December 17, 2011

億劫な細道

この道は細い上に路駐が多くて配達しにくいんだよ。

例によって、テレビは見られないのでDVDを。

「謎の空飛ぶ円盤」

アメリカ全土で空飛ぶ円盤の目撃が相次ぐ。
ロシアの陰謀を疑うアメリカ政府情報機関のソーンは、マイク・トレントを呼び出し、女性諜報員のヴィーと共に真相を調査するように依頼する。
アラスカでロシアの工作員が活動しているとの情報により、アラスカに送り込まれた2人は、アラスカにあるマイクの実家で既に潜入調査しているはずの味方工作員からの連絡を待つが、味方の工作員は一向に姿を現さない。
業を煮やしたマイクは、単独でジュノーの町に向かい、旧知のマットを探し、情報を得ようとするが……

という映画。
この先のあらすじがまとめ難いので、こんな感じにしたが、この後明らかになる真相というのは、「空飛ぶ円盤はロートン博士が極秘開発したもので、博士はこれをアメリカ政府に売却することを計画していたが、博士の助手のターナーは博士には内緒でロシアにこれを売却しようともくろんでいた」というもの。

1947年のケネス・アーノルド事件をヒントに1953年に製作された映画だそうだが、まだ≪空飛ぶ円盤=宇宙人の乗り物≫という思想に侵されていない時代、というか、宇宙人なんかよりもソ連の恐怖というものの方がリアルだった時代、という感じがしますな。

DVDのパッケージには「世界で最初にUFOをスクリーン・デビューさせたとして話題になった幻の映画」と書かれているが、私としては、この書き方はいただけない。
原題が「The Flying Saucer」なんだから、ここは「UFO」じゃなくて「空飛ぶ円盤」でいかないと。

それはさておき、「幻の映画」になっても仕方がない水準の作品であった。

まず主人公のマイクが、基本的に情けない。
そもそも円盤の存在を信じていないマイクは調査依頼を単なる茶番と考え、真面目にやる気がない。
そのため、アラスカ到着早々、実家の下僕に「お前ロシアのスパイについて知ってるか、円盤を目撃したか」などといきなり自分たちの正体を明かすようなことを言ってしまう。
ところがこの下僕がロシアのスパイそのもので、のっけから不利な状況を作り出してしまうのだ。
自分が知っている昔からの下僕が「失踪した」と聞かされて、新顔の下僕に不審を感じない主人公なんて鈍過ぎるだろう。
それでも、自分でも円盤を目撃してちょっと真剣になり、単独でジュノーに行って情報収集しようとしたところまではいいのだが、マットを探すために酒場を次々に訪ねるうちに泥酔してしまい、せっかくマットと再会し、重要な情報を聞き出したのに、明日また会おうと言ってそのまま別れてしまうって、危機感なさ過ぎ。
おまけに、敵と格闘になる度にのされてしまう。多勢に無勢とは言え、弱すぎる。

まあ、まとめれば「人間的」と言えないこともないが。

そして、映画の大半に動きがない。
74分という短い映画なのに、だらだらしたシーンが多いのだ。

ワシントンから飛行機でシアトルに行き、そこから船でアラスカに向かうのだが、その船旅の描写が長い。
ホエールウォッチングなんかしてる場合か?

そしてマイクの実家で先に潜入しているはずの工作員からの連絡を待つのだが、それがまた長い。
連絡がないならジュノーの町に行って情報収集しようというマイクの提案をその都度ヴィーが命令にないと言って拒否するので、話が進まないのだ。
まあ、その長い時間の間に二人が恋に落ちるという展開もあるのだが。

さらに円盤の隠し場所の情報を得たマイクが、飛行機で氷河を越えた向こうにある湖まで行くのだが、これまた無駄に描写が長い。
しかも、そこで円盤を発見したマイクが一旦ジュノーに戻ろうとして、燃料不足のため自分の実家に立ち寄るのだが、そこで敵に捕らえられて、今度は船と徒歩で円盤の隠し場所に戻ることになる。
氷河の下に秘密の洞窟があって、そこを徒歩で進んでいくのだが、飛行機であんなに長時間飛んだ先にある所に、徒歩で行くって正気かよ。

1950年代だって、もうちょっと緻密なストーリーに出来ただろう。

ちなみに、製作・監督・脚本・主演、すべてマイケル・コンラッドということになっている。
自分で自分を情けない奴に撮るとは、侮れない才能である(笑)

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November 22, 2011

四回人間

七生人間とは言わぬ、せめて四回人間に生れたい……

2月以来、9か月ぶりに映画館で映画を観る。

「カウボーイ&エイリアン」

西部開拓時代。荒野の真ん中で男(ダニエル・クレイグ)が目覚める。
脇腹には謎の傷、左の手首には正体不明の腕輪、そばには女の写真。
しかし、男には一切の記憶がなかった。
やがて男がたどり着いたのはダラーハイド(ハリソン・フォード)が支配する寂れた町。
折しもダラーハイドの息子が父親の権力をかさにきて、傍若無人な振る舞いに及んでいたが、男は躊躇なく息子をぶちのめす。
腹を立てた息子が銃をぶっ放すと、弾は保安官補に命中してしまう。
息子の振る舞いに業を煮やしていた保安官は、これを好機と息子を逮捕する。
そして、また、男をお尋ね者のジョッシュ・ロネガンとして逮捕する。
保安官が2人を別の町にある検察に送るために護送馬車に乗せたところに、怒り狂ったダラーハイドがやって来る。
息子のこともさることながら、ジョッシュは駅馬車を襲ってダラーハイドの金貨を強奪した強盗団のボスなのだ。
保安官とダラーハイドの間に一触即発の空気が流れる。
だが、突然、町を謎の飛行物体が襲い、ダラーハイドの息子を含む住民の一部をさらっていく。
その時、男の腕輪が光り、光線を放って飛行物体の一機を撃墜する。
ダラーハイドはさらわれた住民を奪還するための追跡隊を率いて飛行物体の跡を追う。
敵に立ち向かい得る唯一の武器を持つ男も、追跡隊に同行することになる。
果たしてさらわれた人々を救いだせるのか。
男は本当にジョッシュ・ロネガンなのか。

そう言う映画だ。

西部劇に異星人を登場させるのは、新機軸のように見えるが、そうとも言い切れない。
要するに、100年前の西部劇ならばインディアンが担った役割をエイリアンに置き換えただけの話だ。
息子をさらうのがインディアンからエイリアンになっただけだ。

結局のところ、いま人種問題に配慮しながら西部劇を作ろうとすると、インディアン(敢えてこの語を用いているのであしからず)の人間性にも目を配った文芸大作的な重厚な作品にしかならない。というか出来ない。
そんな中で娯楽活劇としての西部劇を作ろうとしたら、こうする他ないということだろう。
そう言えば、もう10年以上前に「ワイルド・ワイルド・ウェスト」という作品があったが、あれも同じことだろう。エイリアンは出てこないが、超科学的マシンが出てくる。
人種問題を避けて娯楽西部劇を作るには、白人しか登場させないか、SFにするしか、もはや方法はないのである。

この大宇宙に地球人以外の異星人は存在するだろうが、出会う可能性はほとんどないから、抗議してくることはあり得ないからな。

そんなわけだから、この映画のエイリアンは完全な悪である。
御丁寧に、ある登場人物が、実はこのエイリアンによって過去に滅ぼされた星からやって来た別のエイリアンである、という設定もあり、それによってより極悪性を強調している。

科学を持った野獣というタイプで、生身でも十二分に強い。
件の別のエイリアンによって、明るいところでは目がよく見えないという弱点があると説明され、それならば明るいところにおびき出して戦おうという作戦を立てるのだが、明るいところでも異常に素早いし強い。
そんなの弱点じゃないじゃん(苦笑)

しかし、19世紀の人間が異星人という存在を簡単に受け入れ過ぎじゃないのかな。
まあ、異星人を受け入れ過ぎている21世紀人にあわせているだけか。

ちなみに、設定を聞いた時には、タイムスリップものを想像した。
未来の地球人と異星人の宇宙戦争の現場から、敵の異星人が時間をさかのぼって、過去において地球人を滅ぼそうとタイムトラベルしてくるが、地球人側もそれを阻止するためにタイムトラベルしてくる、というような話。
それじゃ「ターミネーター」か。

それにしても、最後にエイリアンの宇宙船が空中で爆発するシーンは、かつてCNNで見て衝撃を受けたスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故に、あまりにも雰囲気が似ていて、いささか気分が悪くなった。
これアメリカ人が作ったんだろ?
正気か?

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November 10, 2011

首領採集生活

仮面ライダー?

裏・植鉄の旅(12)

次に、生活の様子を伝えるものを。

建物。

絵葉書「タイヤル族クラス蕃屋」
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絵葉書「パイワン族ライ社頭目の住家」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山ハプン社ノ蕃屋」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾蕃人ト家屋」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山ハプン社蕃人ノ穀倉」
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絵葉書「台湾蕃地 生蕃人見張台」
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絵葉書「蕃人の望楼」
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仕事。

絵葉書「角板山の一日」より「角板山蕃婦(重荷ノ運搬)」
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絵葉書「アミ族婦女子の水汲」
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絵葉書「台湾蕃人」より「蕃人ノ水汲」
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絵葉書「アミ族婦女の土器製作」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾アミ蕃婦ノ布織」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山蕃人ノ機織」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾アミ族漁具製作」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾アミ族蕃人ノ捕魚」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山蕃人ノ水田耕作」
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絵葉書「蕃人青年の狩猟」
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その他。

絵葉書「蕃人の入墨施術」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山蕃人ノ食事」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾蕃人ノ口嘴琴ノ合奏」
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November 09, 2011

千住民

私たちは先祖代々千住に住んでいます。

裏・植鉄の旅(11)

まずは部族名を明示してあるものを集めてみる。

絵葉書の表記を見ると「○○族□□社」とか「○○族△△蕃」という表現がみられる。
おそらく□□社・△△蕃は地域名なのだろう。だから、逆に□□社・△△蕃しか書かれていないものは何族かは私にはわかりかねるので、ご容赦を。
もっとも、日本統治時代の表記に「タロコ蕃」というのがあって、現在は「タロコ族」が認定されているということは、何族に属するのか、当時の人もよくわからなかったのかもしれない。

アミ族。

絵葉書「アミ族蕃人の踊り」
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絵葉書「馬蘭社蕃人の踊り(アミ族)」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾アミ族蕃婦」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾アミ族盛装蕃丁」
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タイヤル族。

絵葉書「タイヤル族の老蕃婦」
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絵葉書「タイヤル族の老頭目」
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絵葉書「タイヤルの蕃婦」
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絵葉書「タイヤル族美人」
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パイワン族。

絵葉書「パイワン族の娘達」
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絵葉書「盛装したパイワンの頭目」
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絵葉書「台湾蕃人」より「パイワン族盛装婦人」
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絵葉書「台湾蕃人」より「台湾パイワン族恒春上蕃平常服(祝盃)」
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ヤミ族。

絵葉書「ヤミ族の刳舟」
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以下は族名がない。
現在認められている族名と共通するのもタロコ蕃だけだ。

絵葉書「タロコ蕃の美少女」
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絵葉書「台湾絵はかき」より「台湾マリコワン蕃人」
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絵葉書「台湾バロン社蕃人」
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絵葉書「台湾キンロウ社蕃人」
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絵葉書「角板山の一日」より「角板山ハプン社蕃人」
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絵葉書「ウライ蕃社」
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November 08, 2011

蕃人ジャンプ

まあ、もともとはそういうものだ。

裏・植鉄の旅(10)

台湾編では最初で最後の「裏・植鉄の旅」になってしまった。

今、私の手元には台湾の戦前の絵葉書が400枚少々ある。
「植鉄の旅」の最初に述べたように、日本統治時代の神社の画像を求めて買い集めているうちにこうなったのだが、残念ながら神社のものばかりを効率よく買い集めるというわけにいかない。
ざっと数えてみると、神社関係のものは12%くらいだ。
神社に狙いをつけてこの程度なのだから、ひどい無駄遣いをしている気になる。

そんなわけで、神社以外のものを公開する(見せびらかす?)ために「植鉄の旅」を始めたのだが、こと台湾のものに関して言うなら、それでもまだかなりの遺漏が生じる。
「植鉄の旅」で取り上げているのは、街並みを含め日本人が関与したインフラがほとんどだが、それが台湾の絵葉書では40%ほどにしかならないのだ。
つまり、神社と合わせて日本の統治に関係するものは52%ほどということになる。

では、残りの48%はというと、阿里山・新高山あるいはタロコ渓谷などの自然景観、果物などの特産物、日本統治時代以前に由来を持つ建造物や街並み、中国系台湾人の祭りなどの風俗、それと“蕃人”である。

観光土産としての絵葉書は、当然ながら他にはない特徴的なものを特に選択して作られるので、当然と言えば当然のことなのかもしれないが、当時の日本人の台湾に向ける目線がうかがえる内容になっている。

さて、これらのうち蕃人関係のものは神社より少し多い13%ほどある。
「植鉄の旅」では使えなかったこれらの蕃人の絵葉書から、次回以降、何点かピックアップしてご紹介してみようと思う。

その前に、台湾の「原住民」について少し。

台湾の「原住民」には、台湾政府が認定しているものだけでも12部族があると「観光コースではない台湾」(片倉佳史 2005年 高文研)にある。アミ・アタヤル(タイヤル)・ブヌン・パイワン・ルカイ・ツオウ・プユマ(ピュマ)・サイシャット(サイセット)・タオ(タウ・ヤミ)・サオ・クヴァラン(カマラン)・タロコ(トゥルク)がそれだ。
一方、「南方の拠点台湾 写真報道」(昭和19年 朝日新聞社)では、高砂族はタイヤル・パイワン・ツオウ・サイセット・アミ・ヤミ・ブヌンの7種族に分れるとしている。
日本統治時代よりも細分されているということのようだが、それは研究が進んだということなのか、彼らのアイデンティティについての主張が抑圧されることが無くなったということなのか、そのあたりは私にはわからない。

ちなみに、日本では「原住民」という言い方を忌避する傾向があり、以前見たテレビ番組でも「台湾の先住民」という言い方をしていた。
しかし、「原住民族」は台湾において公式に用いられている用語で、むしろ「先住民」という言い方の方が嫌がられると聞く。
それというのも、「先」には「既に失われた」というニュアンスが含まれるので、「先住民」では「昔住んでいたが、今は既に滅んでいる民族」ということになるからだとか。
確かに「先祖」は既に死んだ人たちだ。生きている親を「先祖」とは言わない。

言葉は難しい。

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November 05, 2011

東西冷麺

ありきたり。

地デジ化非対応でテレビ番組が見られないので、DVDを観ている訳ですが、多くは一度観た映画を晩メシのお供にしているのだが、メシを食って落着いた後にまだ観ていない作品のDVDを観たりしているという次第。

「燃える惑星 大宇宙基地」

1997年。核戦争の結果、地球は北半球陣営と南半球陣営に二分され、対立していた。
折しも南ではゴードン博士夫妻を中心とした有人火星飛行計画が進行していた。
計画ではゴードン博士らは地球から宇宙ステーションへ移り、そこから火星ロケット・マーキュリー号に乗って火星へと出発することになっていた。
予定通り、宇宙ステーションに到着したゴードン博士らだが、そこで予定外のことが起こる。
未知の宇宙船からの通信が入ったのだ。
それは北のロケット・タイフーン号に乗船するトーレンス船長からの、緊急着陸して修理を行いたい、という要望であった。
宇宙ステーションではそれを許可し、さらに交歓のための食事会も開く。
その席上、ゴードン博士らの火星ロケットが翌日には火星に向けて出発すると聞いたトーレンス船長は、対抗心と功名心にかられ、北本国からの制止を無視し、マーキュリー号より先に強引に火星に向けて出発してしまう。
遅れて出発したマーキュリー号だが、計画通りに火星に向けて飛行していく。
ところが、そこにタイフーン号からのSOSが入る。
太陽の磁場に捕われ、離脱できなくなった、このままでは太陽に墜落する、との通信に、ゴードン博士は、火星より人命だと言って、計画を断念して救助に向かう。
ゴードン博士らは、なんとかトーレンス船長らを救出するが、予定外の行動のため燃料が尽き、火星到達も地球帰還も出来なくなる。
やむなく火星軌道上の小惑星・アングワー星に着陸するマーキュリー号。
事態を知った宇宙ステーションから無人補給機がアングワー星に燃料を届けようとするが失敗したため、今度は有人補給機を送る。
有人補給機は無事にアングワー星に到達するが、マーキュリー号を探しに出た乗組員がこの星に生息する奇怪な生物に襲われる。
乗組員はそのために絶命するが、マーキュリー号に燃料を届ける役目は果たす。
かくしてマーキュリー号は地球に帰還する。
そしてこれをきっかけに南北の交流が生まれ、対立は解消された。

たった64分の映画を要約するのに、随分紙幅を要したが、こんな映画だ。

この作品はロジャー・コーマンが、買い付けたソ連製のSF「大宇宙基地」という作品をフランシス・コッポラに命じて手直しさせた作品だという。
「私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか」というクソ長いタイトルのコーマンの自伝(1992年 早川書房)には「太陽のかなたの戦い」としてこの映画のことが触れられている(ちなみに原題が「Battle Beyond The Sun」なので、この本のタイトルの方が訳としては正しい)。
それによると、UCLA映画学科を卒業したばかりのコッポラを雇い、最初にやらせたのがこの映画の処理で、「アメリカの観客にもわかるよう英語のせりふをつけて、録音編集し、さらに別撮りした特殊効果部分を挿入するという仕事をまかせた」ということになる。
その別撮りの内容をコッポラがコメントしており、「二体の月のモンスターが(略)争っているところを宇宙飛行士が目撃する場面」だと言う。

そういう背景がわかった上で観ると、確かに俳優の容姿も演技もロシア人っぽい。
そして、怪物が登場するいわれがない(笑)

いまの目からみると科学的に変だと思える部分もあるが、基本的にはリアルにつくろうとしている(火星ロケットを宇宙ステーションから発進させるとか)映画なので、怪物は完全に違和感があるよ。

オリジナルとどの程度違うのかはわからないし、英語に吹き替えた際にストーリーがどの程度変ってしまったのかも見当がつかないが、なんにせよ怪物はね(苦笑)

ちなみに、コッポラは、上のコメントの省略部分で、何となく男女を思わせるデザインだった、とモンスターの姿について評しているのだが、要するに性器を思い浮かべるデザインということだ。
それも結構露骨に。

ちょっと驚くよ。

ところで、映画の冒頭に興味深い場面がある。

冒頭で世界が南北遼陣営に二分されていると説明し、その地図が登場する。
この南北二分という図式は東西冷戦をモチーフにしたものだろうが、その南北の区分けがおもしろいのだ。
北半球陣営に属しているのは、アメリカ・カナダ・アイスランド・イギリス・北欧・東欧・ソ連。
南半球陣営は、中米・南米・西欧(スペイン・フランス)・南欧(イタリアからギリシアにかけて)・アフリカ・中東から中国までのソ連地域を除くアジア・日本・オセアニア。
つまり、この映画で比較的不寛容な北側にはアメリカとソ連が含まれていて、主人公側というべき南にはどちらも含まれていないのですね。

これがオリジナルにも存在する場面だとしたら、ソ連の映画制作者が何を考えてこういうふうにしたのかが、皆目見当がつかない。

なぞだ。

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November 04, 2011

NATTO

北大西洋トンデモ条約機構。

引き続き、DVDを観る。

「原子人間」

イギリスのある牧場に謎の物体が墜落してくる。
それはクォーターマス教授が国防省の許可を得ないまま打ち上げた有人宇宙ロケットで、三人の乗組員との交信が途絶えたため、地上からの遠隔操作で強制着陸させたのだった。
教授がロケットの扉を開けると、乗組員の一人であるカルーンが瀕死の状態で姿を現す。しかし、他の二人の乗組員はなぜか姿を消していた。
カルーンは教授の研究所に運び込まれ、調査されるが、その謎の容態の原因はわからず、またカルーンは言葉を話せなくなってしまっていたため、他の乗組員が消えた謎も不明のままだった。
その後、ロケットの調査で謎の小さな有機物が発見され、それが人間に由来するものと判明する。また、ロケットの内部に搭載されていた記録用カメラの映像が復元され、機内で何かが光って、乗組員たちが相次いで倒れたことがわかる。
そこから教授が出した結論は、宇宙空間を漂っていた肉体を持たない謎の生命体がロケットに進入し、カルーンの肉体に同居し、他の二人を吸収してしまったというものだった。
そうとは知らないカルーンの妻は、科学優先で思い遣りに欠ける教授の態度に反発し、カルーンを連れて教授の手の及ばないところへ逃げようとする。
だが、病室に置かれていたサボテンを吸収して奇怪な姿になったカルーンの右手を見て、妻は驚愕の悲鳴を上げる。まだ人間の理性をわずかに残しているカルーンは、そんな妻を残してロンドンの闇の中に姿を消す。
以後、カルーンは捜索の目をかいくぐり、食料品店や動物園を襲撃する。
やがて、ウェストミンスター寺院に姿を現した時には、もはや人間の姿を留めない怪物と化していた。
教授は高圧電流でその怪物を焼き殺すことに成功する。
しかし、教授は喜びの表情も見せず、足早に現場を去っていこうとする。助手から「これからどうするのですか」と声をかけられた教授は、表情も変えずに「実験を再開する」と告げるのだった。

主人公はクォーターマス教授(ブライアン・ドンレヴィ)ではある。
だが、上記のあらすじでも匂わせておいたように、基本的にマッドサイエンティストである。
高圧的で、傲慢で、科学のためなら私情も捨てる、冷静を通り越して冷酷とも映る人物である。
何しろ、部下やカルーンの妻がカルーンを医者に見せようと進言しても、「医者なんかに宇宙のことがわかるのか!」と一喝して、自分の研究所から出そうとしないような人物なのだ。
どうにも感情移入しにくい主人公だ。

この映画が評判になり、続編が2作も作られたとは、ある意味信じがたい。
(ちなみに、特典として続編の予告編も収録されている。それを見る限りでは、多少教授のキャラは変わっているようだが。)

それを中和しているのが、警視庁のローマックス警部(ジャック・ワーナー)の存在だろう。
自分勝手なクォーターマスをうまくいなしながら捜査を進めていく温厚な態度は、観る者のクォーターマスへのイラつきを鎮めてくれる。

元はテレビシリーズだそうだが、そこではこの2人が“コンビ”として機能しているのだろうか?
この映画では、そこまでの間柄ではなかったが。

それにしても、アラン・クォーターメインとクォーターマスが、ちょっと混同しそうになるのだが、クォーター○○という姓は多いのだろうか?

ま、どうでもいいことだが。

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November 03, 2011

やらしい大佐

死んじゃったけど。

久しぶりに映画のDVDを観た。

「ゴジラの逆襲」

月岡(小泉博)と小林(千秋実)は大阪の海洋水産に所属するパイロット。空から魚群を見つけ、そこに漁船を誘導するのが仕事だ。
ある日、小林の飛行機がエンジンの不調のためある島に不時着、月岡が救助に向かう。
月岡は無事小林を発見するが、その時、その島でゴジラとアンギラスが闘っている場面に遭遇してしまう。辛くも脱出した二人は大阪に戻ると、その発見を報告する。
東京から駆けつけた山根博士(志村喬)は、オキシジェンデストロイヤーのない今、ゴジラに対抗する術はない、ただ、ゴジラは光に反応するので、市街地を灯火管制し、照明弾で沖合に誘導して上陸を防ぐのが精一杯だと、対策会議で述べる。
そうするうちにゴジラが大阪湾に接近、照明弾作戦が実施される。狙い通り、上陸をやめて照明弾を追い始めるゴジラ。作戦成功かと思われたその時、ゴジラ騒ぎに便乗して脱獄しようとした囚人が奪ったタンクローリーが工場に突っ込み、炎上してしまう。
その炎にひかれてゴジラが大阪に上陸、さらにそれを追うようにアンギラスも上陸してくる。
大阪の街を破壊しながら闘うゴジラとアンギラス。ゴジラの勝利でその闘いに決着がついた時には、大阪の象徴・大阪城も破壊されていた。そして、アンギラスを倒して満足したのか、ゴジラは海に姿を消す。
海洋水産の大阪工場が壊滅した為、月岡と小林は北海道支社に異動する。
二人はそこで今は防衛軍に身を置くかつての航空兵時代の上官と同僚に再会する。
旧交を温めているところに、ゴジラ発見の報が届く。今度は北海道近海に出現したのだ。
月岡と小林も防衛軍とともにゴジラ捜索に協力、月岡がある島に上陸したゴジラを発見する。
防衛軍はゴジラがいる谷間の入り口に火を放って、なんとかゴジラをその島に足止めしようと企てるが、作戦準備が完了する前にゴジラが谷を出て行きそうになる。
防衛軍の飛行機に混じってゴジラを監視していた小林のセスナ機が、それを阻止するためにゴジラの気を引こうと低空飛行を試みるが、ゴジラの熱線を浴びて墜落してしまう。
友人の死に呆然とする月岡だったが、小林機の墜落によって小さな雪崩が生じたことをヒントに、ゴジラのいる谷を囲む山々を爆撃して雪崩を起こし、ゴジラを埋めてしまおうと防衛軍に進言、それが採用される。
かくして、防衛軍はゴジラからの反撃に多くの友軍機を撃墜されながらも、ゴジラを雪崩の底に封じ込めることに成功するのであった。

あらすじが長いよ。
説明下手か、オレ(苦笑)

1作目の「ゴジラ」が成功を収めたことから、急遽製作が決まり、6か月足らずで公開にこぎつけたという、甚だ粗製の感は否めない作品だ。

ゴジラシリーズで過去に観たことがあるのは、劇場だと第1作の「ゴジラ」と「怪獣大戦争」「キングコング対ゴジラ」「ゴジラ対メガロ」、テレビで「地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン」「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」「ゴジラ対ビオランテ」くらいで、これは観ていなかったのでDVDを購入したのだが、話のタネ以上の作品ではなかった。

せっかく2匹の怪獣を出しておきながら、映画の半ばでアンギラスを殺してしまうのは、どうにももったいない。
それと、アンギラスを四足にしたのは、いかにもまずかったですな。
着ぐるみでは四足は動きが制限されて、ちょっと厳しい。

経験も少ない中、限られた時間でよく健闘しているとは思うが。

それと、雪崩で埋めるというのは、人間にできる攻撃という意味ではリアルだが、攻撃としては弱すぎる。
カタルシスに欠ける。

脱獄騒動もとってつけたようだし。

ただ、怪獣が現れても、若者はダンスホールで遊び呆けているし、囚人は脱獄したい、というのは、人間臭くていいけどね。

第1作の「ゴジラ」が聖人君子なら、こちらは俗人と言ったところか。
舞台も大阪だし、俗っぽいのもいたしかたないか。

偏見か(苦笑)

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October 20, 2011

笑われるから服着たら?

一応「笑う門には福来る」のつもりですが。

もうしばらくこのブログではライブのことを書いていないが、ライブに行っていないわけではない。
確かに、2~3年前あまりライブに行かなかった時期があるのだが、昨年から今年にかけては月1回以上の割合でライブに行っている。
にもかかわらず、このネタ切れ状態のブログにそれを書かないのは、そのほぼ全てが青山陽一の出演するライブだからだ。
私にとっては四半世紀近くにわたって追いかけているアーティストだが、一般的には超マイナーなので、そのライブについて書いたところで、興味のある人もおらんやろう、今までにライブについて書いた文章にリアクションがあったのもたった1回だけだし、と思っていちいちライブについて書くのは止めにしたのだ。

しかし、今回は、ちょっと腑に落ちないことがあったので、久しぶりに書いてみる。

先日、またしても青山陽一のライブに行った。
その日は、ライブ会場で、10月19日に青山陽一が5年ぶりに発表するフルアルバム「Blues For Tomato」を先行発売するというので、万難を排して会場に足を運んだのだった。

ライブ会場ではアルバムの他に、終演後に次回ライブのチケットも販売するとアナウンスされていた。
で、ライブ終演後、次回ライブのチケットを買おうとしたら、購入者の列の前方に友人がいたので、「俺の分も一緒に買っといて」と頼んで、会場を後にした。

さて、会場の外で友人と落ち合い、いつものように飲みに行ったのだが、友人が「いま理解し難い奴がいた」と言うのである。

さっき、チケットを買うために並んでいた時、後ろにいた女が「アルバムは買ってもどうせ聴かないから、その2500円でライブのチケットを買う方が良い」と言っていた、と言うのだ。

確かに理解し難い。

「アルバムよりライブの方が好き」なら理解できるし、この人物の発言も基本的な主旨はそういうことなのだと思う。
家でCDを聴くよりも、ライブの臨場感の方が好きだ、例えアクシデントやミスがあっても、そういう生々しさの方がより好きだ、という人はいるだろう。
いや、むしろ、そうでなければわざわざライブに足を運ばないだろう。
ライブには、その場でなければ生まれない、その場にいなくては感じられないグルーブ感、空気が確かにある。
しかし、アルバムにはアーティストが計算を尽して作り込んだ良さがある。
それはライブとは別の良さで、しかも、何度でも繰り返し聴くことが出来る。
何と幸福なことか。

それが「アルバムはどうせ聴かない」である。

こんなマイナーなアーティストのライブにわざわざ足を運ぶような人物なら、それもアルバム先行発売の日にやって来るのなら、青山陽一のファンだと思うのだが、ファンなのにアルバムは聴かないというのが信じられない。

私の場合だと、このライブの直後に出張があったので、MP3プレーヤーにこのアルバムのデータを入れて、出張の行き帰りの乗り物の中や宿泊先などで、このアルバムばかりをひたすら聴いていたのだが。

好きなアーティストがたくさんいて、毎日のようにライブに行くから、アルバムを聴いている暇もないし、それを買う金も惜しい、ライブ代にしたい、ということだろうか。

それだって、アルバムを聴かないということはないけどな、私なら。

とにかく腑に落ちないので、ちょっと書いてみた。

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October 10, 2011

児玉でしょうか、いいえ誰でも

児玉清以外のものまねもできるんです。

完全に時機を逸してしまいましたな、このダジャレは。

アマゾンでDVDを物色していたら、こういうものを見つけたので購入して鑑賞した。

「日本統治下の台湾「南進台湾」―日治時代の記録映画―」

2003年に国立台湾歴史博物館で発見された日本統治時代に製作された記録映画のフィルムを修復し、DVD化したもので、「南進台湾」「台南州 国民道場」「台湾勤行報国青年隊」「幸福の農民」の4作品が収録されている。
国立台湾歴史博物館が2008年に台湾で発行したもので、原題は「片格転動間的台湾顕影 Colonial Japanese Documentaries on Taiwan」。
私が購入したものは2010年12月発行の第4版で、簡単な日本語の解説が同封され、日本語の帯も付いているが、直輸入盤で、付録のブックレットは中国語で書かれ、特典映像の「フィルム修復作業」の音声は中国語のみになっている。
ただし、もちろん本編は日本語で、中国語か英語の字幕を選択できるようになっている。

「南進台湾」は昭和14年製作の≪国策記録映画≫で上映時間64分41秒。
台湾を北から南に向かって西海岸側、東海岸側と順番に紹介するという内容になっている。

まず台湾原住民の踊る姿を映し出し、「これは皆さんが想像されている台湾の姿でしょう。今は……」というナレーションから、日本がいかに台湾を近代化したか、台湾が、エネルギー資源、バナナなどの果実、砂糖、米といった重要産物を日本が“自給”するためにいかに貴重な土地か、そして今後進めていく南進の拠点としていかに重要かを描き出していく。

私が『植鉄の旅』で紹介したような都市や施設が次々と現われて、非常に興味深い。

個人的に最も興味がある対象は神社だが、映像に登場したのは台湾神社、建功神社、開山神社、彰化神社で、残念ながら狛犬は映し出されることはなかった。台湾神社なんかは、あと少し引きで撮ってくれれば狛犬が映るのに、という微妙なアングルで、「なんでそのアングルだよ」と思わず画面にツッコミを入れてしまった。
しかし、台南で取り上げるのが鄭成功を祀る開山神社だけで、北白川宮能久親王殿下をお祀りする台南神社をスルーするとは、なんと不敬な(笑)

「台南州 国民道場」「台湾勤行報国青年隊」の2本はともに10分少々の短編で、それぞれタイトルの団体の活動を紹介している。
製作年は不明。
前者は、DVDに同封された日本語の解説によると「皇民化運動の最後の頃の映像」ということで、台湾本島人(最後に卒業証書を受け取る人物の姓は“張”であった)を一人前の帝国臣民へとするために教育を施す姿を映したものということになろうか。台湾映画協会の製作。
後者は、台湾総督府製作の台中の勤行報国青年隊の活動を映したものだが、要するに、一定期間台湾の青年に奉仕活動を行わせる仕組みのようだ。
どちらも、いわば擬似軍隊で、教練の姿などの映像は、私のような団体行動が嫌いな人間には息が詰まる。と言うか、気持ち悪い。

「幸福の農民」は台湾教育会の製作で、28分7秒の無声映画。
『植鉄の旅』でも紹介した嘉南大圳の恩恵で台湾の農民が幸福になるというストーリーに立った作品になっている。
内容は、直順庄と後善庄の対比という形になっているが、これはおそらく架空の村だろう。
総督府の指導に“直ぐ順った村”(=直順庄)と、後になってから利点に気付いた村(=後善庄)というもじりと思われる。
つまり、直順庄では嘉南大圳を積極的に利用して農業の改善に成功したが、後善庄は頑迷固陋で今まで通りのやり方に固執したため改善に遅れを生じた、しかし教育を受けた先進的な人物が現われて改善に成功した、という内容なのである。

ちょっと興味深く感じたのは、その映画の描写に従うなら、総督府はダムと貯水池を造り、水路の主幹線は通したが、個々の村にその水を引くかどうかは村人の判断に任されていた、ということになることだ。
水路建設は、意外にも、強制ではないのだな。
もっとも、個別の水路は自分たちで作れ、という総督府の経費削減策なのかもしれないが。

水路の維持管理の注意点(水路の土手を耕すな、とか)も描かれているので、これは台湾本島人に対しての啓蒙のための映画なのだろう。

これらの映像を見ると、日本は台湾を著しく近代化したが、そのスタンスは、皮肉をこめて言えば≪善意の征服者≫であった、という思いを強くする。

人によって評価は様々だろうが、日本人として一度は目を通しておくべき映像であろう。
まだ手に入るので、購入をお薦めする。

国立台湾歴史博物館で発見されたフィルムはまだ数多くあるようだし、このDVDがよく売れれば、それらもDVD化される可能性も高くなる。

そうなるように、ぜひ買え。

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