者によってただちに萌え要素に分解され、登録され、新たなキャラクターを作るための材料として現れる

という記述に対して、それが本当ならクリエイターは苦労しないと、批判している。

しかし、上記の写真を見ていると、「メイド」という≪萌え要素≫さえ身にまとっていればブスでも良いというのなら、東の言う通りなんじゃないか、とすら思ってしまう。

ま、キャラクターを創作するのと、メイドカフェの娘ッ子をいっしょくたにしてはいかんのだが。

そんなことを考えていたら、今週の『週刊文春』で、辛酸なめ子がメイド喫茶をレポートしていた。
そこで、その場の雰囲気について≪許しあいの空気≫と表現していた。

なるほど。
≪許し≫というキーワードで見れば、あのルックスでも容認できるのかもしれぬ。

私にはまだそのような寛容な精神は身についていない。
修行が足りんな。

修行する気もないが。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 28, 2005

国姓爺は木を切る、鄭成功、鄭成功

阿里山の木を切って軍艦を造りましたとさ(嘘)

昨日の「ウルトラマン」で、久しぶりにレトロ特撮を観たくなり、先日買っておいた「幻の大怪獣 アゴン」のDVDを観る。

解説によれば、1964年に日本電波映画によって製作されたテレビシリーズだという。
1968年に一度放送された後、地上波では再放送されず、ソフトも通販でビデオが販売されたことがあるだけというレアな作品らしい。

収録されている全4話で完結しているようだが、中身は前後編に分かれた2エピソード(「アゴン出現」「風前の灯」)によって構成されている。

台風の夜に消息を絶った原子力センターのウラン輸送車。
その捜索をする警察と原子力センターの面々の前に、怪獣アゴンが出現する。
その場では一旦姿を消したアゴンだが、やがて原子力センターそのものを襲う。
原子力センターの原子炉を破壊したアゴンは、その爆発によって死んだかと思われたが、やがて再び出現。
防衛隊の攻撃にもびくともしないアゴン。
なす術もなくなった人々は、最後の手段としてウランを載せた車を崖から海に落とす。
ウランを餌とするアゴンは、その車を大事そうに抱えると、海に帰ってゆく。

これが「アゴン出現」。
まあ、まるっきり「ゴジラ」の二番煎じである。

一方の「風前の灯」はこんな話。

嵐の夜、怪しい2人組が漁師の家に、船が転覆したので助けて欲しいと言って、押しかけてくる。
2人組は、転覆の際に海に落としたトランクの引き揚げを漁師に依頼する。
翌朝、嵐がやんだ海に漁師が潜ると、そこにはアゴンが眠っていた。
トランクがアゴンの足元にあるため引き揚げられないと漁師に言われた2人組は、悪人の正体をあらわし、漁師の息子を人質にとって漁師を脅す。
一方で、アゴンをトランクから引き離すためには、餌であるウランで別の場所におびき寄せればいいと考え、原子力燃料研究所からウランを盗み出す。
ウラン盗難の捜索をする警察の元に、意を決した漁師がやって来て、事の真相を告げる。
急いで海岸に集まる警察や防衛隊。
その一方、息子を取り戻そうとする漁師が、2人組と争っている所に、アゴンが出現。
トランクと息子を乗せた船を、何とアゴンがくわえ込んでしまう。
子供を巻き添えには出来ないと、攻撃を控える防衛隊。
やがて、アゴンは工業地帯へと接近。
そこへウランを積んだヘリコプターがやって来て、アゴンを安全な方向に誘導しようとする。
ウランにつられて船を口から放すアゴン。
息子は救出され、同時にトランクの中身が麻薬と判明。
いっそアゴンに麻薬を食わせてみたらどうかというアイデアが出て、ウランを積んでいたヘリが麻薬を積むため着陸する。
そこへ麻薬を取り戻そうとチャンスを狙っていた2人組が登場し、ヘリを奪って逃走しようとする。
しかし、アゴンによって、ウラン、麻薬と共に食われてしまう。
麻薬を食べてしまったアゴンは千鳥足で溶鉱炉に突入、炎上する。
そして、全身を炎上させたまま海に消えてゆく。

「アゴン出現」よりこっちの方が味があるので、つい長々と紹介してしまった。

アゴンという怪獣を中心に置きながら、ストーリーは麻薬密売人を巡る話で展開していくところが、私の知っている中では「宇宙大怪獣ドゴラ」を思わせる。

それにしても、見つけた麻薬を怪獣に食わせてしまうという発想がふざけていて、気に入った。

と言っても、お話全体としては、穴だらけなのだが。

登場人物では、新聞記者、刑事、原子力センターの博士と、その助手の女性の4人が主演。

刑事の顔に見覚えがあると思って調べてみたら、演じている松本朝夫は「ウルトラマン」ではピグモンに命を救われる多々良島の測候所員、「ウルトラセブン」ではワイアール星人に乗り移られた宇宙ステーションV3の隊員をやった人だった。
なるほど、どうりで。

博士の助手に女性を演じた沢明美は、ちょっと好きなタイプの顔。

というか、中学の時に好きだった女の子と横顔がそっくりで、少し胸が疼いた。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

July 27, 2005

ペヤングフォースやきそば

食べたらジェダイになれる・・・か?

東京のローカルテレビ局であるMXテレビで、現在「ウルトラマン」の再放送をやっている。
初代のウルトラマンのだ。
23時25分からの放送というところが、完全に「大きいお友だち」狙いだな(苦笑)

今夜放送したのは「異次元へのパスポート」という回で、登場する怪獣はブルトンである。

この回は、初見の時から、結構好きな回なのだ。

探検家の男が持ち帰った「隕石」が、実は生物で、しかも四次元を作り出す能力を持っていた。
その能力に、科学特捜隊も翻弄される。

そういう話である。

扉を開けるとその向こうのシュールリアリズム絵画のような風景が広がっていたり、脱出しようと階段を駆け上がると、それが永遠に続く階段になっていたり、崖を飛び降りると、ごみ箱に突っ込んだり。

そういうファンタジックなところが、好きなのである。

ただ、最初から最後までこの路線でコミカルに作られていれば、最高の1話なのだが、後半に入ると、防衛軍の戦車や戦闘機が登場して、しかもブルトンによって全滅させられてしまうという場面が登場してくる。
そこが残念だ。

変なものを発見したばかりに、四次元世界に閉じ込められて右往左往する科学特捜隊とウルトラマン、というだけの話ではダメだったのだろうか。
戦闘シーンが無いと子供が喜ばないと思ったのかな?

我々地球人とは全く異なる原理を持つ存在。
バルタン星人やメフィラス星人のような侵略者ではなく、ゴモラやレッドキングのような規格外れの“猛獣”でもなく、ただ生存の基盤が根本的に違うだけの存在。
しかし、それ故に、全く理解不能な混乱を招く存在。

そういう風にだけ描くということは、難解すぎるのだろうか。

SF史を語れるような素養のない私ではあるが、もしそういう作品になっていたら、日本SF史上の重要な1話になっていたのではないかと、思ったりもするのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 24, 2005

肺胞、肺胞、仕事が好き

休んだら死ぬわい。

愛読する「雑記草」で、地球温暖化についての考察がなされている。
二酸化炭素は本当に温暖化の原因なのか?という疑問を提起しておられる。

文中からのリンクをたどってみると、温暖化によって二酸化炭素が増加しているのであって、その逆ではないとしている文章もある。
その同じ文章では、オゾンホールの発生はフロンなどによるオゾン層の破壊が原因ではないとも書く。

説得力のある文章であった。

だが、悲しいかな、その是非は私には分からない。

ただ、環境問題や健康問題に関する限り、「疑わしきは罰せよ」というのが私の立場である。

いま話題のアスベストの件にせよ、因果関係が明確になるまで事を放置した結果、規制することで失われる利益以上の損害を最終的に生じさせてしまうということが、少なからずある。
議論は尽くすべきだが、議論している間にも被害が進行してしまうなら、何のための議論かわからない。
それを考えれば、疑わしきは罰した方が、良いのではないかという気がするのである。

これは感傷的で、微視的な考え方かもしれない。

1人の人間にとって5年、10年というのは取り返しのつかない年月だが、人類がこの先も100年、1000年と存在し続けることを考えるなら、些細な年月とも言える。
拙速に彌縫的な対策を施すことで、思いもよらぬ所に別の悪影響が出る事だってあり得る。

しかしながら、死んであの世があるわけでも、輪廻して生まれ変われるわけでもない。
自分は手遅れでも、子や孫にはより良い環境を、なんて諦念は持てない。
子や孫はもちろん、自分だって野垂れ死ぬのはゴメンだ。

こんなこと、深夜に煌々と灯りをつけながら、エアコンをガンガンに効かせた状態で、言うことじゃないですか。
そうですか。

ところで、話は変わるが、職場で行っていた燻蒸が今日ようやく完了した。
エキボンに比べてアルプは抜けが悪いとは聞いていたが、排気に10日もかかるとは思いもしなかった。
エキボンなら3~4日で抜けるのに。
ちなみに、完了したと言っても、収蔵庫内の酸化プロピレンの濃度は、まだ1ppmほどある。
安全基準の2ppmを下回ったということで、完了にしたが、ちょっと不安。

もし、オゾンホールの発生原因がフロンなどによるオゾン層の破壊でないのなら、実に無駄な時間を要したことになる。

それでも、疑わしきは罰した方が良い。
そう思いたい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 22, 2005

エチレン上人

法華経を唱えると果物が早く熟れるのじゃ!

1人で店で酒を飲む時は、手持ち無沙汰なので、本を読むことにしている。

先日も書店でつまみになる軽めの本を買って、酒を飲み始めた。

つまみにしたのは「土地の文明」(竹村公太郎 2005年6月27日 PHP研究所)。
副題は『地形とデータで日本の都市の謎を解く』というもので、インフラに着目しての都市論といったところ。

最初に取り上げるのは東京。
江戸城の正門は実は半蔵門なのではないかという話から始まって、忠臣蔵の真相は徳川家による吉良潰しの陰謀だったのではないかというところに持って行くあたりは、決して目新しくはないけれども、なかなか面白い。

しかし、読んでいるうちに、次第に違和感を覚え始める。

この著者は、著者紹介によれば、東北大学工学部から建設省に入省し、先年国土交通省を退官している元官僚である。

その経歴のためか、河川改修(第4章北海道・第6章新潟)や区画整理事業(第11章神戸)を、どこか絶対的な正義としている部分がある。

物事には必ず、善悪、功罪の両面がある。
そうそう絶対的な正義なんてものはない。
それがあると思うのは、傲慢というものだ。

そうだ、傲慢なのだ、この本は。

そうでなければ

歴史の専門家は文系である。そのため歴史の解釈は政治、経済、宗教など人文社会的なものとなっていく。人文解釈は実に多様であり、決め手がないまま果てしなく議論が続いていく。そのため謎は謎として、いつまでも残されてしまう。

私の歴史解釈は、地形、気象、インフラの下部構造からのアプローチを取っていく。

などということを、平気で書けるはずがない。
これはいくらなんでも歴史家をナメ過ぎである。

どうでもいいけど、≪下部構造≫って言葉の使い方、間違ってるだろ、これ。
「資本論」読み直した方が良いんじゃないか。

いや、私も読んでませんけどね。

最終章に、ソウルでいま、清渓川の復元工事が行われているということを取り上げている。

これは東京で例えるならば、埋め立てて道路にしたり、上に首都高速を通したりした江戸城の堀を元に戻すような事業である。

著者はこれを「近代文明の転換を予兆させる」として評価する。

それは確かにその通りだろうが、著者がそれに衝撃を受けるのは、「近代都市において、車がスムーズに移動するのは絶対の正義である」と信じてきたからに過ぎないのではないか。

確かに、著者が言う通り「いつも渋滞している都市は侮蔑の対象」であろう。
しかし、それを解消するために道路を造るという方法は、既に限界にきている。
東京など、道路を造れば造っただけ車の数が増えて元の木阿弥になっているような印象すら受ける。

私自身は、以前から、これからの都市に必要なのは、不要な車を排除し、交通量を制限するための方策だと思っているので、著者の考え方のほうにむしろ衝撃を受ける。

著者が近代都市のあり方に疑問を投げかけているのは、ここだけではない。
大阪の法善寺横丁の火災後の再建を取り上げて、こう書く。

このまま人工的な都市づくりを推し進めるのか。それとも街の一角に、人と人が揺らぎを感じる路地を残していくのか。その路地の周辺にさまざまな人が集まり、触れ合い、いつのまにか怪しい影の空間がつくられていく。そのような余地を残していくのか。

都市をつくる人達の責任は思いのほか大きい。

人間への深い洞察が、都市づくりの場で必要になってきたようだ。

一見良いことを言っているようだが、この言葉と、次の章で区画整理事業を称揚することとの間の整合性はどうなっているのだ。
区画整理は絶対に必要な事業だが、どこかに影の空間も生まれるようにしないと都市の魅力は失われるよ、ということか。

しかし、全て読み終えた上で、この文章を読み直すと、都市をつくる人達=官僚も、机上の計算だけでなく、少しは庶民の声も聞かないといけませんね、注意しましょうね、という風にしか受け取れないのだが。

それは、庶民も、自身がそうであった官僚をも、ナメているようにしか思えない。

念のため言っておくが、自分が文学部史学科の出身で、公務員試験に落ちたことがあるからこんなこと書いてるわけじゃないぞ。
多分。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 21, 2005

タカクラケン砂漠

「タカクラケン大放送」でも可。

先日の「狛犬紀行」以降、アマゾンで狛犬関係の本を何冊か購入した。
同好の士のために、少し紹介してみる。
もちろん、同じ轍を踏まないようにということだが。

「福岡城の瓦師――菅原道真・櫛田神社・神殿狛犬――」
(荻野忠行 2004年3月1日 創言社)

タイトルから分かるように、いくつかの論考をまとめた本。
その第二部が「阿多隼人と狛犬」。
狛犬の起源説の一つに≪隼人の狗吠え≫説というのがあるのだが、それを論じたもの。
記紀に基づくもので、元々江戸時代には既にあった説である。
裏返せば、世界という観点を持たない説とも言える。
世界に広がるライオン文化の一形態として狛犬を捉える立場からは、この説はドメスティック過ぎて、否定的にならざるを得ない。

「狛犬遍路みち」
(宇野弘介 2001年10月15日 文芸社)

あとがきによれば、これは≪動態的狛犬学≫の実践ということになるようだ。
≪動態的狛犬学≫というのは、物としての狛犬を研究する≪静態的狛犬学≫に対して、狛犬に寄せる人の心、「祈り心」に迫ろうというもの。

それは良いんだけど、なんで小説なの?

小説の中に狛犬についての知識などがちりばめてはあるのだが、読み通す気力が失せてしまって、投げ出してしまった。

「狛犬のきた道 幻のアジアハイウェイ」
(鈴木英夫 1990年3月25日 本阿弥書店)

どこで見たか思い出せないのだが、この本に言及した文章を読んで、それ以来ずっと探していた本である。
やっと手に入れて、期待して読んだのだが、ちょっと肩透かしを食ってしまった。

これは、1970年に著者がギリシャからインドまでバス旅行をした際の紀行文なのである。
もちろん著者は狛犬に関心を持つ人物であり、各地の古代遺跡に足を運んではライオン像を探して歩いているのだが、その記述は、少ない。
大半は旅の出来事の記述なのである。
ライオン像についての記述だけ摘み読みしたら、あっという間に読み終えてしまった。

魅力的な素材なのに、残念だ。

「新潟の参道狛犬」
(新田純家 2005年5月27日 新潟日報事業社)

参考文献に「狛犬学事始」の名が挙がっているが、あれをそっくりそのまま新潟の狛犬に置き換えた本だと思えばよい。
調査範囲は白根市・新津市・小須戸町・横越町・亀田町・新潟市・味方村・月潟村・田上町・京ヶ瀬村・豊栄市で、新潟県全域というわけではない。

しかし、新潟の狛犬のことしか書かないとマニアック過ぎて退屈だと思ったのかどうか知らないが、狛犬の歴史についての記述は、蛇足な感じがする。
それと、最初から最後まで「宗朝式」という記述が続くのは、気になって仕方がない。
それは「宋朝」だと思うんですがね、中国の王朝の名なんだから。
あと、「大日本百科事典ジャポニカ」からの引用がやたらと多いんですけど。

そんな引き写しみたいな事はやめて、自分の目で見た狛犬の紹介だけにすれば良いのに。
そっちの方は興味深い記述も多々あるし。
それと、モノクロではあるが、狛犬の写真がたくさん掲載されているのはありがたい。

以上。

しかし、この間の「狛犬紀行」も含め、自費出版の本ばっかりだ。
狛犬愛好家は増えていると思うんだけど、まだ商業出版には乗り難いのかなぁ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 17, 2005

ある賊

犯人は綜合警備保障の社員でした。

こんな記事があった。

「児童ポルノ」閲覧制限 国会図書館、摘発対象指摘受け(アサヒコム) 

少女のヌードを写すなど法で禁じた「児童ポルノ」にあたる可能性がある本について、国立国会図書館が閲覧などの利用制限を始める。児童ポルノ禁止法で有罪とされた写真集を同図書館が閲覧・コピーできる状態にしていたことが今春、発覚。その写真集を利用禁止としたものの、同図書館はほかにも同様の写真集などを所蔵する。法務省に「摘発対象になりうる」と指摘され、あわてて対応に乗り出した。(後略)

致し方のないことではあろうと思う。

ただ、引っかかることもないではない。
それは記事中のこういう部分。

ほかにも漏れている可能性があるとして、同図書館は有罪、あるいは起訴された事件の写真集などの情報を法務省に求めたが、「リストアップしていない」と断られた。逆に、児童ポルノにあたる構成要件は法で明示していることから、「図書館で判断できるはず。もし児童ポルノを提供しているとわかれば、摘発対象にもなりうる」と、自主的な対応を迫られた。(中略) 法務省刑事局の風紀担当は「有罪認定されないと判断できないという言い分はおかしい」と話す。(後略)

この法務省の言い分こそおかしいのではないか。

何をもって「児童ポルノ」とするのか。
本当に「児童ポルノ」は有害か。

こうした点には、様々な議論があるはずだ。

記事の最後に、こんな解説がついている。

〈キーワード・児童ポルノ禁止法〉 「児童ポルノ天国」という国際的批判を背景に、99年11月に施行。18歳未満を「児童」と規定する。「児童ポルノ」の構成要件の一つに「衣服の全部または一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ、または刺激するもの」とあり、性行為をしていなくても、裸やそれに近い姿を写していれば対象になりうる。製造や陳列、提供などを禁じている。
これによるならば、アイドルの水着グラビアだって、場合によっては「児童ポルノ」認定されかねない。

大体、性的なことについては、常に基準は曖昧だ。
何によって「性欲を興奮させ」るかは、人それぞれ異なる。
文化や宗教、時代によっても異なる。
逆に言えば、何にだって、人は欲情できる。
決して≪自明≫のことなんかではない。

したがって、議論は際限のないものになってしまう。

だから、それは≪法≫が決めることなのだ。
それが法治国家というものだろう。

それにもかかわらず、法務省が、「図書館で判断できるはず。もし児童ポルノを提供しているとわかれば、摘発対象にもなりうる」とか、「有罪認定されないと判断できないという言い分はおかしい」などと言うのは、良く言えば職務怠慢、悪く言えば陰謀に等しい。

そう、陰謀だ。
摘発の可能性をちらつかせながら、自主判断を強要するなどというのは、まさに恐怖政治のやりくちだろう。
そんなことを言われれば、極端に後退した基準を設定せざるを得なくなる。
そうなれば、実際には「違法な児童ポルノ」とは認定されていないものまで、閲覧禁止となりかねない。

ちなみに、「児童ポルノにあたる構成要件は法で明示している」と言うが、調べてみたら、こういうものだった。

この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。 (1)児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの (2)他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの (3)衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの

全然明確じゃないじゃないか。

まだ、これは事が「児童ポルノ」だから、かまわない。
しかし、それ以外の局面でも、こうしたやり方が適用されたら、たまったものではない。

国会図書館には、あくまでも基準は法務省が設けるべきものだと、きっちり主張してもらいたい。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

July 16, 2005

手足がしぼむ

寺島しのぶテレビドラマ初主演記念。

昨日書いた内容について、いいツッコミがあったので、それへの回答で1日分潰せる。

燻蒸には、アースレッドは使えない。
もちろんバルサンも。

理由は簡単で、これらは液体だからである。
噴霧している時は霧状になっているので意識していない人も少なくないだろうが、これらは常温では液体の物質である。

例えば、本を考えてみて欲しい。

本というのは、言ってみれば薄い紙を重ねた塊である。
その塊の中まで薬剤が届かなければ、紙を食べるシバンムシなどを殺すことが出来ない。

しかし、本に上記のような殺虫剤を吹き付けても、表面には薬剤がかかるが、そこから中には浸透していかない。
全体を殺虫するには、全ページを開いて、いちいち吹き付けなければならない。

その一方で、浸透していかないくせに、紙には染み込む。
染み込んだものは、除去し難い。
そして、染み込んだ薬剤によって、紙が変質してしまう可能性がある。

つまり、博物館資料の燻蒸において必要なのは、資料の内部まで浸透し、しかし、事後には残留しない、ということなのである。
こうした要求によく応えてくれるのは、常温で気体の物質なのである。

密閉空間にガスを充填して加圧し、資料内部まで浸透させ、事後には減圧してやることで資料内部に浸透したものも放散させる。

燻蒸とはそういう作業なのである。

実は、作業時間としては、薬剤ガスを抜く作業の方が時間がかかる。
ガスを100%完璧に抜ききることは難しい。
資料に残存しているガスが、じわじわと後から出てきたりするので、根気よく排気しないと、人体に影響のないレベルまで濃度が下がらない。

下がらないと、虫と一緒に私も死んでしまう。

いや、冗談じゃなく、前回の燻蒸の後、しばらく薬剤の匂いが消えずに残っていた。
人体に影響のある濃度ではないと言われても、気持ちのいいものではない。

気持ちのいいものではないにも関わらず燻蒸を行うのは、資料を永く後世に伝えたいからだ。

しかし、燻蒸によって虫や黴による直接的な被害が抑えられるのは間違いないにせよ、本当に資料に科学的な悪影響を与えないのかどうかについては、正直なところ、よくわからない。
様々に試験されてはいるのだろうが、100年というようなスパンで見ればどうなるのか。
今回のように薬剤を変えた場合、以前の薬剤が微量でも残留していたら、何か影響は出ないのか。

不安を抱えつつも、今の目に見える被害を防ぐため、燻蒸を行うのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 15, 2005

世尊カード

釈迦の保証付き。

今、思考停止状態なので、職場の方のブログに書いたことに手を入れて、ここに貼り付ける。
ちなみに、職場のブログの方もちょっとネタ詰まり状態だが、逆は出来ないなぁ。

いま、職場の方は「燻蒸」のため臨時休館中である。

「燻蒸」というのは、単純に言えば、博物館の資料にムシやカビがつかないように消毒を行うこと。
密閉された空間内(収蔵庫など)に薬剤を充填して、ムシやカビを殺すのだ。

従来、博物館での燻蒸には「エキボン」という薬剤が広く使用されてきた。
これは商品名で、その成分は酸化エチレンと臭化メチルである。

扱いやすく、短時間で効果があるので、燻蒸剤としては重宝されてきたのだが、臭化メチルがフロン同様の「オゾン層破壊物質」であることが分かり、2004年末で全面的に使用禁止となった。

全面禁止が決まった頃から、様々な代替品が模索されてきたが、今回はその中から「アルプ」という薬剤を使用することにした。
これも商品名で、成分は酸化プロピレンとアルゴンである。
詳しく言うと、薬効成分が酸化プロピレンで、アルゴンは希釈剤。
ちなみに、「エキボン」の場合の酸化エチレンと臭化メチルは、ともに殺虫・殺黴の薬効を持つ物質である。

アルゴンは不燃ガスだが、酸化プロピレンは可燃性の高い。
そのため、慎重な扱いが必要になる。
また、充分な効果をあげるのに、エキボンより時間がかかる。
排気の際にも、抜け難いという特性がある。

そのうえ、酸化プロピレンは可燃性が高いため危険物に指定されている。
そこで、念のため、燻蒸に先立って青梅消防署に申請を出した。
そうしたところ、青梅消防署管内では、アルプでの燻蒸は過去に行われたことがなく、吉川英治記念館が初めての事例である、という。
そのため、燻蒸作業初日には、消防署から10人以上の職員が立会いにやって来た。
ちょっとした勉強会ですな。
でも、いきなり、やっぱり中止しろとか言い出さないかとヒヤヒヤしたぜ。

それにしても、フロンといい、臭化メチルといい、利便性の高い物質に限ってオゾン層を破壊してしまうというのは、実に皮肉と言うか、何と言うか、とにかくあまり有り難くない話である。

ところで、今回の燻蒸では、別々のボンベに入っている酸化プロピレンとアルゴンを、混合機を用いて現場で混合する。
「アルプ」という商品は、その混合機まで込みの商品なんですね。

さて、酸化プロピレンは、空気中での濃度が2.8%以上になると爆発の可能性がある。
いわゆる爆発範囲ってやつですね。
今回は、収蔵庫内での酸化プロピレン濃度が2.1%を超えないように濃度管理をすると、業者は言っている。
それによって爆発を防ぐわけだ。

この「アルプ」を製造販売しているエアウォーター社では、あらかじめ酸化プロピレンとアルゴンを混合して、酸化プロピレン濃度を2%にして、簡便かつ安全に取り扱いができる商品も開発し、販売しているそうだ。

楽に扱えるということで≪らくらくアルプ≫という商品名に決まりかかっていたそうですが、社長の一声で変更になったのだとか。

それが≪あるあるアルプ≫

「あるある」?

もしかして、『あるある探検隊』じゃないだろうな。
ひょっとしてお笑い好きですか、社長さん?

| | Comments (2) | TrackBack (0)

July 12, 2005

エピソード3:指数の復習

アナキンは数学は苦手。

「スターウォーズ:エピソード3」が公開されるというので、テレビでシリーズの旧作が次々と放映されている。

改めて観てみて、やはり「スターウォーズ」は旧シリーズだけあれば十分だと思う。
いや、新シリーズは「エピソード1」しかちゃんと観てない(「エピソード2」はテレビで断片的にしか観ていない)のではあるが。

しかし、それだけの範囲で考えても、旧シリーズが、無駄を排したきっちりした作りなのに比べると、新シリーズは冗漫な印象を受ける。

また、視点の問題もある。

旧シリーズ3部作としてみた場合、これはルーク・スカイウォーカーの物語である。
無鉄砲で生意気な若者ルークが、修行を経て、また出生の秘密から来る苦悩を乗り越えて、一人のジェダイとして父と対峙する、という物語である。
これだと、典型的なヴィルドゥングスロマンとなる。

これに対し、新旧シリーズ6部作としてみると、アナキン・スカイウォーカーの物語に変貌する。
実際、先日見たテレビで、ジョージ・ルーカス自身が、「スターウォーズはアナキンの物語だ」と話していた。
つまり、類稀なフォースを持った少年アナキンが、恋に落ち、その愛ゆえにダークサイドに落ち、ダースベイダーとなるが、息子ルークとの対峙の中でようやくジェダイの心を取り戻して、死を迎える、という物語になってしまうのである。

そのあたりが、なんとなくしっくり来ない。

まだ、かつて噂されたように、9部作となるのなら、納得できる。
それなら、アナキンの物語が完結したように、ルークの物語の完結も見られるだろう。
しかし、6部作だと、アナキンの物語は完結しても、ルークの物語が中途半端なままだ。

とは言え、新シリーズでアナキンがたどった道、つまり、秘められたフォースを見出されるが、感情に流されてダークサイドに落ちてしまうという道を、旧シリーズでルークは途中まで同じように歩みながら、ダークサイドに落ちずに踏みとどまる、という対比関係が成り立っていて、これはこれで完成されている。

この先ストーリーを重ねるのは、無意味に感じられなくもない。

と言いながら、勝手にエピソード7~9のあらすじを考えてみる。
ちなみに、多分小説版などは出ているはずだが、そういうものは一切読んでいない。

当然ストーリーはレイアとハン・ソロの間に出来た子供を中心に展開する。

エピソード6のクライマックス、皇帝は巨大通風孔を落ちていっただけで死んだかどうかは不明だから、これは生きていることにする。

生延びていた皇帝は、密かにレイアの息子に接近し、これをダークサイトに導こうとする。
それを察知するルークだが、息子を盲愛するレイアは気がつかない。
そんな中、ハン・ソロが皇帝の策にはまって命を落とすが、レイアはそれがルークのせいだと信じ込まされ、兄妹の間に亀裂が生じる。
ここまでがエピソード7。

皇帝のために、ダークサイドに落ちるレイアとその息子。
しかし、皇帝が、彼らの力を利用して再度銀河を支配しようと乗り出した時、いつの間にか皇帝より強力なフォースを身につけていたレイアの息子によって殺されてしまう。
ここまでがエピソード8。

息子を新たな皇帝にしようとするレイア。
それを阻止し、2人をダークサイドから抜け出させようとするルーク。
しかし、願いはかなわず、2人を殺さざるを得なくなる。
かくして、スカイウォーカー一族は、強いフォースを持って生まれたがために、かえって骨肉の殺し合いをする悲しい運命を背負ってしまったのであった。
これで完結。

すごく陰気な話になっちまうなぁ。

やっぱり旧シリーズだけでいいや。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 05, 2005

コートの中では兵器なの

まあ、確かに美人だけど、「かおる姫」って呼び方はなかろう。
ちなみに、私は宝来の方がいい。
私は醜いブタです、その高い所から蔑むように見下ろして下さい。

Young and free
I 'm just a happy man
アスピリン片手のジェットマシーン
そんなに乱れてハニー
何をたくらんでるのさ
Tell me Tell me
(佐野元春「Happy man」)

中学の頃の同級生とカラオケに行って、これを歌ったら、ほとんどの奴が知らなかった。
以前、同じメンバーとカラオケに行った時に、ピチカートファイヴの曲を歌ったら誰も知ってる奴がいなくて場がしらけたから、ピチカートよりはメジャーで、世代的にもピッタリだと思って選曲したのに。
お前らは、どんな音楽聴いて育ったんだよ。

まあ、その代わり俺はサザンの曲は歌えないんだけどな。

と言うことで、アスピリンである。

昨日、ロンドンに住む弟と電話をしていたのだが、奴が言うには、ロンドンでは今アスピリンブームなんだとか。
知り合いはダンボール箱ごと、いわゆる「箱買い」をしたとか、薬局では1人3箱までと制限している所もあるとか、すごいことになっているらしい。

それというのも、アスピリンにガンを押さえる効果があるという研究結果が発表されたからなんだそうだ。

これは弟の説明なので、話半分で聞いて欲しいが、関節リュウマチの患者は痛み止めとしてアスピリンを服用しているのだが、その関節リュウマチの患者にはガンになる人が少ないということから、研究をしてみたら、ガンを抑制する効果が見つかった、というのだ。

電話を切った後、検索をしてみたところ、そうしたことを書いている日本語のサイトが結構あった。

面倒くさいので、Googleの検索画面に表示された文章だけ拾ってみたが、乳がん・肺ガン・大腸ガンが、効果の見られるガンとして名が挙がっている。

元々別の目的のために作られた薬が、調べてみたら別の疾患にも効果があったという例は、多い。
今とっさに思い浮かぶものとしては、バイアグラがそうだし、あのサリドマイドがエイズに効果があるという話もあったはず。

だから、アスピリンに抗ガン作用があっても別に驚きはしない。

まあ、私は薬嫌いなので、試す気はないが。

そんなことより、オイルショックの時のトイレットペーパー騒ぎみたいなことが、あるいは、みのもんたの一言でココアが店頭から消えたみたいなことが、ロンドンでも起こっているということの方が興味深い。

案外違わないもんだな、東洋も西洋も。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 03, 2005

戸袋の味

カビ臭せぇよ。

私の職場で開催していた特別展が今日で終了したので、その後片付けを始めた。

私の職場では特別展用のショーケースが4台ある。
それぞれに同じタイプのカギが取り付けられているが、マスターキーは無く、差込むキーは全て異なっている。

さて、この4つのキーをカギ穴に差込む時、キーのナンバーを確認せずに勘だけで差込んで、4つ連続して開けることが出来るかどうか試すのが、私の密かな楽しみである。

小せぇ楽しみだな(苦笑)

今日は見事に、4つ連続して開けることが出来たので、ちょっと気分が良い。

ところで、4つのカギを勘だけで連続して開けることが出来る確率は、どの程度だろう。
これは簡単な計算で、一度使ったキーは束の中に戻さないから、

1/4×1/3×1/2×1/1=1/24

である。
したがって、24回に1回の割合で成功するということになる。

さて、今年は、今日までに特別展を2回行い、さらにそのうちの1回では会期中に2度展示替えをした。
その結果、5回、このショーケースのカギを空けている。

実は、その5回のうち2回、4連続で開けることに成功している。
計算上の確率の9.6倍の成功率だ。

ちなみに、昨年まではショーケースを使うような特別展は年に1回しか行っていなかったので、年に1~2回鍵をあけていたことになる。
それが15年だから、大まかに言って23回ぐらい鍵を開けたことになるか。
記憶を探ってみると、3回ほど成功しているはずだ。

さて、今年の分を含めて、鍵を開けた回数を30回としよう。
成功したのは、多分5回。
これでも計算上の確立の4倍になる。

ここで、私には秘められた超能力があると言い切ってしまうと、トンデモさんになってしまうのだろう。

実際には、これでは試行回数が少な過ぎる。

では、いったい何回試行して、1/24という確率をどのぐらい上回れば、有意に高い成功率と言えるのだろうか。
これに関しては統計学を学んだことがないので(統計学の範疇だよね?)、わからない。

分からんのなら書くなよ(苦笑)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

July 02, 2005

七人の桜井

桜井幸子、櫻井淳子、桜井亜弓、桜井智、桜井風花、桜井裕美、桜井よし子……え?

読売巨人軍の試合のテレビ中継の視聴率が6月は過去最低だったのだとか。
これをもって、またぞろ「プロ野球の危機」などという言葉が飛び交うのだろう。

でも、これは「プロ野球の危機」なんかではない。
「巨人軍の危機」でしかない。

と言うか、これが危機だと言うのなら、パ・リーグなんか何十年も前からずーっと危機だ。
それを、巨人軍さえ無事なら問題なし、という態度で放置してきただけのことだ。

で、明日3日には、長嶋茂雄登場か?

バカバカしい。
そんなことに何の意味がある。
長嶋茂雄を「ミスタープロ野球」などと呼ぶ向きもあるが、だからって長嶋茂雄がプロ野球なわけではない。
長嶋人気とプロ野球人気は別のものだ。

40歳の私でも現役でのプレーを見たことがないのだ。
私より若い者にしてみれば、長嶋茂雄よりも、プリティ長嶋の方が馴染みがあるんじゃないか。

それはそれとして。

せっかくだから、「巨人軍の危機」を「プロ野球の危機」とみなしてあげよう。
実際、巨人軍の儲けの分け前にあずかることが、唯一の危機の乗り切り方だと考えている人たちには、その通りなのだから。

さて、巨人軍のファンは巨人軍が勝っている時しかテレビ中継を見ない。
そのことが現在の低視聴率の理由だと、いくつかの記事で分析している。
ということは、視聴率を上げるには、巨人軍が勝ち続ければ良いのである。
それを裏返せば、他のチームが巨人軍に負けてやれば良いわけだ。

巨人が勝てば、視聴率が上がり、放送権料も上がる。
つまり、他のチームが巨人軍に負けてやれば、巨人軍の儲けが増える。
それは負けてやったから儲けが増えたのだから、他のチームにはその儲けの幾ばくかを貰う権利もあろうというもの。
現状を見る限り、優勝する可能性の失せた巨人軍の試合では視聴率は10%ほど。
それに上乗せできたら、その分の金を負けてくれた相手チームに払う。
巨人軍が勝ってファンは大喜び、他のチームのオーナーは儲けが増えて大喜び。

それじゃ八百長だって?

いいじゃん。
レスリングとプロレスが別のものであるように、野球とプロ野球が別のものでもいいじゃん。

ちゃんと筋書きを作ってさ。

ある年は、スタートダッシュに成功するが、夏場猛追してきた別のチームに首位を明渡し、9月に再び快進撃して優勝。
ある年は、スタートダッシュに失敗し、3位あたりをウロウロするが、オールスター明けからダッシュをかけて、優勝。
ある年は、4月に首位に立って、一度も首位を明渡さずに、ぶっちぎりで優勝。
ある年は、シーズン終盤までAクラスの3チームが入れ変わり首位に立つ展開で、最後は2チームを振り切って優勝。

で、5年に4回優勝するというペースで、残りの1回は他のチームに優勝を譲る。
それを持ち回りで、約25年に1回、セ・リーグの他のチームが優勝するわけだ。
たまに優勝すると、燃えるからね。
5年に1回は、○○フィーバーが起こることになる。

こういうのが理想なんでしょ?
違うの?

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« June 2005 | Main | August 2005 »